太田述正コラム#4150(2010.7.24)
<もう一人の戦犯ルース(その3)>(2010.11.28公開)

 (6)戦犯

 「・・・タイムの伝統であるマン・オブ・ザ・イヤーの表紙は、ルースの男の子供じみた、「彼の周回軌道へと引き寄せ」、「彼自身の形成しつつあった諸信条を抱懐するよう」説得するために探し求めたところの、偉大な男性達・・ウィンストン・チャーチル、ジョン・F・ケネディ、ドワイト・アイゼンハワーら・・への彼の熱狂を反映していた。
 ・・・支那の国民党の運動は、ルースにとって最も入れ込んだ大義の一つだった。
 その証拠に、支那ロビーのために彼は何度となく運動をしたものだし、タイムの表紙を優雅な蒋介石で11回も飾らせたものだ。
 <それでいて、>不屈の反共主義者にして共和党の指導者であったルースは、組合や市民権を支援し、かつ資本主義に対して懐疑的な見方をしていた。
 彼は、深く宗教的な人間である一方で、自分の信仰に疑問符を抱くとともに、飽くことなく不倫を繰り返しすらした。
 国民党の支那なる大義を担ぎつつ、ルースの日本人に対する嫌悪は彼の諸雑誌の中で表明されていたが、これは、少なくとも間接的に第二次世界大戦中に<米国人達が>日系米国人を悪漢視するのに貢献した。・・・
 彼の「米国の世紀」論考に関しては、ルースは、かわりばんこに戦争屋と囃されたり偉大なる思想家と囃されたりした。・・・」(E)

 「彼は、フランクリン・ローズベルトとハリー・トルーマンが猛烈に嫌いであり、彼の諸雑誌をこの二人を悪漢化するために用いた。
 そして彼は、腐敗しかつ非効果的な支那の「大元帥」たる蒋介石を理想化し、彼の諸出版物を蒋の見込みのない大義を担ぐために用いた。・・・」(F)

 「・・・しかしまた、彼は、人種平等、女性の諸権利や国際法を好み、自分のスタッフに左翼がいることに寛容であり、彼の誌面をアーチボルド・マクレイシュ(Archibald MacLeish)、ウィリアム・フォークナー、アーネスト・ヘミングウェイ、そしてウィンストン・チャーチル・・その回顧録の出版をルースは委託された・・のような自由な精神の持ち主達に開放した。・・・
 <しかし、その後、>「米国の世紀」は、イラク戦争と世界金融危機によってとどめを刺されてしまった。
 今日ではすべての人々が<米国ではなく>支那について語るようになった。・・・」(A)
 
 「・・・ルースは、彼のでっかいマイクロホンを使って、ベトナムでの冒険の失敗へのたゆみなき情熱に至る頃まで、彼が尊敬している指導者達を担ぎ、中産階級的米国の一般的に高揚的な肖像を描き、世界に米国が軍事介入するという大義を推進した。・・・
 その一方で、彼の諸出版物は、権力への心酔でもって特徴付けられる。
 ブリンクレーは、長い間にわたって、ムッソリーニを「しばしば憧憬と区別がつかないほどの」魅惑的存在として扱ったし、大部分は共和党に対してエンジン全開の依怙贔屓を行った。
 <また、>ルースは、彼の諸雑誌に対し、自分の好きな政治家達を担ぐように促した。
 彼は、ウェンデル・ウィルキー(Wendell Willkie<。1892〜1944年。1940年の大統領選の共和党候補者
http://en.wikipedia.org/wiki/Wendell_Willkie (太田)
>)の選挙演説を執筆したし、アイゼンハワーを尊敬し、ウィンストン・チャーチルの回顧録の抜粋に対し大枚のカネを支払ったし、ケネディーの宮廷(Camelot)にちょっとばかし目を眩ませた。
 ルースは、中国国民党の専制君主たる蒋介石に余りにものめり込んでいたため、彼自身の懐疑的な特派員の筆を曲げさせたし、中国共産党の高まりつつあった力を過小評価した。
 <共産党が支那を席巻した後には、>彼は、米国が必要があれば核兵器を用いてでも支那を「解放」すべきであると訴えた。
 ルースはローズベルトを軽蔑していた。
 それは、一つにはローズベルトが彼におべっかを使わなかったからだが、大部分は、彼がローズベルトが世界の事柄について余りにも受動的であると見たからであり、彼はタイムを使ってこの大統領と決闘を行った。・・・
 ルースの長続きした大義は、第二次世界大戦によって鍛え上げられ、彼の共産主義への嫌悪によって油を注がれたものだが、それは、彼の米国の世界での役割についての行動主義者的かつ家父長制的見解、及び、彼が孤立主義者的で宥和主義者的であると見た者達への軽蔑に軸足を乗せていた。・・・
 彼のローズベルトに対する憎しみは、さしてローズベルトの政治的人気を落とすことにはつながらなかったし、その政策を変更させることにもならなかった。
 米国が支那を解放しなければならないとの彼の信条も無に帰した。
 ルースが「米国の世紀」を書いた時には、地上で最も強力な国になるべく米国が欧州の陰から立ち現れたという事実は、既に、社会通念となっていたし明白な真実ともなっていた。
 「彼の諸雑誌は、大部分、中産階級の世界の反映であって、その形成者となったことはそれほどなかった」とブリンクレーは結論づける。
 「ルースが最も影響力を発揮したのは、1940年代初期においてとりわけ顕著にも、米国の大衆の広汎な部分の間で既に出現しつつあった諸観念を担いだ点においてだった」と。
 ルースはそれほど保守的でもなかった。
 彼は、福祉国家となることを含め、政府権力の増大を支持した。
 彼は、市民権の闘士となったし、女性の自由の問題について、彼の仲間達ほど排他主義的ではなかった。
 <また、>彼は労働組合を好んだ。
 <更に、彼は、>熱狂的な反共主義者だったけれど、ジョセフ・マッカーシーのやり過ぎについては侮蔑的だった。・・・」(B)

3 終わりに

 ヘンリー・ルースは、コラム#4092で米帝国主義マークIIの構築者の一人としてとりあげたことがあるほか、コラム#2934、3074、4112でも登場しています。
 また、彼の2番目の妻のクレアの方も、ロアルド・ダールとのからみでコラム#2840で既に登場しています。
 ですから、彼を正面からとりあげたのが、むしろ遅きに失したと言うべきかもしれません。
 書評子達がどうして、そのものズバリのことを指摘しないのか、歯がゆい限りですが、このシリーズを通して明らかなように、ルースは、紛れもなく、パール・バック同様、原理主義的キリスト教と人種主義的帝国主義によって歪んだ世界観に突き動かされ、それぞれが紡ぎ出したノンフィクションとフィクションの世界を通じて、米国世論を親支那・反日本へと洗脳し、日米戦争へと駆り立てて日本帝国を壊滅させ、その結果、民主主義独裁勢力の世界的跳梁をもたらしてしまったところの、悪辣なる戦犯の一人なのです。

(完)