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太田述正コラム#4178(2010.8.7)
<『憲法と歴史学』を読んで(その3)>(2010.9.7公開))

3 大日本「帝国」をめぐって

 小路田の筆のすべりは、どうして明治新政府が大日本「帝国」と名乗ったかについての彼の見解に関しても感じられます。

 「なぜ大日本帝国憲法は「帝国」という二文字を冠して呼ばれるようになったのかという問題です。帝国大学もそうですが、我々後世の者の目からみると、大日本帝国は極めて侵略的な側面をもつ国家であったから、そういう表現も生まれたのだろうということになりますが、それは多分違うと思います。命名されたのは日本が植民地を獲得する日清戦争以前のことですから、帝国大学のほうから類推してみると、「帝国」という言葉自身が普遍=ユニバーサル(ユニバーシティー)ということを表現しているのではないでしょうか。」(139頁)

 このような見解にも首を傾げざるをえません。
 小路田は、どうして自分が編集に携わった本に出てくる、(コラム#4138(未公開)、4145で紹介したところの、)

「日本が「東海の帝国」としての国家形成をめざした理由は、その前身である<日本列島の>王権が初めから帝国的性格を有していた点にあるようです。」(西谷地晴美)、「律令国家以前の段階で大和国家は実質的に<北部九州と朝鮮半島南部を包含した>帝国だったのであり、律令国家はその実が失われたあと、なおもその名を求めたものととらえることができると思う。」(若井敏明)

というお二人の指摘に一顧だに与えようとしないのでしょうか。

 私は、この二人の説については、ちょっとあたってみただけでも、極めて信憑性が高いと思います。

 まず、養老律令において、天皇が祭祀において「天子」、対外的には「皇帝」と呼称されるものと定めています。

 「天皇という呼称は律令(「儀制令」)に規定があり、養老令天子条において、祭祀においては「天子」、詔書においては「天皇」、華夷においては(対外的には)「皇帝」、上表(臣下が天皇に文書を奉ること)においては「陛下」、譲位した後は「太上天皇(だいじょうてんのう)」、外出時には「乗輿」、行幸時には「車駕」という7つの呼び方が定められているが、これらはあくまで書記(表記)に用いられるもので、どう書いてあっても読みは風俗(当時の習慣)に従って「すめみまのみこと」や「すめらみこと」等と称するとある(特に祭祀における「天子」は「すめみまのみこと」と読んだ)。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%9A%87

 それ以降、一例をあげれば、先代の天皇について、「先帝」・・先の皇帝・・という呼称が定着します。
 すなわち、『枕草子』(初稿は996年頃)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9E%95%E8%8D%89%E5%AD%90
第百七十五段には、「村上の先帝の御時に、雪のいみじう降りたりけるを、・・・」とあります 
http://orange.zero.jp/teru.oak/makuranosousi/murakami/index.html
し、1186年以来、現在の赤間神宮の境内で、その前年の壇ノ浦の戦いで入水して亡くなった安徳天皇を偲ぶ祭事が「先帝祭」という名称で行われてきています
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%88%E5%B8%9D%E7%A5%AD
し、『平家物語』(1309より前に成立)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%AE%B6%E7%89%A9%E8%AA%9E
巻第十一のタイトルは、「先帝身投(せんていみなげ)」です
http://roudoku-heike.seesaa.net/article/84533188.html
し、『太平記』(1370年頃までに成立)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E8%A8%98
第二巻(巻四?)は、1331年の元弘の変で光厳天皇に天皇の地位を譲って隠岐に流される後醍醐前天皇を描いているところ、そのタイトルは「先帝遷幸事」です。
http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/personal/fujiwara/taiheiki.rekisidokuhon.html

 これ以降も探せばいくらでも出てきそうです。
 「先帝」以外にも日本の帝国性を示す言葉を求めて日本史を渉猟してみるのも面白いかもしれません。

 このように見てくると、明治維新は王政復古として敢行されたわけであり、日本が再び名実ともに天皇の国になったと考えられた以上、日本の国号が「帝国」、すなわち皇帝の国、と定められたのは、まことに自然なことであったと言うべきでしょう。

 ところで、

 「天皇は、英語においては、通常、"(the) Emperor" と呼ばれる。今日、国際的に承認されている国家の元首(ないしそれに類似する地位)にある者でEmperor号を対外的に使用するのは、天皇のみである。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%9A%87

というのですから、日本は、現在でも諸外国から、元首たる皇帝をいただく帝国と受け止められていると言えるのかもしれません。
 となると、日本の国号を日本国とし、天皇についても元首であるかどうか判然としない日本国憲法と、天皇制の運用実態との間には乖離がある、ということになりそうです。
 (もちろん、実態において、現在の日本を帝国と見ることは困難です。
 沖縄が独立して、天皇制を維持した形のEU的スキームに日本と沖縄が加入するようになった暁には、日本帝国は名実ともに復活することになります。)
 ことほどさように、日本の憲法の規範性は希薄なのです。

(完)

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