太田述正コラム#3992(2010.5.6)
<人間主義を訴える英国女性(その2)>(2010.6.9公開)

 (3)書評から

 「・・・我々は、自己中心的で、利己的で、自分のことばかりに熱中し、自らを恃む、というコストを支払って物質的愉楽を享受している。<我々は>自己充足的でもある。 
 しかし、最近の資本主義が、我々のコミュニティ、隣近所、家族、及び外の世界との感情的紐帯を腐らせることに成功し、我々自身を自由市場における血走った色の目をした競争者に堕してしまったことから、いい形において<それを享受しているわけ>ではない。
 我々の相互関係・・そこに我々のご先祖様達は幸福とまではいかないにしても、少なくとも適切な帰属意識を見出していた・・は狙い撃ちされたのだ。・・・
 ブリッツ(Blitz=ドイツ空軍による 1940〜41 年のロンドン大空襲)
http://ejje.weblio.jp/content/Blitz (太田)
精神、或いは、先祖が行った労働組合闘争<の記憶>、がこびりついたDNAを持った英国人として、我々は依然仲間意識を抱きうるのかもしれないが、我々の大部分は、世界では、きれいな水と衛生をすべての人に与えるためよりもペットフードの方に、よりカネを使っていることを知ればショックを受けるであろうところ、社会はもはや我々にこの問題に取り組むことを奨励しないのだ。・・・
 ・・・科学は、脳それ自体が、変化しつつある社会的条件や態度によって再形成され、愛情に飢えた赤ん坊達は、神経科学的に、より共感的でなくより寛容的ではなく、かつより自律的な世界において、自分達自身の気を引き締めるようになる、ということを、遺憾ながら証明している。・・・」(C)

 「・・・我々の生来的本能は、他者達と紐帯を結びたいというものだ。
 ガーハートは、我々が赤ん坊がどうふるまうかを観察すると、いかに我々の生存本能に、他者、とりわけ我々の世話をしてくれるはずの他者、と意思疎通したいという欲求が組み込まれているかが分かると言う。
 我々は、このような初期におけるところの愛され世話をされたいというニーズを失うことは決してないのだが、今では我々はどんどん家族や友人達から離れて生活するようになってきているため、資本主義はそこにつけ込んでそれを店に行って買い物をする欲求へと誘導しているのだ。
 ガーハートによれば、<人間>関係をカネで代替させたことは、我々の脳の発達にさえ影響を及ぼしつつある。
 「気圧が調整された我々の生活は、脳の神経伝達物質のふるまいを変えてしまう」と彼女は記す。
 確かに<このように>主張が科学用語で言い表されると主張を受け入れがちだが、私は首をひねらざるをえない。
 この点は彼女の論法における弱い部分だ。・・・
 <しかし、>我々が子供の育て方を変えないと、彼等が生まれた瞬間から始まり、我々は鬱状態でかつ借金漬けであり続けることだろうとガーハートは言っていることに関しては、私は彼女を信じる。・・・」(D)

3 終わりに

 簡単に言えば、ドイツの社会学者のテンニースが社会は歴史的にゲマインシャフトからゲゼルシャフトへと発展して行く、という理論を唱えた
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%86%E3%83%B3%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%82%B9
ところ、ガーハートは、ゲマインシャフトへの回帰を主張しているように見えます。
 これは、二重の意味でおかしいと言わざるをえません。
 第一に、そんなことは不可能だからです。
 特に、グローバル化した現代においてをや。
 第二に、英国(正確にはイギリス)は最初から筋金入りのゲゼルシャフト社会(≒個人主義社会)だったからです。

 では、そんな愚論をどうしてファイナンシャルタイムス、ガーディアン、そしてインデペンデンスといった英国の一流紙が・・インディペンデントの書評子のように若干の皮肉を込めつつも・・この本を取り上げたのでしょうか。
 思うにそれは、米国の影響を受けて英国までもが市場原理主義にかぶれてしまい、それに保守党のみならず、労働党まで毒されてしまったことを英国の心ある人々が反省しており、ガーハートが「庶民」であるからこそ、彼女の市場原理主義批判本を、概念の混乱や非科学性には目をつぶり、あえて肯定的に取り上げ、せめてもの罪滅ぼしをした、ということではないでしょうか。
 英国は、昔から人間主義的個人主義社会であり、20世紀末から21世紀初頭にかけての小逸脱の時代を経て、本来の姿に戻りつつある、と私は見ているのであり、そのような見方が裏付けられた、といったところです。

(完)