太田述正ブログは移転しました 。
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太田述正コラム#4149(2010.7.24)
<皆さんとディスカッション(続x902)>

<太田>(ツイッターより)

(コラム#4147に関し)中西輝政の縄文・弥生論の中身、もうちょっと詳しく誰か教えてくれない? 
 入江 隆則も『海洋アジアと日本の将来』で同じようなことを言ってるらしいね(コラム#4133)。
 一体、一番早くこの種のこと唱えたの誰なんだろ。 
 ボク負けそう。

<べじたん>

 植田さんが#2932で触れられていましたが、たぶん『国民の文明史』ですよねえ。いかにも↓って感じじゃないですか。
「■主な内容
●縄文と弥生の変換システム(古代〜明治)」
http://www.amazon.co.jp/dp/4594042759

 中西・入江両教授、繋がりがあるようですね。
http://www.tsukurukai.com/08_simpo/simpo25_report.html

<FUKO>

 ・・・この本を斜め読みしたのですが、太田さんと同じようなことを言っているところがいくつかありました。興味深いです。↓

 入江隆則『海洋アジアと日本の将来』2004.7.25第一刷 より 

文明論の季節ふたたび(289頁〜)

 最近は文明論や文明史について語る人が、多くなったような気がする。
〜中略〜
 そう考えていた矢先に、そういう時代の雰囲気にぴたりと狙いをつけた本が出版された。中西輝政氏の『国民の文明史』である。中西氏は、日本史を数百年、数千年の単位で見て、文明史の法則を発見しようとする。中西氏はいろいろなコンセプトに注目しているが、その一つは、日本は一国にして一文明だという疑い得ない事実である。
〜中略〜
 最近では、日本は一国で一文明の比類のない存在だという考えは、多くの文明論学者たちに共有されている。
〜中略〜
 次に中西氏は、日本文明には「縄文」と「弥生」の交互共存という、文明の「超システム」があると言っている。
 これは「縄文」や「弥生」という言葉の中西氏流の使い方である。「縄文」はいわば、長くじっと忍従する女性的な状態である。江戸時代がそうであったように、自然と共存し、共同体の中で共生して、平和的に持続する姿である。しかし日本には明治維新に見られるように、瞬発適応的に、変動の時代に対処する「秘めたるダイナミズム」も存在する。中西氏はそれを「弥生的なるもの」と呼ぶ。
 「弥生的なるもの」によって危機の時代を乗り越えると、日本文明は再び「縄文的なる」忍従の局面に入る。この二つの組み合わせを、日本文明史のパターンをつくる「超システム」と考えようというのが、中西氏の考えである。これは見事な発想である。
 中西氏はこの「超システム」を天皇の存在に結びつけている。天皇というのは不思議な存在で、ふだんは水面下に沈んでいる。たとえば江戸時代の三百年がそうだった。しかし幕末に危機になると、突然、驚くべき力を発揮して、下級武士たちの精神の拠り所となり、短期間で明治維新を成功させてしまった、その後再び、天皇という存在それ自体としては忍従の局面に入るのだが、昭和二十年の敗戦という危機を迎えると、突如再び姿を現わして「瞬発適応的に」国難を乗り越える。中西氏はこの構造を古代から考え直したいというのである。
 もう一つ中西氏が「超システム」だとしているのは、日本文明が示す「換骨奪胎」の仕組みである。日本は外来の文明要素に対して、ほかの文明のように鋭く「対峙」するようには見えない。何でも受け入れてしまうかに見える。しかしそれは表面的な観察で、実は日本文明は、あらゆるものを日本的に変換するのである。しかもそれは「容赦のない」変換である。明治時代に受け入れた議会制度や、戦後受け入れた民主主義や、一九六〇年代にアメリカから受け入れた経営学などが例として挙げられている。その昔「儒教」を日本的な「儒学」として変換して受け入れたのもそうである。
 この二つの「超システム」の組み合わせによって、日本文明は自分自身であり得ているというのが中西氏の考えである。実は中西氏の基本的な見方は、部分的には別の言い方ですでに他の人々が指摘したことだと思われるし、私自身も似たようなことを何度か書いた覚えもある。しかしそれを二つの「超システム」という呼び方で謂わば公式化して、ダイナミックに展開したのは中西氏の功績である。
〜略〜

<太田>

 中西の『国民の文明史』が上梓されたのは2003年12月
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E8%A5%BF%E8%BC%9D%E6%94%BF
で、私が縄文・弥生交替史として日本史をとらえる考え方を初めて上梓したのは2003年4月24日(コラム#116)だから、中西がこの本より前に同様の考え方を公表していなければ、私の方が早いことになるわけだけど・・。
 (ちなみに、日本一国一文明説については、マックス・ヴェーバーだって確かそうだったし、かのハンティントンも『文明の衝突』でそう言ってるし、少しもめずらしいものではありません。)

 ところで、「天皇」については、不動点として縄文・弥生のサイクルを可能にしてきた存在であり、「換骨奪胎」については、弥生モードの時代は他文明からの輸入期、縄文モードの時代は「換骨奪胎」期だと見たらどうでしょうか。

 蛇足ながら、民主主義も経営学も戦後初輸入されたわけじゃありませんからね。

<δδγγ>(「たった一人の反乱」より)

≫「ウジ=ムラ」はハーモニー志向(縄文的)、「イエ」はメリトクラシー志向(弥生的)というイメージなんよ。≪(コラム#4147。太田)

 氏(うじ)は血族集団だから
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%8F
どう考えても中国大陸(弥生)的なんだが・・・。
 δγδγさんは家「イエ」は血族でなくても養子でいいんだから純日本的(縄文的)といってるように思うので、太田理論(太田氏のイメージによるものだが)とは反対ではないか?

<takahashi>

 ウジ(血縁集団)→イエ(擬似的・擬装的血縁集団)、これが日本の歴史かな。

 近代型イエ集団=海軍、国鉄、松下、慶応、三菱、巨人 etc
 近代型イエ集団は現在、劣化中→日本の危機

 ちなみに俺のイエ(takahashi家)のじいちゃん、ばあちゃんは入り婿、入り嫁、W家とN家の出身。完全にT家の血筋は絶たれているが、イエは存続中。

<δγγδ>(同上)

 俺の家も入り婿だよ。血縁は完全に絶たれてる。
 ただ入り婿に入った後に生まれた子がいて、それが別に家にいって、本来なら家を継承していたはずの血筋の人が別にいる・・・っつーのも何か変なシステムだな。

 ところでウジからイエに変化したととらえているようだが、もともと、ムラという地域共同体があって、イエはその地域共同体を維持する最小単位で、そのイエの維持(つまりムラという共同体の維持)のために養子システムができたって今、思いついたんだがどんなもんだろう?

<γδγδ>(同上)

 血筋っつーか「ご先祖様に申しわけない」っていう概念の有無強弱が中韓との決定的な相違じゃないの?
 日本社会の継続性を支えてきた意識として特筆されると思うね。

<takahashi>

 <δγγδサン、それ>あり得るかもな。それにしても、血筋が途絶えているのにイエは継続するのは異様だな。上杉謙信が藩祖の上杉家だって関東管領の上杉氏の血は入ってない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E6%9D%89%E8%AC%99%E4%BF%A1

 「孝」は古代中国の生命論全域にわたっていた。
 「完全な身体を父母から与えられたのだから、その完全なシステムを父母に返すこと、さらには祖先に返すこと、それが「孝」なのである。「身体髪膚、これを父母に受く。あえて毀着せざるは孝の始めなり」と『孝経』にもある。自分の身体は父母の遺体であり、父母の身体は祖父母の遺体なのである。」
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1205.html

 先祖崇拝は儒教だが、血の継続を前提にしているので、日本は儒教の劣等生か、変種だな。共同体(縄文モード)が儒教を変質させているんだろう。
 中韓は父系社会で、結婚しても女性の苗字は変わらんから、ここでも日本は中韓と別世界だ。

<太田>

 おのおのがた、「イエ」をもとにして人工的につくられた「家」(家制度)・・「嫡子単独相続が主流となった・・・南北朝時代以降<の>」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E5%AD%97
「武士階級の家父長制的な家族制度<(=イエ)(太田)>を基にして・・・1898年に制定された民法・・・において規定され<たが、>・・・1947年に・・・廃止された・・・家族制度」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%B6%E5%88%B6%E5%BA%A6
・・なんて、もともと日本の庶民とは無縁の存在だったのであり、現在もまた、我々の大部分は、そんなものとは無縁の世界に生きてるはずだぜ。

<γδγδ>(同上)

日本は昔から企業、官僚組織、ヤクザ一家、など全ての共同体が血縁家族を模した擬似家族形態で、 「身内」「親」「兄弟」のためだからという動機があって初めて結束できていたからな。
 基本的には身内同士が丸く治まれば他人はどうなってもいいという感覚。
 それが長年のとじこもり鎖国体質に合ってたんだろうな。最近は崩れてきたけど。

<太田>

 日本の一定規模以上の共同体は、基本的に、イエ(弥生)原理ではなく、ウジ≒ムラ(縄文)原理で動いてきた。
 日本型経済体制下の官僚機構や大企業もそうだ。

 しかし、ウジ≒ムラ原理じゃ、有事に対処できない。
 だから、イエ原理で動く武士・・弥生時代の渡来人達のリーダーの子孫たる貴族に率いられた軍事集団・・が治安の乱れた平安時代後期に登場したわけだ。
 武士同様、ヤクザもある意味で有事に対処するための共同体であることから、組の構成員は、ことごとく庶民出身であるにもかかわらず、イエ原理で動いてきた、と考えるべきだろう。 
 当然のことながら、武士とヤクザは鎖国体質とは無縁だ。

 さて、私が、ウジを縄文的と考え、かつウジ≒ムラと考えるゆえんは次のとおり。

 まず、ウジを縄文的と考えるゆえんだ↓。

 「・・・原始宗教<は>、世界各地で人が社会を持った太古の昔から自然発生的に生まれ、その様相はおしなべて同様である。その要素は、自然崇拝・精霊崇拝(アニミズム)、またはその延長線上にある先祖崇拝としての命・御魂・霊・神などの不可知な物質ではない生命の本質としてのものの概念や、常世(とこよ・神の国や天国や地獄)と現世(うつしよ・人の国や現実世界)からなる世界観と、禁足地や神域の存在と、それぞれを隔てる端境とその往来を妨げる結界や、祈祷・占い(シャーマニズム)による祈願祈念とその結果による政(まつりごと)の指針、国の創世と人の創世の神話の発生があげられる。
 ・・・神道<は、>・・・原始宗教がそのまま封建社会や中世を経て、近代化された後も現在まで排斥されず、引き継がれ<たものであり、>・・・、日本独特と<言える。>・・・」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E7%A5%9E%E9%81%93
 「・・・神道においては、古くから「氏」を名乗る部族や同族の祖先神及び守護神を基本とし、やがて中世以来発達した村落社会において祭った地域神をも包括して、一般に「氏神」といいます。・・・
 日本人は・・・亡き人の魂はいつまでもこの土地に留まって、愛しい人や子孫とともに生き、その幸せを見守ってとれると信じてきた・・・」
http://karatejka.web.fc2.com/inarix-site/soreisaisi/index.html

 次に、ウジ≒ムラと考えるゆえんだ↓。

 「・・・お盆は、先祖の霊を家にお迎えして供養し、家族一同でお祭りします。正月は大晦日から元旦まで、土地の鎮守や家の神々をお祭りし、明けては新年を祝って恒例の初詣や年始廻りをします。ですからお盆と正月には、家族が一斉に帰省し、家族単位に行われる、最も重要な、そして最も根強く行われてきている伝統行事です。・・・
 仏教に由来する行事と考えられている彼岸は、わが国にしかない行事で、豊作に欠か すことの出来ない太陽をまつり、祖霊の加護を祈る古くからの儀礼と結び付いたもの と云われています。・・・」
http://karatejka.web.fc2.com/inarix-site/soreisaisi/index.html 上掲

 ところで、支那や朝鮮半島の氏族と日本のウジの違いは、私としては、後者はムラ(地域)との習合体であるところに求めたらどうかと考えている。
 こう考えると、

 「古代の氏族制度が律令制に移行した後に、氏族格式そのものよりもその本人が属する家系や家族の方が重要になってきており、従来の氏(うじ)の中でもその家を区別する必要が現れた。・・・そのため、その家を現すためにその出身地を付けたのが名字の始まりと言われている。平安時代の貴族は母親の邸宅で育つため、その母方の邸宅のある地名などを名字につけた。貴族の初期の名字は一代限りのもので、号といい家名を現すものではなかったが、平安時代後期から家名となりその家系を示す様になってくる」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E5%AD%97 前掲

なんてことについてはもとより、

 「武士は自らの支配している土地の所有権を主張するために自分の所有する土地(本貫地)(名 - みょう)の地名<例えば「足利」>を名字として名乗り、それを代々継承した。・・・ただし、注意すべきは、名字(苗字)は異なろうとも姓(本姓)<例えば「源」>は同じということである」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E5%AD%97 上掲

なんてことまでも、理解が深まるような気がしてこないか。

<takahashi>

 吉野ヶ里のような環濠集落は櫓や堀を備えているが、これは古代版華僑の証だ。
 こんな集落は東アジア全域にあったのだろう。
 この集落は防衛に関することは集団で行ったが、基本単位は氏族、宗族だった。
 古代日本も同じだったが日本のみが村落共同体を発展させた。
 これは日本の風土が特異であったため農業もそれに順応した結果であり、その核心は農業用水の共同管理にある。
 水は農業に不可欠の要素であり、水を共同管理するということは、年中、他者との協調を強いられることを意味する。このことが、血族より共同体を尊重する風潮をつくりだし、血族を柔軟に考えるイエを生み出したのだろう。
 シナや朝鮮では、共同防衛の城壁を作るときは共同するが、農業生産が共同で行われず、単位は常に氏族だったのだ。

 日本の河川は世界でも稀な急勾配であり、山だらけの風土であり、古代日本では平野部は湖沼が多く水田は山裾にしか開けなかった。平野部が開拓されたのは室町末期からである。
http://www.water.go.jp/honsya/honsya/referenc/siryou/kagaku/0305.html
 日本では平らで水はけの良い平野がなく水田は山裾の傾斜地に開くしかない。
 日本の水田のイメージ
http://suido-ishizue.jp/daichi/part1/01/05.html

 「むらの中で、水は最終的に個々の農民によって利用されるものであったが、それは個人の自由に委ねられるべきではなかった。分散錯圃が存在していたからである。
 分散錯圃とは農民の耕作する小さい水田圃場が各所に分散し、相互にいりくんでいる状態である。隣接する水田の水は相互に干渉しあうから、個々の圃場での作物選択、水利用の自由は原則として成立しえない。
 しかも多くの場合は、『田越し灌漑』が普通であった。
 この方式は、いったん水路から水をとると、あとは田から田へ水を落としてゆくもので、多くの水田圃場群が、水をつうじて運命的に結合されてしまうのである。
 この水田圃場群を耕作する農民はもちろん複数であるから、当然、農民たちも運命的に結合されてしまうことになる。
 むらの集団主義は、このような基盤をもつことによってたえず再生産され、濃密化されるのである。 
 このように、むらは農民たちの運命的結合を基礎にして外敵と対抗する。対抗する敵は、やはり同じような村であり、用水組合である。そこで、村落社会は水の強迫観念を内在化し、濃縮された集団主義社会となるのである。
 農民のむらへの帰属が強烈に規範化されたゆえんも、この点にあったと見ることができるだろう。
 むらを、たんなる村落共同体とイメージするわけにはゆかないという意味がここにある。」(10〜11頁)
http://www.office-ebara.org/modules/xfsection02/article.php?articleid=11

 玉城 哲 (1928〜1983) 
http://www.h-ohta.jp/cyborg/TAMAKI.HTML
 「その後随分多くの機会を得て中国の水田地帯を訪ねたが、雲南省の棚田地帯で農業水利施設(用水路、分水施設等)の共同管理、用水の共同利用の事例に接した以外、平地水田地帯での共同管理、共同利用の典型事例に出会った経験は無い。棚田地帯では必然的なことで、インドネシアのバリ島のスバックでは、雲南省の事例と同様な実態を詳しく調査したことがある。」
http://www.another-staff.sakura.ne.jp/ja-souken/pdf/head/column22.pdf
http://www.another-staff.sakura.ne.jp/ja-souken/pdf/head/column23.pdf

 「日本の農民が過度に資源収奪的にならなかった直接の原因は、どうやら、むらにある。むらは、土地や水ばかりでなく、山林や採草地にいたるまで、厳格な慣習法的秩序をさだめ、競争的利用を抑制したのである。その秩序は、基本的に資源保全的性格のものであった。」
http://www.office-ebara.org/modules/xfsection02/article.php?articleid=11

<δγγδ>(同上)

 そうそう、takahashi氏が・・・<コラム#4121で>言っていた日本人 中国南部発祥説は文献からも確認されますよ。
 それによると日本人は呉の太白の子孫だそうです。↓
http://blogs.yahoo.co.jp/raccoon21jp/34091551.html

 江戸時代まで、この伝承は伝わっていました。
 林羅山などの儒学者が支持し、徳川光圀がこれを嘆いて歴史書編纂を志したのが『大日本史』執筆の動機だったそーです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%89_(%E6%98%A5%E7%A7%8B)

 <また、上でtakahashi氏が言っている>

>共同体(縄文モード)が儒教を変質させているんだろう

<についてだが、>もともと儒教も仏教も日本は”宗教”としてではなく”学問”として受け入れているんだよね。
 だから儒教を普及させた徳川綱吉なんかは「儒教と仏教はそれぞれ一長一短がある。
 それぞれのいいところだけ取り入れればいい」なんて考えだから日本にあった形になるのは当然。

 で、その村落共同体が様々な機能集団に潜り込んだのが明治維新以来の日本の真の姿だといい。
 大日本帝国ならぬ小日本ムラ(共同体)が形成されたというのが小室直樹氏の説。

 小林よしのりなんかは女系天皇説を押し通すために天皇制もそういった原初日本の伝統を取り入れ、本来からある日本のシステムにすべきだなんて言っていながら養子システムはダメなんだから論理破綻している。

<takahashi>

 シナ・朝鮮の水田・農業水利のパターン

1.平らで水はけの良い平野部に水田を開く。
 少数民族等の弱い立場の者が山や谷に水田を開く。

2.水路から水を汲み上げ、自分もしくは他人を使って自分の田へ水を入れる。
 金持ちは人夫を雇って、水路から大量の水を揚水することが可能。

 これらは、俺が参議院選挙の日にネットと本で調べたものだ。
 いまいち、確信がもてないので放置していたが、テレビで中国内陸部の村のことを思い出して確信に変わった。
 テレビ番組の内容はこんな感じだったと思う。番組名は途中からだったので忘れてしまったが・・・。
 「10軒程度の寒村で水はすべて各自が個人所有の井戸に依存していた。
 井戸には当たり外れがあり、良い井戸の水はきれいだが、悪い井戸の水は汚染されていて品質が悪く農作物、家畜、家族のすべてに悪影響をもたらす。
 良い井戸の所有者の家族は裕福で、悪い井戸の所有者の家族は工場に出稼ぎに出ている。なぜ、寒村なのに井戸の共同使用がないのか不思議でならなかったものだ。」

>江戸時代まで、この伝承は伝わっていました。<(δγγδ)

 江戸時代まで伝承が伝わってのは面白いねえ。
 これも面白いと思うんだ。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h15/jog304.html

 中国南部の少数民族、苗族。歌も農業の形態も、面白い。
 棚田だから古代日本と全く同じ農業形態のはずだ。

>儒教と仏教はそれぞれ一長一短がある。それぞれのいいところだけ取り入れればいい<(同上)

 日本人は究極のプラグマティストだな。
 韓国人は原理主義者。
 中国人がいまいち、わからんのだよな。なんせ、デカすぎる。

 おっと、忘れてた。これも参議院選の日に調べたものだ。
 なんせ、この雨の日は30分しか外出せず、ネット漬けだったからな(笑)。
 今日は蔵出しだ。もう当分は蔵出しはないだろう。

 ローマ帝国        欧州       アングロサクソン
キリスト教(カトリック)    偏重    16世紀にカトリックから離脱
               宗派抗争      英国国教会・中庸
皇帝システム(民主独裁)  絶対君主制       制限君主制
               民主独裁      議会制民主主義


   シナ文明         朝鮮          日本
    儒教         原理主義化      学問・国学の誕生      
 科挙による選別    科挙による両班の登用    世襲・実力主義
中国仏教の興隆・衰退  李朝による仏教弾圧    仏教の国教化・世俗化
   易姓革命        易姓革命         天皇制
 巨大権力の成立       党派抗争       権威と権力の分離

李朝の仏教弾圧
http://koreaphoto.hp.infoseek.co.jp/buddhism.html
儒教の原理化 
http://blog.goo.ne.jp/kanime_korea/e/980b324446339f2aae4c119855ae4e0e

 現在の韓国のキリスト教のクレイジーぶりと儒教の原理化は酷似している。
 朝鮮半島と欧州も酷似しているように感じる。
 これは偶然ではないだろう。
 外国と陸続きはしゃれにならんこともあるということだ。

 「日本列島は、適度に大陸から離れています。適度というのは、大規模な侵略を受けるほどには近過ぎず、文明が伝わってくるには十分に近いということです。
 地政学的に日本は、そういう幸運な位置を占めていました。
 日本が大陸から離れているために、群衆レベルでの接触は困難でした。
 儒教や仏教といった大陸の思想は、いきなり大衆に伝わるのでなく、まずは支配層に伝わることとなります。それが、日本の中で上(支配層)から下(大衆)へ少しずつ浸み込んできて、日本古来の原型思想と様々な混合比率で溶け合います。古来の原型思想をぶち壊してそれに置き換わるというような事態は起きないのです。ですから、日本の宗教や思想は、外来のものでもその中に必ず日本の原型思想が確かに息づいています。」
http://takezawa.iza.ne.jp/blog/folder/128103/

↑このサイトの過去ログもいい。
 俺は散々、韓国のクレイジーぶりを書いてきたが、ちょっと同情する。
 悲惨な場所、悲惨な歴史、狂っても仕方ない。
 俺は心療内科の患者を3人ほど、世話したことがあるのでよくわかる。
 短期では絶対、直らんのだ。
 人間とは悲しいものだ。

 水田が開墾されてしまうと水の配分をめぐって「水争い」が始まる。
http://suido-ishizue.jp/nihon/12/03.html 

 水争いは村内部のこともあれば、村どうしが激しく対立することもあった。
 ここでも、調停、団結が必要になる。
 日本では水と安全はタダである。
 都会人 山本七平
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E4%B8%83%E5%B9%B3

↑これは嘘であると、兵頭二十八氏が言っています。

<太田>

 皆さんサンキュー。
 ちと得体の知れぬ典拠も登場してたけど、日本と支那の違いについては、おかげで大分すっきりしてきたな。
 次々々著あたりに、私の日本史を盛り込めるか、お立ち会い。
<γδγδ>(同上)

 日本に対する極東でのソ連軍の勝利が第二次大戦の終結になったことは「歴史的事実だ」ロシアのミロノフ上院議長
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100720/plc1007200000009-n1.htm

 「勝利が」っつーより「参戦が」だろうけど。
 ハセガワの著作の書評を想起させるね。

<H.K>

 <コラム#4060>「米国の倨傲(その2」<を読みました。>

 ジョン・マクマリーが著書「平和はいかに失われたか」の元となるメモランダムを国務省に提出したのは、1935年。彼は、「日本を満州事変に追い込んだのは中国であり、ワシントン体制を破壊した責任を負っているのは中国。」「このままアメリカが中国の側に立って日本との対立を深めていくようなことをすれば、新たな世界大戦が引き起こされ、そうなるとコミンテルンによって共産主義が全アジアに蔓延する結果になりかねない。」と書いている。
 1938年、ロンドンで一冊の本が出版された。タイトルは「JAPAN IN CHINA」(邦訳「シナ大陸の真相」福井雄三訳、展転社)。著者はカール・カワカミという、当時アメリカ言論界の重鎮的存在であった日系アメリカ人。
 当時の日本の置かれた立場を世界に訴えるために書かれた。

 この二人に共通しているのは、ソ連による「赤色帝国主義」の脅威を訴えていること。
 西欧列強を倒すために、アジアの利権を維持できなくなるような状況を作り出し、必然的に経済破綻それによる暴力革命に導く共産主義浸透の「アジア迂回政策」への危惧。
 その舞台となったのが中国であり、戦後アジアへの共産主義の蔓延とその悲劇は、太田氏の言うように、アメリカのソ連と共産主義に対する無知が招いたものであり、日本に代わって共産主義と戦う羽目に陥ったアメリカに、日本への罪滅ぼしをさせるべきだ。
 安保ただ乗り、などと言わせるな。

 それにしても、日本人は敵の言うことを鵜呑みにし、いつまでも自らを自己否定し続けるのか?
 どうして、そんなに日本を否定したがるのか?
 東京裁判の擦り付けによって、イギリスのチャーチルは「これで、日本は百年立ち直れない」と語ったと言われる。
 日本人のおめでたいお人好しの精神異常は、理解の苦しむ。

<太田>

 Chaseさん、カワカミの話も次著で使えそうですね。
 ここのところ、いちいち注意喚起してませんが、どうぞよろしく。

<FUKO>

 日本が米国の保護国であるという説明において「保護国の定義」は核をなすと思いますが、太田コラムにおいては英語版ウィキペディアを引用しています。
 これでは論が若干弱くなってしまうのではないでしょうか?
 学術的なソースがあれば、教えていただきたいです。

 実は自分で国際法についての本(日本語著作)を4、5冊参照したのですが、基本中の基本すぎたのか、書いてなかった(見つけられなかった)ので…。

<べじたん>

>学術的なソース

 結構、いい感じじゃないですか↓

 「保護国関係においては、政治主体Bは別の政治主体AにBの安全保障政策に関する権限を譲渡している。言い換えれば、外部からの暴力によるBの危険性を減じるためにBが行うかもしれない全ての行為に関してAが完全な権限を持つ。以上のような、極端な権限関係は滅多に見られないことから、私は、Bがとる可能性がある安全保障行為の大部分(全てではない)に関する権限をAが行使するという安全保障的位階制の意味で、保護国という用語を使うことにする。」
 ・・・In a protectorate, one polity, B, cedes authority to another, A, over its security policy. In other words, A possesses complete authority over all actions that might possibly be undertaken by B to lower its risk of external violence. As above, such extreme authority relationships are seldom observed, and I use the term protectorate for security hierarchies in which A exercises authority over many (but not all) of B’s possible security actions. ・・・
http://weber.ucsd.edu/~dlake/documents/HierarchyinInternationalRelations.pdf のP130
http://weber.ucsd.edu/~dlake/documents/HIRFiguresandTables.pdf (図表の一部)
(以上は、2009年出版のHIERARCHY IN INTERNATIONAL RELATIONS
http://www.cornellpress.cornell.edu/cup_detail.taf?ti_id=5373
の草稿版。著者は、http://weber.ucsd.edu/~dlake/

 抄本らしき
http://www.ssc.upenn.edu/centers/brownecip/BCIP%20SS%20Papers/BCIP%20SS%20Papers%2004-05/Lake_04.21.05.pdfhttp://www.ssc.upenn.edu/centers/brownecip/Speaker%20Series.html より)
ものにも、上と同じ引用文が書かれていますが、P14の図1によると、HierarchyとAnarchyを、ProtectorateとAllianceを対語させています。
 肝心のsecurity hierarchiesの中身は、紹介する意味があればお願いしたいところです。

<太田>

 スゴイの見つけましたね。
 もうちょっと一般的なものとして、コロンビア電子百科事典なんてのはいかが?↓

 protectorate<=>in international law, a relationship in which one state surrenders part of its sovereignty to another. The subordinate state is called a protectorate. The term covers a great variety of relations, but typically the protected state gives up all or part of its control over foreign affairs while retaining a large measure of independence in internal matters. The relation may originate when the dominant power threatens or uses force or when the subordinate sees advantages (usually military protection) in the arrangement.・・・
 Today no state formally has the status of a protectorate, but several quasi-protectorates do exist, including the Cook Islands, the Marshall Islands, the Federated States of Micronesia, and Niue・・・
 The Columbia Electronic Encyclopedia Copyright © 2004.
http://www.reference.com/browse/protectorate

 上記記述↑に照らせば、日本は自発的に外交に係る一部(軍事力の保持)を放棄した保護国ってことになります。
 現在、世界に公式な保護国は一つもないが、保護国的なものはあるとしてその例があげられている↑けど、これらと日本とを比較してみるといいかもね。

 ところで、ウィキペディア、protectorateの定義には変更がないけど、amical(amicableと同義か) protection という項、以前気づかなかったのでここにコピペしておきました。↓

 Amical protection
 In the case of so-called amical protection, mainly extended by the great powers to fellow Christian (generally European) states and tiny ones without significant intrinsic importance, the terms may often be very favorable for the protectorate. The political interest of the protector is often moral (a matter of image, prestige, ideology, internal popularity, dynastic, historical or ethno-cultural ties, etc.), and/or countering a rival or enemy power (e.g. preventing the Ottoman Empire from maintaining or obtaining control of areas of strategic importance). This may involve a very weak protectorate surrendering control of its external relations, which may not constitute any real sacrifice, since the protectorate may not have been able to have similar use of them without the protector's strength.
 Wikipedia, the free encyclopedia © 2001-2006 Wikipedia contributors
http://www.reference.com/browse/protectorate 上掲

 宗主国米国の側の思惑を上記記述↑に照らして整理できそうですね。

<モッキー>

 「公務員改革など難しくはない。複雑な事をする必要はない。
 公務員組織の頂点にある事務次官ポスト一つを無くす事で官僚組織は崩壊する。 
 官僚はみな政治に従う事になる。」

 元外務省の天木直人さんのブログからですが、本当にそんなに単純なものなのですか?

<太田>

 文脈が分かりませんが、事務次官をなくしたら、今度は官房長が事務次官的な役割を果たすようになるだけのことです。
 そんなことで官僚組織が崩壊するワケないです!
 それに、何度も申し上げてきたことですが、現状のままでも、政治家さえその気になれば、官僚を政治に従わせることはできますよ。

<TK生その2>

 <コラム#1437>「筑駒の学校説明会で考えたこと」<を読み>ました。
http://blog.ohtan.net/archives/50954396.html#comments

 偶然見つけて立ち寄らせていただきました。
 息子が通っております。
 私にとっても息子にとっても、この学校以外興味ないというくらい惚れぬいての受験でした。
 2006年説明会というと私がはじめて筑駒の説明会に参加した年と同じです。
 私はその少し前に行った開成の説明会にとてもがっかりしていましたので、筑駒説明会では、副校長先生のお話はじめ、こどもたちをじっと見守りながらも、現場で熱心に教育されていらっしゃる先生方のお話にいたく感激した覚えがあります。
 そして、今、やはりこの学校に息子を入れてよかったと思っております。
 同じ説明会でも、こどもの教育について何を望むのかによって、だいぶ印象が異なるものなのかもしれません。 
 大事なこどもの志望校を選ぶにあたっては、ご家族で直接 学校説明会・行事などにまめに足を運び、納得のいく学校を選ぶことが重要だと感じました。

 すみません。ひとつ間違いがありました。私が参加した説明会は2007でした♪ 
 2008もいき、両方とも納得できた内容でしたので、2006もそれほどちがうものだったとは考えにくいですが・・。

<太田>

 コラム#4131でもこのコラムに係る投稿をご披露しましたが、学校側もこのコラム読んでおられ、説明会での話の内容等に配慮されるようになったという可能性はありえますね。
 いずれにせよ、どなたか、私がこのコラムで指摘した内容に即したコメントを寄せていただけるとありがたいのですが・・。

<タテジマ>

 なぜか判りませんが、村西とおる御大が前防衛事務次官の守屋武昌を語っておられます。
http://blog.muranishi-ch.com/new/news/blog.cgi

<太田>

 それでは、記事の紹介です。

 よし! ついに、民主党政権が女性に対するアファーマティブアクションに乗り出したぞ。↓

 「 政府の男女共同参画会議(議長=仙谷由人官房長官)は23日、2011年度から5年間に実施する第3次基本計画策定の素案をまとめ、菅直人首相に答申した。職場に占める女性の割合を法律で定めることなどが柱。政治分野への女性進出を後押しするため、候補者の一定割合を女性とする「クオータ制」(人数割当制)導入も明記した。・・・」
http://www.asahi.com/politics/update/0723/TKY201007230728.html

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 一人題名のない音楽会です。
 ベートーベンの2回目(完結篇)です。

ピアノ協奏曲第5番皇帝 ジメルマン/バーンスタイン(ウィーンフィル)。素晴らしい!
http://www.youtube.com/watch?v=dXyzpvxagwA&feature=related 以下

交響曲第3番英雄 カラヤン(ベルリンフィル)
http://www.youtube.com/watch?v=NdnUPUDQJVk 以下
 (お急ぎの方は、第2楽章だけどうぞ)
http://www.youtube.com/watch?v=O3CGmshBOmY&feature=related 以下
交響曲第5番運命 トスカニーニ(NBC管弦楽団)
http://www.youtube.com/watch?v=N6K_IuBsRM4&feature=related 以下
交響曲第6番田園 カラヤン(ベルリンフィル)
http://www.youtube.com/watch?v=ARXZnrM11bQ 以下
交響曲第9番合唱付
 トスカニーニ(NBC管弦楽団)
http://www.youtube.com/watch?v=N6K_IuBsRM4&feature=fvw 以下
 (参考)フルトヴェングラーによる最終場面 1942年4月20日(ヒットラーの誕生日)! これは見物。
http://www.youtube.com/watch?v=R7y08vr4ulI&feature=related

歌劇フィデリオ 親父のレコードのこの曲のジャケットが忘れられないので収録した。
 序曲 ハーノンコート(チューリッヒオペラ管弦楽団)
http://www.youtube.com/watch?v=v0Avp2Z9XS4&feature=related
 Quartett 'Mir ist so wunderbar" ジェームス・レヴァイン(メトロポリタンオペラ管弦楽団)
http://www.youtube.com/watch?v=PkB7MUT_0Dw&feature=watch_response
 囚人の合唱 (ロンドンフィル)
http://www.youtube.com/watch?v=6MF3IKyfgcg&feature=related
 フィナーレ 小澤征爾 
http://www.youtube.com/watch?v=KzacoNLZSXM&feature=related 以下

<大井浩明>

 明日、7/25(日)夕方17時30分より、
http://www.simulradio.jp/
で、女優柴田暦さんとの共演によるシェーンベルクの弟子エルヴィン・シュタイン《月に憑かれたピエロ》のデモ演奏がお聴き頂けます。トーク付きです。
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太田述正コラム#4150(2010.7.24)
<もう一人の戦犯ルース(その3)>

→非公開

太田述正ブログは移転しました 。
www.ohtan.net
www.ohtan.net/blog/