太田述正コラム#4094(2010.6.26)
<2010.6.26東京オフ会次第(その1)>(2010.7.26公開)

1 「講演」の最初に語る予定のこと

 本日は、四日市時代とスタンフォードから帰国した頃の知己が出席されています。
 そこで、予定していたものよりも、それぞれの時期にちなんだ話を少しふくらませてお話したいと思います。

 四日市時代と言えば、一番大きいのは、ピアノを始めたことです。
 読者が誰も翻訳してくれなかった、過去の「ディスカッション」の関連部分を翻訳を交えて以下に掲げましょう。

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コラム#4055より
 「父が習わせたピアノを4歳から中2まで相当熱心にやったことは、私に良かれ悪しかれ大きな影響を及ぼしているように思います。」と書いた(コラム#4051)が、それがどういうことか、以下を読むと分かるよ。↓

 ・・・音楽家は、普通の人より厚い脳梁(corpus callosum)を持っている。
 この脳の部位には、脳の右半球と左半球との関係を取り持つ機能がある。・・・
 音楽を演奏する場合も、音楽を聴く場合も、脳は異なった様々な仕事を脳の異なった部位にさせる。
 我々は、旋律を奏でる音の上下を選び出し、それを縫い合わせて一つの一貫性のある流れにする。
 我々は異なった楽器の音質を分別する。
 例えば、伴奏のピアノと歌手の声とを区別する。
 我々はリズムとハーモニー、及び、区切り(phrasing)や主題といったより大きな規模の構造といったものを把握する。
 これら全ての事柄が、我々の情的反応性を涵養する。
 また、演奏者は、良く調律された筋肉の動きと両手、両眼、両耳の間の連携を必要とする。
 合奏する時は、演奏者達は、他者がやっていることにほとんど無意識のうちに鋭敏でなければならない。・・
 ・・・音楽への「強度に愉楽的で情的な反応」を経験することは、セックス、ヤク、そして食べ物に係る幸福感を掌る脳の部位を活性化する。・・・
http://www.ft.com/cms/s/2/44993988-6f65-11df-9f43-00144feabdc0.html

 
コラム#4085より
 ちょっと前も申し上げたように、音楽って重要↓であり、実際、私に大きな影響を与えたんだろうと思います。↓

 <脳内出血によって左脳にある言語中枢が損傷した患者に歌を歌わせることによって、右脳の歌唱中枢に言語中枢的役割を演じさせることができるようになる、ということからも分かるように、>音楽は、それまで使われていなかった脳の部位を活用する一つの手段であると言えるかもしれない。・・・
 ・・・音楽的訓練は、読書といった他の仕事をする能力を高めるように見える。・・・
 ・・・音楽的訓練が、子供の教育で重要な役割を果たしてきた<ことには理由があるのだ。>・・・
http://news.bbc.co.uk/2/hi/science/nature/8526699.stm
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 要するに、私の決してできが良いわけはない脳が、音楽によって、各部位の機能が高められ、また、左脳と右脳との連携機能が向上することによって、ある種使える脳になった、ということではないか、と思うのです。

 スタンフォードから帰国した頃のことで、付け加えておきたいのは、元防衛事務次官で警察出身の久保卓也さんのお話を親しくうかがうことができたことです。
 『実名告発 防衛省』(219〜229頁)で詳述したところですが、経営学的視点で物事を見ることの重要性に目を啓かされたことです。 
 改めて、留学で政治学や行政学をやらずに、経営学を主体にやったのは正解だったと思いましたね。
 久保さんは、防衛庁/自衛隊の問題点を経営学的に明らかにされたわけですが、私は同じことを拡大して日本政府というより日本そのものについて行うことになるのです。

2 「講演」の最後に語る予定のこと

 何だかどこかの鳴かず飛ばずの大学教師が書いた「私の履歴書」のようなお話をしてしまいました。
 どうして私が「革命」家になったのか、という肝腎なことを聞かせて欲しいと思われた方もいらっしゃることでしょう。

 私は、防衛庁勤務を通じて、戦後日本が米国の属国(保護国)であると認識するに至り、それが日本の国としてのガバナンスの欠如を意味するのであって、論理必然的に日本の政官業の腐敗と退廃をもたらしていることに気付き、これを是正するためには日本が米国から「独立」するしか基本的に方法がないという結論を下した、ということです。
 このような発想は、恐らくスタンフォード・ビジネススクールで経営学を学び、かつ久保さんの薫陶を受けていなければ出てこなかったのではないかと思うのです。
 もっとも、だからといって、そのために50歳を過ぎてからの自分自身を捧げるかどうかは別問題です。
 どうして、私は、そんな大それたことを決意したのでしょうか。
 『饗宴』について、随分おちょくったような脚注をつけましたが、文学作品として『饗宴』をお読みになれば、そのような私を理解する鍵を発見できるかもしれませんよ。
 思わせぶりの話はそれくらいにしておき、それ以外の理由、ということになるわけですが、既にお話の中で触れたように、私は、スタンフォードへの留学だけでも、日本という国にお返しをしなければという気持ちになっていたところ、英国防大学への留学で、一層その気持ちが募ったことは確かです。
 
(続く)