太田述正コラム#4052(2010.6.5)
<神戸オフ会次第(その1)>(2010.7.5公開)

1 始めに

 行きは飛行機、帰りは寝台特急で神戸オフ会(講演会)に出てきました。
 東京在住のオフ会幹事団の一員であるTTさんが、高校・大学の同窓会出席のため、たまたま神戸に戻ってきており、神戸空港まで迎えに来てくれたおかげで、飛行機が10分遅れたにもかかわらず、今回幹事をした鯨馬さん、keizooさん・・もともとIT支援グループの一員でお世話になっていたのだが、初対面・・ご両名の予想よりもはるかに早く、13時10分頃に会場に到着できました(注1)。(「講演」開始は13時30分)

 (注1)途中、現在のNHK大河ドラマとゆかりの深い神戸海軍操練所
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%88%B8%E6%B5%B7%E8%BB%8D%E6%93%8D%E7%B7%B4%E6%89%80
脇を通ったが、観光客とおぼしき人3人が熱心に案内表示に見入っていた。
 なお、この大河ドラマは、現在、この操練所ではなく、大坂海軍塾(勝塾)
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1035649580
を中心に進行していることはご承知のとおりだ。

 上記3人の幹事に心から御礼申し上げます。

2 会次第

 出席者数は、私を除き12名で、1次会は同じく10名、2次会は9名、3次会は5名と結構盛会になりました。(3次会の場所には変更がありました。)
 1次会に3人も飛び入り参加された方がおり、うち1人は女性でした。
 この方は、「自発的」に太田オフ会に参加した2人目の女性という栄誉を担われたわけです。

 1次会での私の「講演」については、コラム#4051で最初の3分の1くらいの分の草稿をご披露したところですし、それに続く部分のレジメも事前に出席者の多くにお送りしてあったのですが、余りこれら、とりわけ草稿に、とらわれすぎないように心しながらお話申しあげたつもりです。
 お話ししたことを、上記草稿の範囲で(つまり、最初の3分の1くらいについて、)適宜紹介しましょう。

・私は、小1の時の1956年、生まれて初めて飛行機に乗って、カイロに向かって羽田から飛び立ったわけだが、東京の夜景を見て感傷的な気分になったことを、今回思いだした。
 また、10数年前に、揚陸強襲艦ベロ-ウッドの修理を佐世保に浮きドックを回航して行う旨を佐世保で佐世保重工の専務に会って仁義を切るため、密かに私が羽田を飛び立とうとしたところ、小さな防衛関連製造業の社長・・高校の先輩でもある・・と出っくわしてしまい、彼から私が長崎空港に向かう理由をずばり言いあてられて苦笑したことも思いだした。
・カイロで(2度目に)住んだマンションのオーナーのユダヤ人一家とは、そのマンションの同じフロアで向かい合わせだった。また、小学校で私と成績を競ったのはユダヤ人の女子生徒だった。
 ユダヤ人には金持ちが多く頭がよい、という私のユダヤ人イメージがこうして形成された。
・小学校での私の親友の一人がギリシャ人の男子生徒だったが、彼から(彼と別れてから半世紀経った)今から3年ほど前に、この小学校をインターネットで検索したら、そこを通じてNobmasa Ohtaのサイトにたどり着いたが、これはお前かというメールが届いた。
 彼は、ロンドン大学(注2)医学部付属病院の医師をしているというのだ。

 (注2)・・ロンドン大学の理工系カレッジであるImperial College of Science, Technology and Medicineは、2007年に同大学から独立。英国でオックスフォード、ケンブリッジに続く有名大学、ただし国立。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%B8%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%B3

 これは、英国で最も知られた医学部であり病院だから、彼、活躍しているわけだ。
・彼のケースもそうだが、上出のユダヤ人達も、皆、(我々一家が日本に帰国した以降、)エジプトから追い出されてしまった。
・私が日本(東京)に戻って転入した小学校(永田町小学校)は、国会議事堂の斜め向かいという場所柄から、海外からの参観者が多く、参観があるたびに私が英語で案内役をつとめさせられたものだ。
 このように結構大事にされた(重宝がられた?)わけだが、それでも私は、この小学校を含め、東京の水になじめなかった。

 その後の質疑応答、及び二次会、三次会での話題は多岐にわたり、要約するのは困難です。
 私(O)が語ったことを中心に、順不同で思いつくままにいくつかの話題をあげてみましょう。

O:属国であり続けるか、米国と合邦するか、米国から「独立」するか、という三択問題が日本人につきつけられているという認識を持たないというのであれば、それは、あなたが非論理な人であるということだ。(米国との合邦の話のメインは、コラム#4053に譲る。)
O:(合邦の話は脇に置き、)日本が属国のままか「独立」するかは、家畜として脳のシワを伸びっぱなしにして生きるのか、それとも人間らしく生きるのか、の選択だ。
 その際、人間にとって一番幸福なのは、他人のために尽くすことだということを忘れないようにしたい。
O:中川八洋と絶縁したのは、彼が私に対して背信行為を行い、そしてまた、彼が(ありもしない)ソ連の脅威論をプレイアップしたことによる。
O:中川八洋は、スタンフォードでの彼の家族寮のリビングの壁に昭和天皇と皇后の写真を掲げていた。1970年代中頃という「昔」とはいえ、これは珍しい光景だった。
O:「(コラム#3986に関し、)シリコンバレーに行かれた時はもちろん、サンフランシスコに行かれた時でも、スタンフォード大学を訪問されることをお奨めする。ついでに同校のゴルフコースでプレーするのも悪くない。米国の力の真の源泉を実感するはずだ。」 とツイッターで申し上げたところ、とにかく同大学のキャンパスの広さを実感してみて欲しい。
A:日本が大好きだというのは、「アレクサンドル・ソクーロフ・・監督の真意ではなく、単に対談相手たる日本人へのリップサービスだったのでしょうね。」と太田さんは(コラム#3742で)書いたが、これが監督の真意である根拠がある。
A:「映画評論3:ミュンヘン」(シリーズ)(コラム#3888〜)については、太田さんはもっぱらこの映画が史実に反するという観点から書いていたが、スピルバーグがどうしてこの映画をつくったかについて考えて欲しかった。

(続く)