太田述正コラム#4090(2010.6.24)
<米帝国主義マークIIの構築者(その1)>(2010.11.2公開)

1 始めに

 フィリップ・タージアン(Philip Terzian)の 'Architects of Power' は、私に言わせれば、米帝国主義マークI(人種主義的帝国主義)から米帝国主義マークII(日本型帝国主義)への転換を行ったのが誰かを追求した本です。
 もちろん、タージアン自身は、米国の典型的な保守主義者であり、私のこのような図式で米国現代史を見ているわけではないのですが、彼の提示する事実を別の角度から見ることによって、そのように読み解くことができる、というわけです。
 では、さっそくこの本の中身を、その書評をもとに紹介することにしましょう。

A:http://online.wsj.com/article/SB10001424052748704895204575320693072022332.html?mod=WSJ_Opinion_LEFTTopOpinion
(6月23日アクセス。以下同じ)
B:http://www.washingtontimes.com/news/2010/jun/14/the-road-to-us-internationalism/print/
C:http://www.projo.com/opinion/columnists/content/CL_achorn8_06-08-10_CHIOC4A_v11.1d6300a.html
D:http://www.annistonstar.com/view/full_story/7585042/article-H--Brandt-Ayers--Making-the-American-century?instance=columnistsPageAyers
E:http://corner.nationalreview.com/post/?q=NzZiMTIxYjU1ZmExY2JlNmI2ZTgzOTNmNTk4ZDYzMjI=

 ちなみに、タージアンは、米ウィークリースタンダード誌の書評担当編集者です。(B)

2 米帝国主義マークIIの構築者

 (1)序

 「・・・トーマス・ジェファーソンは、・・・「古い欧州は我々の肩に寄りかかり我々の傍らをよろよろ歩かなければならなくなるだろう。なんと巨大な存在に我々はなることだろうか」と自慢した。
 しかし、米国がこのような、北米大陸を超える、巨大な生き様(colossus-hood)を抱懐するに至ったのは比較的最近のことだ。

→19世紀末当時の米国の指導層の多くは、(20世紀初頭に大統領となる)セオドア・ローズベルトを始めとして、既にこのような「巨大な生き様を抱懐するに至っ」ていたことからタージアンは目を背けているように見えます。(太田)

 第一次世界大戦の後、ウォーレン・G・ハーディングは、「正常な状態への復帰(return to normalcy)」を約束し、「我が家における静謐さ」を「海外における平和よりもっと貴重なもの」として「戦争の熱を帯びた興奮状態」を拒絶することによって、大統領選で地滑り的な勝利を収めた。・・・」(B)

 (2)フランクリン・ローズベルト

 「・・・タージアン氏のテーマの核心は、ローズベルトが第二次世界大戦を、米帝国、ないしそれにほぼ相当するもの、を鍛えて造る機会と見たということだ。
 ローズベルトは、米西戦争・・それはカリブ海と西太平洋において米国に戦略的止まり木をいくつも勝ち取らせた・・を「熱心に支援」し続け、海軍省次官補として軍事力を擁護した。
 1937年という、まだ米国が準孤立主義的ムードにあった早い時点において、早くも、ローズベルトは、シカゴでの演説で、「我々は信頼と安全が崩壊した秩序なき世界においては完全な保護を得ることはできない」と述べている。
 ローズベルトは、1940年に、フランスの敗北と英国の孤立は、とりわけ米国がナチスドイツを敗北させることができれば、これまでにない機会(opening)を米国に与えたと直感した。
 ヒットラーの没落は、東方におけるソ連の勃興する力を踏まえれば、長期にわたるドイツの無力化へと導くだろうと。・・・」(A)

→フランクリン・ローズベルトの共産主義/ソ連音痴ぶり躍如といったところです。
 英仏の弱体化にほくそ笑み、ドイツの無力化を期しつつ、ソ連を利用するというローズベルトのKYぶりには度し難いものがあります。(太田)

 「・・・ローズベルトは、「欧米における民主主義の首席擁護者兼防衛者としての衣を、<米国民の間で>かかる感情が明確に流行っていないまさにその時に、熱心に纏った」とタージアンは断定する。

→日本帝国が民主主義国家であるということに目をつぶり、というよりローズベルト自身が人種主義によって目が曇らされていてそのことが分からず、日本帝国を崩壊させたのですから、何事か言わんやです。(太田)

 彼は、実際、「政治家としての技に長けていたので、<第二次世界大>戦中、連合国のヒットラーに対する戦争を維持することができた上、連合諸国から<米国が>感謝されていると言うこともでき、その一方で、<抜け目なく>米国の国益にとって有利な戦後風景を再形成して行ったのだ。」・・・

 「・・・「ローズベルトは、米国の力の追求において勤勉そのものであり、全球的リーダーシップの必要性について何の疑いの念も抱いていなかったというのに、今日においては、孤立主義の敵であって米国史上最大の軍事的企てを主宰した軍事司令官としてではなく、<もっぱら>米国の福祉国家の構築者として記憶されている」と彼は記す。・・・」(B)

 「<もっとも、このローズベルトの>二重性は、米国に良く貢献した。
 母親達に彼女たちの子供達は戦うことはないと約束することで、彼は、英国に莫大な援助を与えて同国が日本が真珠湾を攻撃して米国が否応なしに参戦するまでの間ナチスドイツに抗し続けさせつつ、もう一つの世界戦争に米国が係わることへの恐れをせきとめた。
 同様のプラグマティズムが、この戦争の後に出現するであろう世界についての彼の見解を支配していた。
 彼は、それを、米国とソ連の二極の形で見ており、小国たる同盟諸国をぞんざいに扱った。

→ダージアンは、ローズベルトが英国から世界覇権国としての地位を名実ともに奪い取ろうとしていた、ということを婉曲語法で語っているわけです。(太田)

 というのも、彼は、このような「戦後世界は、長い目で見ると、ソ連に挑戦し最終的にはソ連を堀崩すよううまく設計されている」と感じ取っていたからだ。・・・」(C)

→このローズベルトの予想は全く当たらなかったことを我々は知っています。
 ソ連がようやく崩壊したのは、その頃から半世紀も経った1991年でしたし、そもそも、ゴルバチョフさえソ連の指導者にならなければ、ソ連が1991年に崩壊するようなことはありえなかったからです。(太田)

(続く)