太田述正コラム#3914(2010.3.28)
<ニューディール・大統領・最高裁(その1)>(2010.7.15公開)

1 始めに

 ジェフ・シーソル(Jeff Shesol)が 'SUPREME POWER Franklin Roosevelt vs. the Supreme Court' を上梓したので、書評をもとに、その内容のさわりをご紹介し、米国における行政権と司法権との関係、更にはニューディールについて考えてみたいと思います。

A:http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2010/03/19/AR2010031901396_pf.html
(3月27日アクセス。以下同じ)
B:http://www.nytimes.com/2010/03/28/books/review/Brinkley-t.html?pagewanted=print
C:http://www.tnr.com/print/article/politics/1937-2010

 なお、この本は600頁を超える浩瀚さであり、著者のシーソルは、法律学教授でもなければ歴史学者でもなく、クリントン大統領のスピーチライターだった人物です。
 この本は一般読者向けに書かれたものですが、72頁におよぶ注と文献が付されており、彼の学識の深さがうかがえます。(C)

2 序

 「今年の一般教書演説における最もめずらしい光景は、間違いなく、最前列から6人の最高裁判事が眺めている前で、オバマ大統領によって最高裁判決非難がなされたことだ。
 極めて希なことであったのは、そもそも民主党の大統領が最高裁を攻撃したことではなく、サミュエル・A・アリトー・ジュニア(Samuel A. Alito,Jr.)判事が不同意だとして頭を振り、ぶつぶつつぶやいたことだ。・・・
 <というのも、以前にも民主党の大統領が最高裁を攻撃したことがあるからだ。>
 <フランクリン・>ローズベルトは、憲法上の理由でニューディール関係諸法を繰り返し無効としたことに苛立ち、70歳を超える在任の判事一人につき一人の新しい判事を任命するという提案を行った。
 これが実現すると、9人の判事からなる最高裁に6人の新たな判事を加えることが可能となる。
 このローズベルトの、いわゆる最高裁詰め物(court-packing)計画は、168日間に及ぶ激しい戦いの後、撤回された。
 これは、ローズベルトが大統領であった間において受けた最も屈辱的な譴責だった。・・・」(A)

3 あらまし

 「・・・<この>最高裁詰め物論争<は、>・・・双方の側が深い信念を抱いていた結果として生じた。
 最高裁の側には、米国の民主主義にとっての基本的諸原理に対する大きな危険と判事達に見えたものに対して闘うという使命感があった。
 <他方、>大統領府には、ニューディールを救うだけでなく、国家の回復を果たさねばという使命感があった。・・・
 最高裁詰め物論争が右派の憤怒を呼んだのは驚くべきことではない。
 というのも、彼等は、ローズベルトとニューディールを既に嫌悪しており、大統領府が独裁制を構築しつつあると信じていたからだ。
 それよりも大統領にとって驚きだったのは、怒りが彼自身の党<である民主党>から・・その堅固な進歩派の中からでさえ多数・・出たことだし、彼を支えることに同意した者達からさえも微温的な忠誠しか得られなかったことだ。
 この提案に対する多くの反対者達も、ローズベルトと、彼の最高裁の保守主義に対する狼狽の気持ちは共有していた。
 しかし、制度を勝手にいじることは、多くのリベラル達にとってさえ、過度な大統領権力行使にして憲法への脅威であるように映った。・・・
 <最高裁判事の>うち5人・・・は彼等が考慮すべきニューディール諸措置におおむね反対だった。
 残りの4人・・・は、大部分の場合、ニューディールを支持していた。・・・
 しかし、この<ローズベルトの>敗北はどれだけひどいものだったのだろうか。
 1937年のウェストコーストホテル対パリッシュ(West Coast Hotel Co. v. Parrish)裁判では、ワシントン州における最低賃金法が係争対象となったが、オーウェン・ロバーツ(Owen Roberts)判事は、リベラル派の判事達に与してこの法律の合憲性を認めた。
 (そのわずか1年前、彼は、保守派の判事達側に加わり、もう一つの最低賃金法を違憲であるとしていた。)
 その後の数ヶ月、ロバーツは、引き続き、大部分の判決でリベラル派に与した。
 そして、1937年中頃から、何名もの保守派の判事達が引退し、大統領にその人数だけの新しい判事を任命する機会を与え、最高裁のイデオロギー的均衡が変容を遂げた。
 シーソルは、この裁判所詰め物の話が、このような最高裁のふるまいの変化の原因であったかどうかについての学術論争には直接触れていない。
 ニューディールについての指導的歴史家達の幾ばくかによって支持されている伝統的な説では、ローズベルトからの圧力がロバーツと恐らくは他の判事達の立場を変化させたという主張がなされてきた。
 <他方、>大部分が法学者達であるところの他の歴史家達は、最高裁詰め物闘争は最高裁の変化にはほとんど影響を与えていないのであって、<この変化は、>この論争よりずっと以前からの憲法解釈のゆっくりとした着実な進化を反映したものである、という議論をしてきた。
 シーソルは、はっきりと自分の考えを述べてはいないものの、もっともらしい説は、この二つの解釈の間のどこかに落ち着くはずである、ということを示唆している。・・・
 <なお、>1937年に、ローズベルトが支持し、議会が承認した法律で、引退後も最高裁判事は在任中の給与相当額を与えられ続けることになった。
 このような特典がなかったために、高齢の判事の中には引退を躊躇する者がいたが、この年金が与えられるようになると、彼等のうちの何名かが引退したのだ。・・・」(B)

(続く)