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太田述正コラム#4093(2010.6.26)
<私の考えはいかに形成されてきたか(その2)/過去・現在・未来(続x20)>

<私の考えはいかに形成されてきたか(その2)>

 これは、既に配信済みの「その1」(コラム#4051)に引き続く後半部分であり、前半部分たる「その1」ともども、本日東京で行った講演会用の原稿として用意したものです。(太田)

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 スタンフォードの政治学科でとった科目の中で、一番私の肥やしになったのは、最後の学期(1975年9月〜76年6月)に、日系のノブタカ・イケ(Nobutaka Ike。1916〜2005年)教授に一対一でやってもらったゼミです。
 実のところ、イケ先生が日系人で親近感があったことから軽い気持ちでゼミを申し込んだのですが、思いがけなくも、このセミナーの席上、「(社会の構成原理が)『個人』のアングロサクソン、『階級』の欧州、『patron-client』の日本(注1)」という同教授の世界観に親しく接することができたからです。

 (注1)同教授の著書に'Japanese politics: patron-client democracy'
http://www.amazon.com/Japanese-politics-patron-client-Nobutaka-Ike/dp/0394316959がある。

 おかげで、私が東大教養時代に漠然と抱くに至っていたアングロサクソンと欧州とを対置させる考えと、スタンフォードで抱くに至ったばかりの日本の(政治を含む)経済体制をprincipal-agent関係の重層構造ととらえる考えについて、自信を深めることができました。
 イケ先生は、このゼミを(私から頼んだわけではないのに)日本語でやってくれたのですが、そのご好意に甘えて、先生に提出したペーパー2本も、どちらも日本語で書きました。
 日本の戦前史、具体的には新体制運動/大政翼賛会をとりあげたものと、自分なりの米国論を素描したものの二つです。
 前者は、視点がすばらしいと褒められたけれど、後者はまだまだダメだと言われましたね。
 結局、アングロサクソン文明を主とし、欧州文明を従とするキメラたる米国観がひらめき、私なりにようやく米国が分かった気になるまで、それから30年もかかりました。

 また、コンテンツの話ではありませんが、ビジネススクールで行動科学・・私の言葉で言えば人間科学・・やケース・メソッドに接したことで実証科学の何たるかを体得したことと、政治学科で(とりたてて教わったわけではありませんが、)論文の書き方を学んだことにより、私はようやく、(日本の法学部しか出ていなかったことによって実質短大卒でしかなかったところ、)大卒相当以上になったと言えるでしょう。

 しかし、何と言っても決定的だったのは、2年間、国から給料までもらいながら、なんのオブリゲーションもなしに、好きなことができたことです。
 授業だけではありません。
 学期の間の休みごとにフォードの8気筒の黄色いムスタングで旅行にでかけ、北はカナディアン・ロッキーから南はメキシコ・シティーまで、東は中西部まで駆け回りました。
 米国とカナダは違っていたし、米国とメキシコはもっと違っていました。
 余りにも卑近な例を一つだけあげれば、カナダではコーラの缶が米国のより小さかったのですが、メキシコでは瓶詰めのものしかありませんでした。
 前者は量的な違いであるのに対し、後者は質的な違いであると言ってもいいでしょう。
 どうしてこのような違いが生じたのかを考え始めたことが、後の私のキメラとしての米国論や、欧州の外延としての中南米論につながって行ったのだと思います。
 このように、好き放題なことをやった2年間であったわけですが、おかげで、もともと束縛を嫌う傾向があった私は、正真正銘の自由人へと変貌を遂げたような気がします。
 しかしその一方で、私は、日本という国に対して奉仕をしなければならないという意識も一層強くなりました。
 そもそも、日本では、小学校から大学までも、私は公立、国立ばかりでしたしね・・。
 しかし、今振り返ってみると、自由人が官僚機構の中で安全保障分野で国家に奉仕をする、というのは、その国家が、自ら他国の属国となって、ガバナンス、つまりは対外政策を遂行する自由を放棄しているような場合においては論理矛盾のような話です。
 案の定、その後、私は防衛庁の中で、次第に浮き上がった存在になって行くのです。

7 防衛庁内外における活躍期

 1976年に米国から日本に帰国する途中、ロンドンで当時英国の国防大学(Royal College of Defence Studies)に留学していた、防衛庁キャリアの14期先輩の池田(久克)さんのところへ、それまでほとんど面識がなかったのですが、押しかけて留学体験を語ったところ、彼に強い印象を与えたらしく、帰国して私が配属された人事第一課に半年後にたまたま彼が課長となってやってきてから、何度も彼が私を引っ張る形で一緒に仕事をするようになります。
 人事第一課長と同課員から始まって、次には防衛課長と同課員、しばらく間があって今度は経理局長と予算決算班長、といった具合です。
 このように、若い時期にメンター的な上司の下で防衛庁の中枢各課で実質的な仕事をさせてもらったおかげで、私は、日本の防衛問題について、しっかりとした認識を身につけることができたと思います。
 防衛課時代には、池田さんは私を信頼醸成措置の日本政府専門家として国連のジュネーブとニューヨークで開かれた4回の政府専門家会議に出席させました。
 また、池田さんは、防衛関係費のGNP1%枠突破について彼を直接補佐した私を、(これまた別に頼んだわけではないのに)防衛庁の人事当局にかけあって、彼自身が留学した英国防大学に送ってくれました。

 私は、防衛庁の外でも羽を伸ばしました。

 スタンフォードで一緒だった中川八洋が、筑波大学の助教授となり、彼の誘いで一緒にいくつかの論考をまとめ、彼との連名ないし私の単独名で部外に発表したのです。
 安全保障を論じたものは、それぞれ毎日新聞社の『エコノミスト』誌と文藝春秋社の『諸君』と小学館の『コモンセンス』に載り、経済体制論は筑摩書房から出た本の一つの章になりました。
 残念なことに、彼とは、相容れない点がいくつかあり、袂を分かつことになります。

 また、当時外務省から防衛庁に出向してきていた岡崎久彦さんのご縁で、佐伯喜一野村総合研究所理事長(元経済企画庁・前防衛研修所長)にも知遇を得、その関係で(防衛庁と兼業兼職の形で)同総研の研究プロジェクトに参加する、という経験もしました。
 更に、人事院制度での留学時期が同じで人事院で事前研修を一緒に受けた、大学時代の法学部同期の大蔵省の渡辺博史の推薦(?)で、彼や(同じく法学部同期の)東大助教授の舛添要一らとともに、一年間、日本青年会議所の顧問団の一員を務めたりもしました。
 この頃、公私の沢山の勉強会にも顔を出しましたが、秦郁彦さん(戦前史研究者。元大蔵省・元防衛研修所員)から色々教えてもらったり、といったこともありましたね。

8 在英時代

 英国ロンドンの国防大学での一年間では、スタンフォード時代とはまた違った意味で、普通の人が到底経験のできないような様々な経験をしました。
 例えば、年がら年中旅行をさせられました。
 英国の特定地方への旅行、欧州各地のNATO施設等の訪問、世界の特定地域への旅行のほか、日帰りの旅もたびたびありました。
 また、中共、インドを含め、世界の多数の国から学生・・准将/大佐クラス(文官含む)・・が集っており、彼等との交流も貴重なものでした。

 おかげで、私の世界各地の土地勘が一層研ぎ澄まされました。
 私のアングロサクソン論が概成したのも、この一年間の賜です。
 ある日、本屋で目にして買った、マクファーレン(Alan Macfarlane)の『The Origins of English Indivitualism(イギリス個人主義の起源)』を読み、もやもやしていたイギリス観が完全にすっきりした時には、思わず膝をたたいたものです。

9 防衛庁で翻弄された時期

 1989年の正月明けに帰国してから5年経った1994年、私は、防衛大学校の総務部長に「左遷」され、それからしばらく冷や飯食いが続きます。
 創立50周年事業を立ち上げる等、防衛大学校には結構貢献できたと思いますが、同校にいた時に、平間洋一教授(『日英同盟―同盟の選択と国家の盛衰』の著者。元海上自衛官)ら日本の現代史や戦史研究家の知遇を得たことと、ウォルドロン(Arthur Waldron)編著『John Van Antwerp Macmurray原著『How the Peace Was Lost(平和はいかに失われたか)』に遭遇したことで、私の戦前史に係る日米関係観が概成するに至ります。
 「私とジョン・マクマレーとの出会いは、数年前のある土曜日にたまたま新宿の紀伊国屋書店で書棚に並んでいたアーサー・ウォードロン編・解説の『平和派いかに失われたか--ジョン・ヴァン・アントワープ・マクマレー大使が国務省のために執筆した1939年の覚え書き--極東における米国の政策に影響を及ぼしつつある諸動向について』という長いタイトルの要所を手にした時に始まる。 この本は、かつて私が留学した米国のスタンフォード大学のフーバー研究所から出版されており、なつかしさも手伝って軽い気持ちで買って帰った。 ところが、翌日曜の昼過ぎからこの本を読み出したところ、ほとんど席を立つことあたわず、「解説」を含めて165頁のこの本を一気に読み終えてしまった。 マクマレーは、何と1935年の時点で日米戦争の勃発とその帰趨、そして日本の目覚ましい復興に至るまですべてを見通していたのである。」(『防衛庁再生宣言』209〜210頁)というわけです。
 この本のことを防衛大の戸部良一教授(『ピース・フィーラー--支那事変和平工作の群像』の著書)に話したところ、マクマレーの説は、日本の歴史学会では圧倒的少数説ですよと言われたこと、また、何ヶ月後かにたまたまあるレセプションで再会した岡崎久彦さんにこの本のことを話したところ、彼が目を輝かして聞いていたことが思いだされます。

 私のその次のポストは、防衛施設庁(当時)の首席連絡調整官という、(当時で言うSACO案件を除く)日本での米軍基地問題のほとんどすべてを担当する職でした。
 この時の苦労話は、何度もコラムに書いているので省略します。

 その次は、同じ防衛施設庁の監察官に任ぜられたわけですが、ヒマをもてあまし、国会図書館に通っては洋書を借りてきて勉強に励んだものです。

 1998年に、思いがけなくも、(かつて人事第二課長時代に人事局長として上司であった)秋山昌廣事務次官(大蔵省出身)の引きで、官房審議官に任ぜられます。
 ここで、防衛施設庁だけでなく、防衛庁の内部部局においても防衛庁キャリアを中心に退廃・腐敗が進行していることに、私は衝撃を受けるのです。

 わずか一年内部部局にいただけで、今度は仙台防衛施設局長に出されます。
 管轄区域は東北全域であり、同地域が縄文時代の先進地域であったところ、私は、管轄区域内の各地を訪れたり本を読んだりして、縄文モード・弥生モード論を思いつくのです。
 ゴードン・M・バーガー(Gordon Mark Berger)の『大政翼賛会(Parties out of Power in Japan, 1931-1941)』を読んだのも仙台時代であり、ここに私の戦前史に係る日本の政治体制観が概成するに至ります。
 この仙台在任中に私が日米安全保障関係に、一層強い危惧の念を抱くことになるわけですが、この話についてもかつてコラムで詳述しているので繰り返しません。
 
10 選挙

 かねてより、天下りを回避するために退職する機会をうかがっていた私は、2001年夏の参議院通常選挙に民主党から立候補することにし、3月に自主退職します。
 選挙は、小泉旋風によって民主党ともども私は惨敗するのですが、南は宮崎から北は仙台まで選挙カーで選挙演説をして回ったことを含め、実に得難い体験をすることができ、おかげで、私の日本の政治状況への理解が著しく深まりました。

11 自由人時代
 
 その後のことの大部分はコラムに書いてきたところです。
 特筆すべきは、私にとって、スタンフォード時代以来の最後まで残った課題であった米国論に、比較的最近、ようやく目途が立ったことです。

12 終わりに
 
 このように、私の考えは形成されてきたわけですが、今後とも私は、日本の「独立」を達成するために、命と気力の続く限り尽力したいと考えている次第です。
 
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<蛇足的脚注>

 『饗宴』は、私に男同士の同性愛を異性愛より重視する古典ギリシャ世界へのうさんくささ感を植え付けた。
 (同じようなことを言っている人を見つけた。↓)
http://www.rin-5.net/001-250/222-kyouen.htm
 『パイドン』
http://d.hatena.ne.jp/Geheimagent/20090809/p1
は、私に、ソクラテスを殺した古典アテネの「民主主義」への疑念を呼び起こした。

(完)
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<過去・現在・未来(続x20)>

 記事の紹介です。

 菅首相の消費税への勇気ある取り組みが凶と出たか。↓

 「・・・民主が参院で単独過半数を占めるには、前回2007年の当選と同数の60議席が必要だ。菅直人首相は目標議席について「54プラスアルファ」としているが、調査結果からは、連立を組む国民新党とあわせても過半数を割る可能性もある。・・・」
http://www2.asahi.com/senkyo2010/news/TKY201006250549.html
 「・・・民主党は菅直人首相が勝敗ラインとする改選54議席を上回る勢い。自民党は1人区の多くで民主と競り合っており、改選38議席を超えて40議席台に届きそうだ・・・」
http://www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C93819481E0E7E2E1918DE0E7E2E4E0E2E3E29F9FEAE2E2E2
 「・・・民主党は比例選で強さを見せるものの、選挙区選で苦戦を強いられ、獲得議席は50程度にとどまる可能性がある。連立を組む国民新党も厳しい戦いをしており、与党の過半数(122議席)維持は微妙な情勢だ。自民党は参院選のカギを握る1人区で優位に立つなど、前回参院選の議席を大きく上回り、50議席に迫る勢い。・・・」
http://www.yomiuri.co.jp/election/sangiin/2010/news2/20100625-OYT1T01034.htm?from=main4

 米英の特殊関係のコアがこれだ。↓

 ・・・intelligence-sharing agreement between Britain and America・・・<which was> Signed in 1946, it remains the basis for the sharing of intercepted communications between the countries.・・・
 The intelligence alliance still operates today, and since the incorporation of Australia, Canada and New Zealand, it has been known as the "five eyes". ・・・
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk/10409113.stm

 24週未満の胎児は痛みを感じないとさ。↓

 British health experts say the human fetus cannot feel pain before the age of 24 weeks, so there is no reason to change the country's abortion laws. ・・・
 The doctors say there is increasing evidence that even after 24 weeks the fetus is in a state of "continuous sleep-like unconsciousness or sedation." ・・・
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2010/06/25/AR2010062501659_pf.html

 ワールドカップで無様な姿を晒したフランス、先の大戦での1940年の敗北に準える衝撃ぶりだわ。↓

 ・・・President Nicolas Sarkozy has called crisis ministerial meetings on the French World Cup debacle. The daily Le Monde went further, drawing parallels between this “strange defeat” and another, on the front lines of 1940.
It noted the “absence of a leader, a strategy, team spirit, effectiveness, these wasted talents, these unused resources and finally, this crushing failure” ? all appearing as a “cruel metaphor” for a nation unable to “mobilize its energies.”・・・
 It’s money. It’s individualism rampant. It’s social and urban segregation. It’s post 9/11 religious poison. It’s the distance between the tenacious French imaginary of the secular state integrating every immigrant and the facts of increasingly divided identity.
 Removing Muslim veils won’t make France whole. Understanding what lies behind them might. ・・・
http://www.nytimes.com/2010/06/25/opinion/25iht-edcohen.html?ref=opinion&pagewanted=print
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太田述正コラム#4094(2010.6.26)
<2010.6.26東京オフ会次第(その1)>

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