太田述正コラム#4298(2010.10.6)
<映画評論14:エリザベス1世 〜愛と陰謀の王宮〜(その1)>(2010.11.6公開)

1 始めに

 予告通り、英国のTVシリーズの『エリザベス1世 〜愛と陰謀の王宮〜』(前編・後編)
http://movie-sakura.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/1-f534.html
(9月27日アクセス)
http://blog.goo.ne.jp/katsu1021/e/d750a4cae14d354cf195ec55650a8e69
http://en.wikipedia.org/wiki/Elizabeth_I_(TV_series)
の映画評論をお送りします。
 と申し上げたけれど、まともに書けば、『エリザベス/エリザベス ゴールデン・エイジ』の「評論」とほとんどだぶってしまいます。
 もともと、『エリザベス/エリザベス ゴールデン・エイジ』の「評論」は、映画に触発された随想のようなものでしたが、今回のものは、前回の随想とだぶらないように書いたところの、前回に輪をかけて随想的な「評論」である、とご理解下さい。
 なお、このTVシリーズ、第58回エミー賞において、ミニシリーズ部門9部門で受賞した優れものですが、特に前編のドラマとしての出来は傑出していると思います。
 まだ鑑賞していない方は必見です。
 主演は、名優ヘレン・ミレンです。

A:http://en.wikipedia.org/wiki/Robert_Cecil,_1st_Earl_of_Salisbury
(10月5日アクセス。以下同じ)
B:http://en.wikipedia.org/wiki/Secretary_of_State_(England)
C:http://en.wikipedia.org/wiki/Her_Majesty%27s_Most_Honourable_Privy_Council
D:http://en.wikipedia.org/wiki/Francis_Bacon
E:http://en.wikipedia.org/wiki/Attorney_General_for_England_and_Wales
F:http://en.wikipedia.org/wiki/Francis_Walsingham
G:http://en.wikipedia.org/wiki/William_Cecil,_1st_Baron_Burghley
H:http://en.wikipedia.org/wiki/Edward_Coke
I:http://en.wikipedia.org/wiki/Robert_Devereux,_2nd_Earl_of_Essex
(10月6日アクセス。以下同じ)
J:http://en.wikipedia.org/wiki/Robert_Dudley,_Earl_of_Leicester

2 随想:エリザベスの廷臣達と近代統治機構の確立

 (1)廷臣達

 エリザベスを支えた主要な廷臣達は、皆このTVシリーズに登場する面々ですが、次の通りです。

・レスター伯1世・ロバート・ダドレイ(Robert Dudley, 1st Earl of Leicester。1532〜88年):
 公私ともエリザベスを支えた寵臣の第一。(J)

・ウィリアム・セシル(William Cesil, 1st Baron Burghley。1521〜98年):
 エドワード6世の時に2人の国務秘書(Secretary of State)(注1)のうちの1人に任命され、その後エリザベスの国王就任に伴い、再度国務秘書となり、その後財務卿(Lord High Treasurer)になる。

 (注1)従来、イギリス国王には1人の秘書しかいなかったが、ヘンリー8世の治世の末期に2人になった。エリザベスの治世の末期に、秘書は国務秘書と呼ばれるようになる。(B)

 彼は、枢密院(Privy Council)(注2)の指導者として、エリザベスの筆頭補佐官的役割を務め続けた。

 (注2)もともとは、立法・行政・司法の全般にわたってイギリス国王を補佐する機関だった。
 その後次第に、立法は議会が、司法は裁判所が担うようになったが、枢密院は裁判所機能も部分的に持ち続けた・・その中から刑事裁判を行うことができる星室庁裁判所(Court of the Star Chamber)が成立して行った・・し、国王が法律に代わる勅令を発する権限を部分的に維持していたので、枢密院は勅令を起草する機能も持ち続けた。
 枢密院には1、558年時点で40名のメンバーがいた。
 その後、イギリス国王は、枢密院の小委員会にもっぱら補佐させることとなり、やがてこれが内閣になって行く。(C)

・フランシス・ウォルシンガム(Sir Francis Walsingham。1532?〜1590年):
 ウィリアム・セシルが国務秘書を辞めた後、国務秘書に任命され、間もなく、唯一の国務秘書となり、死ぬまで同職を務めた。
 彼は、エリザベスの諜報担当(spymaster)として、外国諜報、国内諜報にわたって辣腕を振るった。
 彼は、近代的官僚の原型とも評される。(F)

・レスター伯2世・ロバート・デヴェルー(Robert Devereux, 2nd Earl of Essex。1565〜1601年):
 公私ともエリザベスを支えた寵臣の第二。
 レスター伯1世の再婚相手の連れ子。
 アイルランド叛乱鎮圧軍の司令官としての不行跡のために自宅軟禁状態となり、その後クーデター未遂事件を引き起こし、反逆罪で処刑される。(I)

・ロバート・セシル(Sir Robert Cesil, 1st Earl of Salisbury。1563?〜1612年):
 1590年のウォルシンガムの死去に伴い、国務秘書に任命される。
 ウィリアム・セシルの実子で、1598年の父の死後、エリザベス、次いでジェームス1世の筆頭補佐官的役割を務め続ける。(A)

・エドワード・コーク(Sir Edward Coke。1552〜1634年) :
 1594年に競争相手のフランシス・ベーコンを退けて訟務長官(Attorney General)に任命される。
 彼が書いたコモンローに関する本は、150年近くにわたってイギリス法圏において、権威ある法の教科書であり続けた。(E、H)(コラム#90、4066)

・フランシス・ベーコン(Francis Bacon, 1st Viscount Saint Alban。1561〜1626年):
 レスター伯2世の子分格だったが、その推薦にもかかわらず、訟務長官の座を争ったコークに破れる。
 後に、皮肉なことに、このレスター伯2世の大逆罪容疑の捜査を担当させられ、更に大逆罪裁判において、コーク裁判長の下で裁判官を務める。
 ジェームス1世の時代の1613年、ようやくベーコンは訟務長官になる。
 なお、ベーコンは、イギリス経験論を確立した哲学者として知られることになる。(E、D)(コラム#88、1467、1489、4066、4201、4296)

 (2)廷臣達の傑出性

 エリザベスは、4歳の時から17歳になるまで、次々に3人の家庭教師(4〜11歳、11〜15歳、15〜17歳)から、当時のイギリス人女性として最高の教育を受けました。
 最初の家庭教師(女性)は、エリザベスに、天文学、地理、歴史、数学、フランス語、フラマン語、イタリア語、スペイン語を教えました。
 そして、3番目の家庭教師(2番目同様男性)は、ギリシャ語とラテン語を教えました。
http://en.wikipedia.org/wiki/Elizabeth_I_of_England
http://en.wikipedia.org/wiki/Catherine_Champernowne
http://en.wikipedia.org/wiki/Roger_Ascham

 以上の廷臣達は、そんな女性としての最高の知識人であったエリザベスにふさわしい傑出した人々でした。

(続く)