太田述正コラム#4383(2010.11.18)
<皆さんとディスカッション(続x1018)>

<μμδδ>(「たった一人の反乱」より)

 打倒民主政権!
 太田さんの話で自民党の大罪は分かったけど、今の民主党じゃさらに日本は危ないよ。

 そう言えばTVタックルで若林さんも「官僚は政権交代を乗り越えた」って発言してましたね。
 官僚にも完璧に舐められた民主政権の役目はもう終わりだね。

<μδμδ>(同上)

 でもどうせまた政権が替わったら替わったで、「今の政権では日本はダメになる」って言い続けるんでしょ。

<μδδμ>(同上)

≫外回りを走っているリニアモーターカーが敗戦によって破壊され、戦前から一貫して(たまたま?)内回りを走っていた蒸気機関車だけが残った。≪(コラム#4381。TA)

 このTAさんて何者?
 かなり頭よさそうなんだけど。
 複雑な事象を単純明快に分析するのが頭がいいといえると思う。

<δμδμ>(同上)

 一方こちらはかなり頭悪そう

 「855:名無しでいいとも!@放送中は実況板で :2010/11/17(水) 18:28:00 ID:Vgmhma5W0
>>854 <(自民が外交で金星上げた事なんて皆無だろ、どっちもどっち、野党の側にたまたまいる方が偉そうに批判してるだけ)>

 日米安保結んだ。
 あれだけ左翼のテロに遭いながら。
 日米安保のおかげで日本は経済的に発展できた。」
< http://toki.2ch.net/test/read.cgi/tv/1284686722/ >

<δδμμ>(同上)

 小沢はおいら個人的に大嫌いだが、小沢を金の亡者といって、何も考えずに簡単に切り捨てることの方が“問題”だとおもわないのかね…。
 清潔だ、クリーンであるから善い…その主張が真面目であるから善い…というだけの判断基準をもって政治家や政党を支持するのは、かな〜り未熟で稚拙な、他人の意見や風潮に同意するだけの家畜のような人種で、これが現在の日本では多数派の所謂B層と称されている人たちだろ。
 まぁ、太田さんとこの読者にはいないとはおもうが、こんな(奇麗事だけを声高に叫ぶ)実行もできぬ要求を出し続け政治を混乱させるだけの政治家やその取り巻きこそ厄介なんだとおもう。

 富を軽蔑するように見せる人間をあまり信ずるな。
 富を得ることに絶望した人間が富を軽蔑するのだ。(ベーコン/英・哲学者)

<δμμδ>(同上)

>富を軽蔑する人間をあまり信ずるな。
>富を得ることに絶望した人間が富を軽蔑するのだ。
 こういう人間がたまたま富を得ると、一番始末が悪い人間になる。
< http://e-mog.net/meigen/jinmei/1554.html >

 フランシス・ベーコンの有名な名言だけど何で最後の一文抜いたの?

<太田>

 箴言集の日本語サイト、出典が書いてないものばかりだけど、小沢にぴったりのベーコンの箴言をどうぞ。

・空威張りする人間は賢者に軽蔑され、愚者に感嘆され、寄生的人間にたてまつられ、彼ら自身の高慢心の奴隷となる
・多くの取るに足りない阿諛者に取り巻かれた最大の阿諛者は己自身である。
・富は費消するためにある。費消する目的は、名誉と善行である
・己自身を熱愛する人間は実は公共の敵である
http://sekihi.net/writer/1139/proverb_abc/1.htm

 ところで、ベーコンの箴言と言えば、このコラムでは、これまで2つ登場してる。↓

 「妻は、若いときには情婦、中年では友人、老年では看護婦」(コラム#88、3783)
 「知は力なり」(コラム#4201)

 この前者の方だが、原文は、'Wives are young men's mistresses, companions for middle age, and old men's nurses.'
http://www.kkgs.net/search.cgi?mode=search&page=1&sort=id_old2&word=%8F%EE%95w&method=and
であるところ、http://e-mog.net/meigen/jinmei/1554.html も http://e-mog.net/meigen/jinmei/1554.html も、'mistress’を「女主人」と訳していたのには吹き出しちゃったな。
 そりゃ、誤訳とまではいかないけど、ベーコンのウィットを全く無視した駄訳だ。

<δμμδ>(「たった一人の反乱」より)

 それはともかく、またアニメの例えで悪いんだが
銀河英雄伝説
< http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8A%80%E6%B2%B3%E8%8B%B1%E9%9B%84%E4%BC%9D%E8%AA%AC >
で言うところの帝国内に同じように立憲体制をしく事を目的としていたユリアン一派とトリューニヒト
< http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%83%84 >
の違いっぽいよね。
 所詮は保身の人である小沢こそが政治を混乱させるだけの政治家だと思うんだが?

<ΝΝΔΔ>(同上)

 銀英伝は欧州世界を体現したようなアニメだったな
 それでいて著者の民主主義に対する猜疑心のようなモノがすごかった。

<太田>

 遺憾ながら、ウィキを斜め読みしただけじゃ、上のお2人さんが言いたかったことがよう分からんかったわ。

<δμδμ>(「たった一人の反乱」より)

 自衛隊は暴力装置だろ?
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101118-00000546-san-pol

<太田>

 「「国家=暴力装置」論は、レーニン『国家と革命』<(1917年)>第1章<に出てくる。>」
http://www5d.biglobe.ne.jp/~oyabu/ronbun/kamiyama.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E3%81%A8%E9%9D%A9%E5%91%BD
 「暴力を統制するためにはより強力な暴力、すなわち組織化された暴力(Organized violence)が社会の中で準備されなければならない。軍隊、警察がこれにあたり、社会学者のマックス・ウェーバーはこれらを権力の根本にある暴力装置と位置づけた。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9A%B4%E5%8A%9B
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%B7%E6%A5%AD%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%AE%E6%94%BF%E6%B2%BB
 「合法的(正当)な暴力の独占(・・・monopoly on legitimate violence、ドイツ語: Gewaltmonopol des Staates)とは、マックス・ヴェーバーが自著・『職業としての政治』<(1919年)>において唱えた主権国家の定義」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9A%B4%E5%8A%9B%E3%81%AE%E7%8B%AC%E5%8D%A0

 つまり、国家=(独占的)暴力装置論は、20世紀初めに欧州及び欧州の影響下にあった(欧州の外延たる)ロシアにおいて、近代国家の定義として流行った考え方です。
 これに対し、アングロサクソンにおいては、およそ国家というものは、臣民ないし市民による自治のための手段(の一つ)に過ぎず、臣民ないし市民は(少なくとも潜在的には)暴力行使権を留保しています。(米国の場合は、憲法修正第2条参照。イギリスについては、適当な典拠がすぐ出てきません。)

 ここで、話は全く変わりますが、私の次著編集作業にあたっている読者お2人のご苦労の一端をご紹介させていただきます。

<US>

 ・・・歴史的に見てシナの悪さ加減を述べる6章のサマリーとなる文章はなかなかありませんでした。

 <コラム>#0132, #0567 が総論ぽいのでよいかなとも思ったのですが、これらは現在の中国の状況を述べたものです。
 これらから、そこに至った歴史的経緯をみるよう誘導することも考えましたが、中国共産党のそれにはつなげられますが、蒋介石や孫文にはつなげられませんでした。

 宋美齢など個別論は大変充実しているのですが、なかなかシナ全体の総論を述べているものを見つけられませんでした。
 現代史である中国共産党も含め、そもそもシナ文明そのものの底流に流れるものを簡潔に延べているものがほしいです。

 さて、各論を見てみると、どれも、独裁者、独善、全体主義といったものが底流に流れていると感じました。
 孫文のところでさえ、欧州全体主義への傾倒や、民主主義独裁路線などの言葉が出てきています。

 つまり、シナ文明の底流は、“統治の根拠を天命に求め、それが人民の意思に左右されるものであるとは考えていない” (#0352 新悪の枢軸:中国篇(その5)) 独裁者による帝国主義指向と感じました。
 その視点で再度、コラムを探したところ、#0352 で述べているところの中華帝国の遺産がこのことを端的に示していると思います。・・・

<前山さん>(2010.10.14)http://ameblo.jp/45998877/entry-10676664653.htmlhttp://ameblo.jp/45998877/entry-10676863811.html

 --『防衛庁再生宣言』 太田述正(おおた のぶまさ)<について> --

 防衛庁再生宣言というタイトルですが日本国防再生宣言とでもいうような内容です。

→「日本再生宣言とでもいうような内容」と言っていただけたら更に結構でしたね。(太田)

 吉田ドクトリンをめぐっての考察が本書の重要な点でしょうね。
 内容は、自衛隊の予算の付け方の非効率の問題と編成の偏りの問題。防衛大学校の改革案。戦争と民主主義の歴史の確認からシビリアンコントロールの考察。軍事支出の経済効果。米国社会に浸透しているプロテスタンティズムの話題。アングロサクソンと日本の比較文化論。その他。と多岐にわたっている。
 『防衛庁再生宣言』はあくまでも一般書であるが、ここまで密度の高い内容をおそらくは一人で書き上げたのだろうから、太田述正の教養の高さはかなりのものである。
 だから、しっかりした本をもう少し出してほしいものだ。

→その後、既に2冊出してますよ。(太田)

 『防衛庁再生宣言』の記述をめぐって瑣末な間違いがあまりにも、大げさに追及(?)、というのか文句がついた事件があったようですが。記述の間違いを訂正するという行為は単なる校閲のような行いであり、非難をしながらされるべきではない。
 太田述正は第一章で日本の自衛隊とイギリス軍の防衛費のパフォーマンスの比較を行っているのですが、その章の中に記載されている『The Military Balance 2000/2001』に基づいた数字が不正確であるとして、一部の読者から追及をされたことがある。
 なぜか反感とともに。
 どんな本でも何がしかの誤りがあるのは当然だし、指摘がきたら直すのも当然だとも思う。
 ただし指摘するほうは説得力のある指摘をしないと通らないだろう。
 しかし、数字の誤りを正してもなお、自衛隊の防衛費のパフォーマンスはイギリスと比較して非効率である、という事実が明瞭になった。
 要するにイギリス軍は外征型の軍隊であり、軍隊を自国の外に出動させ機能させる目的で編成されている。
 それに対して自衛隊は自国の外に人員も正面装備も国外へ出せるような編成になっていない。自衛隊は軍隊と捉えたときに有効に機能するような編成になっていない。
 『防衛庁再生宣言』に記載されている数字が修正されても、されなくても自衛隊の人員や正面装備の編成はバランスが悪くパフォーマンスが非効率である、と観察できる。
 私は軍事や兵器に疎いので、あまり細かい記述はできませんが、航空自衛隊とイギリス空軍の航空兵力の比較について考える。
 『防衛庁再生宣言』の記述ではイギリス空軍の戦闘機は757。航空自衛隊の戦闘機は300。となっています。
 ただしイギリス空軍の戦闘機757機というのは誤記だったようで、ミリタリーバランスの記述に従って訂正すると657機になるようです。
 この数字を仮にイギリス空軍500と少し。航空自衛隊300と少し。(なぜ、そんなふうに修正したのかという追及がきたとしても、なんとなくそんな印象がしたからとしか言えません。すいません)とでも修正してもなお、イギリス空軍の航空兵力の分母は航空自衛隊よりも大きい。
 航空兵力の分母が大きいという事はそれにふさわしい数の整備スタッフやパイロットが存在することを意味するのだから、やはりイギリス空軍の地力は航空自衛隊より一段上だろう。
 パイロット一人当たりの年間飛行時間もイギリス空軍が192〜199時間であるのに対して、航空自衛隊のパイロット一人当たりの年間飛行時間は150時間であり、差がついている。
 航空兵力の地力というのかベーシックな能力が高いということから読み取れるのは、イギリス軍はドクトリンの変更にあわせて使用する機体を変更するのが容易だろうし、空軍全体を再編する、という命令が降りてきたときに空軍に所属するスタッフがその命令に対応するのが容易であるだろう。といった事柄である。
 航空自衛隊では航空兵力の分母自体が小さいので、再編をするのも容易ではないと思う。
 『防衛庁再生宣言』には航空兵力の爆撃能力の向上をはかるには戦闘機の改修で対応できる。という趣旨の記述(57ページ)が見えます。
 しかし航空自衛隊のパイロットが何人用意されているのか私は知りませんが、(訓練も含めて)爆撃任務専門のパイロットを余分に確保しなければいけなくなるし、爆装した機体は重量が増加するので航続距離が低下しますから空中給油機もいまよりも多く持つ必要がでてくる。
 だから航空自衛隊が有効性を持つ爆撃能力を獲得するのは簡単ではないと思います。
 ということは邀撃任務一本槍という太田述正の見立ては正しいし、その能力の偏りは簡単に矯正できないのだろう。
 航空自衛隊と海上自衛隊の航空兵力は対潜水艦攻撃能力や対艦攻撃能力も過剰に過ぎるほどに高く、自衛隊はバランスの取れた兵力の運営というのか運用のしかたを飲み込んでいないのだろうな、と勘繰りたくなってくる。
 おことわりしておきますが、太田述正はイギリス軍と自衛隊の防衛費のパフォーマンスの比較をしたのであり、戦力比較と言うのとも意味合いが違っているはずです、誤解なきよう。
 『防衛庁再生宣言』の内容から離れますが、もし湾岸戦争やイラク戦争でイギリス軍が引き受けた任務を、自衛隊がかわりに引き受けることができたであろうか。そんな疑問が浮かんだ。おそらくは無理だったのでしょうけどもね。
 トータルシステムとしては使い物にならない自衛隊(41ページ)という指摘は正しいように思えて仕方がない。
 そして、太田述正は、このトータルシステムとしては使い物にならない自衛隊をつくりあげた元凶は吉田ドクトリンであると重要な指摘をしているのである。

→ここまでの拙著の読解、及び私と軍事愛好家諸君との議論の評価がいずれもおおむね的確であることに敬意を表します。(太田)

 太田述正は、日本はアメリカの属国になっている。と観察し、日本は国として自立しなければいけないと説く。
 日本がアメリカの属国だとは以前からよく言われていたと思いますが、ここまでしっかりと観察したうえで発言した個人はあまりいないだろうから『防衛庁再生宣言』は貴重な書物である。
 似たような主張としては岸田秀も『官僚病の起源』で日本はその成り立ち以来首尾一貫して植民地である、という観察をしていた。

→まさにそれは、当該拙著だけでなく、私のそれ以降の著述活動の中心的テーマです。(太田)

 『防衛庁再生宣言』に戻りますが、日本が国として自立を果たすための方策が詳述されているのですが、思いやり予算の減額、全廃にも話題が及んでいる。
 思いやり予算は日本がアメリカのいいなりになっているから支払っている、というのとも違っていて、日本政府が自発的にアメリカ軍に対して、お金をくれてやっているのに近いようだ。
 そして日本政府がアメリカ軍にお金をくれてやっているからというので、必ずしも日本の国防にプラスになっているのではなさそうだ。

 在日米軍の縮小案も用意周到に考えられている。
 もっと早くから、本書を読んでおけばよかったという気になった。

→そう言われるとうれしいですね。(太田)

 戦争と民主主義を論じている箇所がありましたが。ギリシャ時代には国民国家が発明されていなかったので、当時の民主主義とされる統治方法は国民国家が発明されて以後の民主主義と同じではないですね。もちろんそれは誰でもわかることです。私が何を言いたいのかというと。
 「国家は戦争をするためにある。戦争ができないのは国家ではない。」という歴史家の岡田英弘の指摘(『歴史とは何か』176ページ)などを想起して、では国民国家の役割の考察、国民国家の意味の変容の問題にも話題が及んでほしかったということです。
 EUと国民国家の関係の問題と軍事の問題も考察があれば内容がなお充実したと思いますが、2001年の時点ではそこまで考えるのは難しかったのかもしれませんね。
 2010年現在、世界人口の半数程度が都市人口のようだし、今後の世界では都市人口の絶対数も比率も間違いなく上昇する。都市人口の増加という形で世界の人口構成が変容すれば、国民国家とその常備軍の役目も必然的に変容するだろう。
 都市は国民国家の発明以前にあるものだから国民国家がなくとも人々は経済生活者として生きられる。都市人口の上昇と軍事の関係についても論じることができたら、大きい意義を持つだろう。

→「国民国家<とは、>・・・国王の下に、国民(ヒト)、国家資源(モノ・カネ)、カトリシズム(イデオロギー)を結集し、これらを手段として西欧における覇権の確立を図<ろうとして出現したところ>、これが民主主義独裁の露払いとなった」(コラム#148)というのが私の認識であり、あなたのような物の見方は、西欧の特異な歴史を一般化し過ぎているきらいがあります。(太田)

 私には大した意見は言えませんが、都市が高度に発展した世界では旧来型の軍隊は、世界の経済にとって害以外の何者でもないので世界の軍事は変わると思います。
 一つの都市の機能が停止すればそれだけで世界の経済へ何がしかの打撃になる。という事は十分ありうるので。正面装備をぶつけ合う戦争は、今後は滅多に起きなくなると思います。

→次第に軍隊が、国家政策遂行の手段から、国際警察機能遂行の手段へと変貌しつつあることは事実です。(太田)

 軍事支出の経済効果の章では高橋是清の名前が見える。
 経済学の分野でも高橋是清の経済策については評価が分かれているようですから私の意見としては特に言えることはないです。
 ただし、もはや正面装備をぶつけ合う形の戦争はあまりにも経済のロスが大きいので、もはや国の経済にプラスになることはないでしょうね。

→高橋財政の評価については、コラム#4337を参照して下さい。(太田)

 イギリスと日本の文化比較については納得いかない箇所が目立ちます。イギリスの人々は魔女狩りはしていないかもしれませんが、アフリカや中東やアジアなどで、残忍で冷酷な所業を重ねてきたのですから、多元主義と寛容の精神を持っているという主張は受け入れがたい。
 また日本についても、日本とは時代的にも地理的にもどこからどこまでかという問題を明瞭に答えていない雰囲気がある。だから和人によるアイヌ人への征服行為などの歴史もあるし。それに似た例は探せば多く見つかると思う。日本もまた多元主義と寛容の精神を持っているとは言いがたい。

→特定の人間や社会の評価は、その時代環境に即した形で、かつ、他との比較において、相対的になされるべきものです。
 イギリス社会と日本社会は、いつの時代においても、その他の社会と比較しておおむね相対的に多元主義的で寛容であった、と言えますよ。(太田)

 日本のエリート教育の問題について旧制高校のあたりから「全エリートが文武両道を身につけた、日本の武士的伝統は断絶(200ページ)」と記述があります、しかし誰でもわかると思いますがいわゆる武士的伝統というのはそもそもフィクションでしょうね。
 養老孟司にしても橋本治にしても、江戸期の日本には身体(思想)が消失している。江戸には身体がない。という観察を『日本人の身体観の歴史』『身体の文学史』や『江戸にフランス革命を』でしていました。
 養老孟司にしても橋本治にしても日本人の身体思想、身体観について現代日本は江戸時代の延長上にあると観察しています。
 養老孟司は戦時中でも日本人の身体思想の欠如が様々な場面に現れていたという観察をしていました。
 日本は江戸時代のころから身体思想の欠如の問題を抱えていたようなので、武士道などありえなかったと思います。

→戦後日本の論壇に見るべきものはないと私は思っています。戦前の、例えば、新渡戸稲造の『武士道』をどうとらえるかです。
 なお、養老孟司とは同じタクシーに乗り合わせて一度話し込んだことがありますが、彼の文章に接したことはないので、軽率な評価は慎まなければなりませんが、彼、自分の専門分野ですら余り業績を残していないよう(コラム#2280)ですねえ。
 橋本治については、皆目見当もつきません。ゴメンなさい。(太田)

 『歴史とは何か』に説明されている岡田英弘の観察によると日本はその成り立ち(7世紀)以来、鎖国が国是であったという。
 だから、その基本的な日本文化の特質が簡単に変容することはないと思います。
 吉田ドクトリンにしても、そもそも鎖国によって成り立っていた国である日本人の心を捉えたのは、当たり前だとも言える。

→そのような岡田の指摘は、日本について、私の言うところの、縄文モードだけをとらえた偏頗なものです。弥生モードにも着目しなければなりません。(太田)

 太田述正は子供のころは海外で生活していたこともあるようだし、その後海外に留学もした。
 だから、思いやり予算その他米国へ税金を垂れ流す日本人を、自立心がないと捉えたのだろうし。国家の主権を意識していない、と捉えたのだろう。

 対中国問題を考えても日本は中国に対して多額のODAや支援をしてきたのであるから中国にとっても日本は属国なのでしょうね。
 日本は特に脅されもせずに他国に対して熱心にお金を支払ってきている。
 それを考えると日本は国防が有効に機能していないといえる。
 他国の言いなりになって、あるいは自発的に金を支払ったら、正面装備がいくらあっても、国防は機能していないとなるだろう。
 太田述正の本を読んでそういった問題を、それなりに考えることができるようになった。

→発展途上国に対して様々な形の支援を先進諸国が行うのは当然のことであり、それは宗主国への「思いやり」とは全く次元が違う話です。(太田)

 日本という国の中で国防を考え実行するのは本当に大変だろう。
 しかし、世界は確実に変わりつつあるのだから、吉田ドクトリンの廃棄も考えに入れたうえで国防を考え直す必要がでているのだろう。
 『防衛庁再生宣言』はその叩き台としては十分な役目を果たせるにちがいない。
 『防衛庁再生宣言』は日本人にとって国家とは何か主権とは何かという問題まで考えさせてくれる面白い本なので、改訂版も出せばいいと思います。太田述正はこれだけ充実した内容の本が書けるのだから今後の執筆活動に期待したい。

→どうもありがとう。(太田)

 あまりうまく書けなかったですが私の感想としてはこんなものだ。
 瑣末な間違いの指摘に終始しても何の意味もないだろうにね。
 なにかの本に疑問点や間違いがあるのが当たり前。間違いの指摘に終始せずに意見の表明ができるかどうか。これが問題なのだろう。

<太田>

 大長編の書評、お疲れ様でした。


 それでは、記事の紹介です。

 もともとの茶会事件・・これも米独立戦争の引き金の一つとなった・・についての詳細な説明がなされていた。↓

 <茶会事件の「主役」は東インド会社だったんだ!↓>
 ・・・The tea had come from China. The sugar with which people ordinarily drank tea came from plantations in the West Indies. And the tea was being shipped by the British East India Company, which was increasingly becoming an imperial power in South Asia. So really it is a story of world importance. ・・・
 ・・・the British government・・・<did>n't give the Americans the tax relief they were asking for. Instead of repealing a tea duty that had been imposed in 1767, they give this significant tax break to the East India Company to unload its surplus of tea on the American market ? 17 million pounds of tea had piled up in the Company's British warehouses, unsold in Britain because of competition from smugglers. ・・・
 <第二次世界大戦の最中だけじゃなく、18世紀にも英国は、ベンガルで大飢饉を出来させてるんだね。↓>
 Before the 1760s, the Company wasn't much on the Americans' radar. But after they start hearing the news of the Great Famine of Bengal in 1769 [where East India Company avarice and mismanagement led to as many as ten million Indian deaths] and after they hear about the provisions of the Tea Act, which seems to favor the East India Company and its better lobbying connections over the poor American colonies, that's when they start to get really angry about it. ・・・
  ・・・[colonial Americans] also had fears about the East India Company monopoly extending to other products and that it would raise prices on them without allowing homegrown competition. It was not nearly about high taxes. As most people who know a bit about the Boston Tea Party will tell you, the Tea Act was actually going to lower the cost of tea for Americans.・・・
http://www.time.com/time/nation/article/0,8599,2031687,00.html
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太田述正コラム#4384(2010.11.18)
<米人種主義的帝国主義の構造(その3)>

→非公開