太田述正コラム#3978(2010.4.29)
<ロバート・クレイギーとその戦い(続)(その8)>(2010.8.31公開)

 「しばしば英国、米国、及び支那自体の一定の人々の間で強く主張されるのは、英国政府が、英国が支那の日本に対する抵抗から大きな便益を得ていることを一貫して過小評価してきており、この<支那による>抵抗を支援するためにやっていることは少な過ぎるという点だ。
 この強い主張に対して、1939年末以降、(1942年のビルマ作戦への支那軍部隊の参加を除いて、)支那内での日本に対する大規模な軍事行動が行われていないこと、また、支那の過去2〜3年の戦略は、可能な限り入念に日本軍部隊との接触を避け、しかも、支那の友邦の利益に反して支那の広報機関は支那内部で<蒋介石政権の敵と>戦ってきた、と指摘することは、答えになっていない。」(211

→ここは、反語的な言い回しがなされていますが、結果的には、クレイギーが暗に主張しているところの、ハルが支那政府の要求を飲んで妥協的な案を取り下げて強硬なハルノートを日本につきつけたのはおかしいとの主張、を援護射撃するような形になってしまっているのは面白いところです。(太田)

 「・・・<英国政府は、>1940年12月19日には、支那政府のロイウィン(Loiwing)航空機工場のインドのバンガロール(Bangalore)への移転と、支那の軍用航空機のビルマでの生産を決定した。
 ・・・<また、>英国政府は、国際空軍<(コラム#2982)>のために米国から供与された100機のトマホーク(<Curtis P-40>Tomahawk)<戦闘機>
http://en.wikipedia.org/wiki/Curtiss_P-40 (太田)
と144機のヴァルティー(Vultee)<戦闘機>
http://en.wikipedia.org/wiki/Vultee_Aircraft (太田)
が使えるようにした。」(212)

→何だかんだ言いながらも、英国もまた、米国とともに、支那の蒋介石政権の側に立って、実質的に日支事変に参戦していた、と言ってもいいでしょう。(太田)

 (2)反論2

 「<松岡外相の仲介提案に対し、>欧州戦争においてどちら側に正義が存するかを指摘した上で、チャーチル氏は、自分が述べたことに照らし、この戦争の大義(cause)に関しては、それは領土でも貿易でも物質的利得でもなく、人類の未来全てがかかっていることから、妥協や対話の余地はない、という結論を伝えた。」(151)

→欧州的なもの、とりわけ民主主義独裁に対する嫌悪と、そのような欧州が民主主義独裁原理によって統一されることへの条件反射的な敵意が、アングロサクソンの上澄みたるチャーチルらにはあったことが、改めてよく分かるくだりですね。
 それにしても、チャーチルが欧州の外延たるロシアの民主主義独裁よりも欧州における民主主義独裁に目を奪われすぎていた感は否めません。(太田)

 「<チャーチルは、松岡外相が、イタリアで独伊寄りの姿勢をより鮮明に表明したことを知って、その後、更にモスクワを訪問していた松岡外相に対し、次のような書簡を極秘裏に届けた。>
 「果たしてドイツは、制海権なしに、そして英国<上空>の昼間の制空権もなしに、1941年の春、夏、または秋に英国に侵攻し征服することができるだろうか。
 そもそも、ドイツはそれを試みるだろうか。
 これらの問いに自ずから答えが出るまで待つことが日本の利益になるのではないのか。」(152)
 
→ここは、チャーチルが必ずしも、日本に対英米開戦させることを最優先課題としていたわけではない、ということを言いたかったのでしょうが、日本が英国に対してだけ開戦するのを単にチャーチルは恐れていた、というだけのことではないでしょうか。
 このチャーチルの懸念は、日本の南部インドシナ進駐によって、英米両国の結束が固まることによってようやく解消します。(162〜163)
 爾後、チャーチルは、日本を対英米開戦へと追い込むべく全力を傾注することになるわけです。(太田)

 「<その後、ワシントンで日米協議が始まってから、近衛首相がローズベルト大統領との首脳会談を希望してきたところ、><1941年>9月8日、ハル氏は<駐米英国大使の>ハリファックス卿に対し、近衛公は本当に解決を欲しているように見えると語った。・・・
 ハリファックス卿は、ハル氏が<米国の掲げてきた強硬な>原則を維持する意図を真面目に抱いていると感じつつも、ハル氏が、日本に乗ぜられて、本当の解決が可能であると信じ込まされる危険性がある、と感じた。」(170)

→米国が日本と妥協してしまうことに懸念を英国政府が抱き続けたことが分かるくだりです。
 チャーチルからハリファックス大使に対し、強硬な対米工作を行えとの訓令が下されていた、ということを髣髴とさせます。(太田)
 
(続く)