太田述正コラム#4088(2010.6.23)
<グラマー(性的魅力)について(その4)>(2010.7.23公開)

 (5)総括

 「・・・グラマーは、いつも術策(artifice)及び演技(performance)と結びつけられてきた。
 そして、洗練され、かつしばしば性的な魅惑(allure)の一形態を構成すると一般に見られてきた」と彼女は言う。
 彼女は、グラマーは、女性らしさ、消費者主義、大衆文化、ファッション、そして有名人の変化する解釈(construction)と織りなされてきた歴史がある、と付け加える。・・・」(A)

 「・・・ダイハウスは、誰でも、いや少なくともカネを持っている人なら誰でもグラマラスになれる、と主張しているように見える。・・・
 ダイハウスによれば、グラマーは、毛皮、宝飾品、メーキャップ、香水、衣料といったものからなるところの消耗品的商品なのだ。
 <彼女は、>きちょうめんに研究された事実と年代物の広告を用い<て以上のようなことを記す>。・・・」(C)

 「・・・かつては女性の<自己>逃避であったグラマーが、今や女性の牢獄となったのかどうかを尋ねたくなる。
 しかし、成人の女性は、単なる囚人、間抜け、或いは犠牲者ではないのであって、グラマーの周辺には遊びの余地があるのだ。
 そのことは、大勢の女性の演技者達、例えば、メイ・ウエスト(Mae West<。1893〜1980年。米国の俳優・戯曲作家・シナリオライター・セックスシンボル
http://en.wikipedia.org/wiki/Mae_West (太田)
>)、マレーネ・ディートリッヒ、マドンナ、ゴートニー・ラブ(Courtney Love<。1964年〜。米国のロック歌手・俳優
http://en.wikipedia.org/wiki/Courtney_Love (太田)
>)、そして最近では、栄光ある狂気(bonkers)たるレディー・ガガ(Lady Gaga<。1986年〜。米国のレコーディングアーティスト
http://en.wikipedia.org/wiki/Lady_Gaga (太田)
>)、によって例証されている。・・・」(B)

 「・・・さて、グラマーとは何だろうか?
 流行に合致している(fashionable)ことは常にグラマラスというわけではなく、また、グラマーはいつも流行に合致しているわけでもない」と彼女は言う。
 20世紀のファッションにおいては、グラマーには決まり文句がある。
 すなわち、きらびやかさ(glitter)、毛皮、しなやかで体の線を生かした(slinky)ドレス、温室栽培された花、<口紅を塗った>輝く赤い唇の一撃(slash)がそうだ。
、グラマーは贅沢と過剰に係るものなのだ。
 それは、権力、性的関心(sexuality)、そして非違行為(transgression)とを物語る。
 それは、同時に、愉楽、毛皮の感覚性(sensuousness)、絹製の豪華な(rich)生地に関するものでもあった。・・・
 ダイハウス教授は、グラマーが家父長制と経済的抑圧と結びつけられてきたと同時に、女性への権限移譲(feminine empowerment)とも結びつけられてきたことを発見した。
 「グラマラスな女性は、家父長制の質草というよりは、男性にとって危険な存在であり続けてきた」と彼女は言う。
 「しかし、私はここで権限移譲という言葉を使うことは本当のところ好まない、というのも、良い教育と高い給与の職ほど女性に権限移譲するものはないからだ。・・・」(A)

 「・・・果たして、グラマーは、女性に権限移譲をするのかそれとも女性を客体化してしまうのか。
 覚えておくべき重要なことは、女性はグラマーを実践するけれど、彼女達は単に男の凝視の対象ではないということだ。
 歴史的には、グラマラスな女性は、男性の犠牲であると見られてきたのと同じくらい、危険な存在であるとも見られてきた、ということだ。
 グラマーは、自己主張、性的自信、遊び好き(playfulness)、楽しみと喜び(pleasure and delight)を意味することが可能だ。
 しかし、結局のところ、良い教育と高い給与の職ほど女性に権限移譲するものはないのだ。・・・」(B)

 「結局、思うに、私としては、自分とダイハウスのどちらも正しいのであって、グラマーは、<私の思っているように>内面的な状態であると同時に<ダイハウスが主張しているように>外見的な状態だ、と言いたいところだ。
 ミシェル・オバマと同じように、私の祖母・・・は自分の野菜畑で穴を掘り返していた時も優雅だったが、ドレスと真珠を身につければ彼女はそれよりはるかにグラマラスになったのだ。・・・」(C)

 「・・・彼女の本の中で、・・・口紅は、かつてそうであっただけでなく、現在においても、誰にとっても近づきやすい変形的美たるグラマーの要(linchpin)なのだ。
 ダイハウスは、グラマーが到達しうる美であって、「どんな女性でもそう心がけさえすれば」達成できると主張する。・・・
 ダイハウスの本は、グラマーが革命的装置であるとの宣言だ。
 グラマーは、女性を気持ちよくさせてくれるだけでなく、女性解放を促進してもくれる。 
 「グラマーへの願望<を抱くこと>は、階級とジェンダーの規範の囚われ人となったり在来型の女性らしさを期待することを、大胆に拒否することを意味する。
 …それは、フツーの女性が、毎日の苦労から逃れるという夢に耽り、性的な力への関心を表明することを可能にするのだ」と彼女は言う。・・・
 ・・・<他方、>美容整形・・・<などというものを考えると、>どこまで術策を追求すれば、それはもはや美とは関係がなくなり、最終的に化け物的なものへと堕してしまうのだろうか。・・・」(E)

 「・・・女性は、依然として、自分の外見に投資をすることで男性よりはるかに多くのものを得ることができる。
 このことは嘆くべきかもしれないが、否定されることはまずない。・・・
 女性は、教育と雇用を通じて、より金持ちになり、より自律的になるほど、自分の外見にカネを使わなくなるどころか、よりカネを使ってきた。・・・」(F)

 「・・・女性の大部分は、今日において、かつてよりはるかに見栄えが良いし、従来老年とみなされてきた年齢帯になっても、前任者達よりも、恙なく見える。
 豊かさ、願望、より良い栄養、食餌への注意、運動、衣料、「美の文化」、そして化粧品といったすべてがこれに貢献した。・・・
 歴史の中でグラマーの役割を探求すると、それはしばしば、苦労と毎日からの逃走の夢だけでなく、願望と権限移譲の感覚の表明に貢献してきたことを示している。
 グラマラスな女性は、女性らしさに関する在来型の諸範例に倣うよりもそれに抗いつつ、しばしば自己所有(self-possession)的かつ自己主張的態度を表明してきた。
 グラマーは<、同時に、>しばしば逸脱的(transgressive)であると<も>受け止められてきた。・・・」(F)

3 終わりに

 女性は、自分の外見を演出できる余地が男性に比べてはるかに大きい存在である、ということが今更ながら、よく分かりました。
 また、20世紀以降、女性が自分の外見を演出する際に、その範例となっているのが、20世紀の米国、就中ハリウッド発祥のグローバルスタンダードたるグラマーであるということも・・。
 いささか遅きに失したけれど、これから、特定の女性がグラマラスであるかどうかの鑑識眼を養うぞ、と決意した次第です。

(完)