太田述正コラム#4284(2010.9.29)
<映画評論13:エリザベス/エリザベス ゴールデン・エイジ(その4)>(2010.10.29公開)

 シェカール・カプール監督は、これらの批判に対して以下のように反論しています。

 「この映画は、実際には、すこぶるつきに全くのところ、反カトリックじゃないんだ。
 それは、宗教の極端な諸形態に反対する映画なんだ。
 当時、スペインの教会、あるいはフェリペ2世は、全世界をカトリシズムの純粋な形態で染め上げると語っていた。・・・
 そんなのは、神の言葉の特異な一つの解釈であって、信仰(faith)を付随的(concomitant)なものと見なすエリザベスによる解釈に反するものだった。
 法王が彼女の処刑を命じたのは事実なのだ。
 彼は、誰であれ、エリザベスを処刑するか暗殺した者は天の王国で美しい場所を見出すだろうと言った。
 サルマン・カーン(Salman Khan)やサルマン・ラシュディー(Salman Rushdie)について語られたこの種の言葉を、そのほかどこで聞いたことがあるというのだ。
 これこそ、私がこの映画をつくった理由なんだから、カトリシズムとプロテスタント達との仲違いなんて発想はこの映画にはないんだ。
 私は、エリザベスについてはより大きな寛容<の追求を行った>という解釈であるのに対し、フェリペ2世については絶対的真理<の追求を行った>という解釈だ。
 彼女がこの種の女性的なエネルギーを持っていたことは完全に本当だ。
 それは、多様性ないし矛盾を包含する能力がないフェリペ2世と、それを行う女性的能力があったエリザベスとの間の紛争だった。・・・
 この映画は原理主義対寛容という観念から出発しているわけだ。
 カトリック対プロテスタントじゃないんだ。
 カトリシズムの原理主義的形態を問題にしているんだ。
 それは、スペインの異端審問の時代であり、<フェリペ2世は>彼女の臣民の半数がプロテスタントで半数がカトリックであった一人の女性<たるエリザベス>に敵対したのだ。
 彼女のプロテスタントの議会にはたくさんの凝り固まった人々がいて、「奴らを全部殺せ」と言ったものだが、彼女は常にノーと言い続けた。
 彼女は、常に寛容の側に立ったのだ。・・・」(a)

 こんな意図の下につくられたこの映画(後編)に、2008年9月の第11回平壌国際映画祭で賞の一つが授与された(a)のはジョークかと言いたくなりますね。

 このシェカール・カプールという人間、一筋縄で行かないのは、前編(1998年)と後編(2007年)の間に、彼は、映画『The Four Feathers』(2002年)・・スーダンで叛乱軍に包囲されて苦境に陥ったゴードン率いる英軍を救援する試みを描く・・
http://en.wikipedia.org/wiki/The_Four_Feathers_(2002_film)
の監督をやっており、この時は英国のタブロイド諸紙から、英軍と英帝国の描き方が反英的であるという非難を浴びていることです。
 彼が、当時のインタビューで、叛乱軍の首魁で狂信的なイスラム教指導者たるマーディ(Mahdi)について好意的に語ったことが、火に油を注いだ形でした。

 カプールの宗教が定かではないのですが、英領インドに、その後パキスタン領となるラホールに1945年に生まれ、その後、大学を含め、教育をニューデリーで受けたところを見ると、恐らくイスラム教徒ではなさそうです。
 ちなみに、彼が卒業した大学は、今はデリー大学の一環になっていますが、もともとはイギリス人が設立したカレッジです。
 (以上、特に断っていない限り、(c)による。)

 ここから、彼は、イギリス人的な物の考え方を身につけたために、かつてのカトリシズムやイスラム原理主義といった宗教原理主義に対して嫌悪感を抱いており、古里を逐われたことからパキスタン、ひいてはイスラム教に良い感情を持っておらず、かつまた、旧英領の人間として、イギリス式帝国主義にも批判的である、と解することができるのであって、そのように解して、初めて彼の監督としての諸作品や言動を矛盾なく説明ができる、と私は考えています。

4 とりとめなき感想

 (1)エリザベスと寵臣との関係

 地理的意味での欧州において、「メアリーも夫のスペイン王フェリペ2世に政治的干渉を受けていたため、実権を持つ単独の女王は<メアリーの異母妹の>エリザベスが初めてであるという見方もある」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B3%E7%8E%8B
(9月29日アクセス)という点だけでも、エリザベスのイギリス統治・・しかも寛容にして平和志向の統治だった・・は画期的でしたが、そのエリザベスが、本当に処女女王(Virgin Queen)で通したとすれば、仮にそれが全面的に真実ではなかったとしても、これまた画期的なことでした。
 というのは、映画(前後編)でこそ、レスター伯とは肉体的関係があったとものとして描かれていますが、史実上ははっきりしない上、その他にも彼女は何人もの男性たる寵臣と浮き名を流したにもかかわらず、映画上でも史実でも、彼等とは異性の友人として終始した・・彼等と「何とか」プラトニック・ラブを押し通した・・からです。

 プラトニック・ラブ(amor platonicus(ラテン語)→platonic love(英語))の概念は、15世紀にフィレンツェの学者のマルシリョ・フィツィノ(Marsilio Ficino)が、プラトンが『饗宴』で描いた、男性同士の肉体的愛と対置されるところの、最高レベルの愛である美そのものへの愛を、キリスト教の神への愛に置き換えて作り出したものです。
 この概念がイギリスに導入されたのは17世紀の前半、1630年代のことであり、しかも、それが、神と切り離された、セックス抜きの愛という意味で使われるようになったのは18世紀中頃になってからのことでした。
http://www.slate.com/id/2268641/
(9月28日アクセス)

 ということは、(少女時代の性的トラウマのせいもあったのでしょうが、)エリザベスは、時代を200年も先取りしていた、ということになるのかもしれません。
 16世紀当時、地理的意味での欧州では、まだ男女の力関係は圧倒的に女性に不利であり、結婚すれば夫や夫の一族の強い干渉を受ける可能性が強かったし、その夫が外国人であれば、イギリスの国政に外国の強い干渉を受けることになる、とエリザベスは考え、国王として、イギリスのために、(自分の性的トラウマを「活用」しつつ、)男性を愛してもプラトニック・ラブに徹するという試練を、生涯、自分に課したのではないか、と私は考えています。

 ところで、我々のような凡俗が、果たしてエリザベスの真似ができるものなのでしょうか。
 少なくともハリウッド映画は、障害がない限り、異性間の友情、すなわちプラトニックな愛情は、自然に恋情へと進み、自然にそれは更に(事実婚を含む)結婚へと進む、という観念に支配されているようです。
http://www.slate.com/id/2268714/
(9月29日アクセス)

 私自身は、男女間に友情は持続しえない、と考えている旨以前に申し上げたことがありますが、今でもその考えに変わりはありません。

 (2)エリザベス時代と日本

 最後に、映画(前後編)には全く出てこない話です。

 私は、『防衛庁再生宣言』194〜195頁で、16世紀から17世紀にかけて、ユーラシア大陸の西と東の端に位置する島国のイギリスと日本において、それぞれ、非寛容のカトリシズムを敵とする戦いが行われ、最終的にイギリスと日本は事実上の同盟関係となったと記しました。
 ウィリアム・アダムス(William Adams)が、1600年にイギリス人として初めて日本にやってきたのは、オランダ東インド会社の船の水先案内人としてであり、その背景には、イギリスとオランダが英西戦争(1585〜1604年)の間、同盟関係にあり、すんでのところで、エリザベスの寵臣の1人のレスター伯爵(オランダ派遣英軍司令官)が、オランダ議会によって元首(Stadtholder)に任命されかかった・・エリザベスの反対によって実現せず・・ほどの両国関係でありました。
 アダムスは家康に重用され、彼の尽力で日英間で通商諸条約が締結されます。(α)
 私の言う、事実上の第一次日英同盟の成立です。

 映画(後編)を見ていて、改めて、日英両国の歴史の同期と同盟関係の樹立はエリザベスのイギリス統治の賜である、と思った次第です。

(完)