太田述正コラム#3792(2010.1.26)
<英産業革命をめぐって>(2010.5.31公開)

1 始めに

 その最初の著作をずっと以前に(コラム#46で)ご紹介したことがある、ジョエル・モキール(Joel Mokyr)が新著 'The Enlightened Economy: An Economic History of Britain 1700-1850' を上梓したので、そのさわりをご紹介しましょう。

A:http://austrianeconomists.typepad.com/weblog/2008/06/the-enlightened.html
(1月26日アクセス。以下同じ)
B:http://blog.enlightenmenteconomics.com/blog/_archives/2009/8/26/4300995.html
C:http://www.ft.com/cms/s/2/7b7ac45a-06e0-11df-b058-00144feabdc0.html

 なお、彼は、米国人たる経済史家で米国のシカゴのノースウェスタン大学教授でイスラエルのテルアヴィヴ大学にも籍を置いています。
http://en.wikipedia.org/wiki/Joel_Mokyr

2 英産業革命をめぐって

 「・・・モキールの基本的な考え方は、<英>産業革命を推進したのは啓蒙主義であったというものだ。
 ただし、啓蒙主義はエンジンであり、こちらにあるいはあちらにと操舵したのは、資源の確保可能性、技術、その他だった<という>。
 相対的な価格変動を踏まえ、どの方向に行くのかについて信号を発したのは、ハンドル(ステアリング・ホイール)であった<ことは確かだ>。
 <ところが、>産業革命についてのこれまでの説明の大部分は、エンジンに触れることなく、ステアリング・ホイールに焦点をあててきたのだ。・・・」(A)

 「・・・うまく行った経済は、商業、金融、そして革新への正しいインセンティヴを生み出す良い諸制度に依存している。
 とはいえ、我々が設計することができる、普遍的に「最適な」一連の諸制度などは存在しない。
 状況が変化すれば、諸制度もそれに適応する必要がある<、ということだ>。
 だから、大事なことは、状況の変化に応じて諸制度が、変化する軽快さを持つことだ。
 そのためには、経済ゲームがいかに演じられるかを決定する諸ルールが<存在することが>必要なだけではない。
 そのためには、できるだけコストがかからない形で、必要に応じて諸ルールを変更する諸ルール<の存在こそ>が必要なのだ。
 換言すれば、そのためには、諸制度を変更するメタ諸制度、これらの変更によって損をする者達でさえ受け容れるであろうところのメタ諸制度、が必要なのだ。
 <いずれにせよ、>その方が彼等にとって効率的であった、というだけの理由で諸制度が変更になったわけではない。
 それらが変更になったのは、主要な人々の考え方や信条がその変更を支持したからだ・・・。
 我々は、18世紀を論じるにあたって、相当数の経済学者達が経済的変化を支える文化的諸信条について疑わしく思うかもしれないからと言って、イデオロギーと諸制度の変更を直視することを避けることはできないのだ。
 モキールは、次いで、19世紀における技術的かつ経済的前進を維持するにあたっての価額の役割を論じる。
 産業革命は、科学的方法論の理解と発展を追求した啓蒙主義なくしては起こりえなかった。
 個々の章は、技術、諸制度、そして、しばしば新製造技術のことで頭がいっぱいになりがちな時代の歴史において無視されるところの、農業とサービスを含む特定の諸分野を強く強調している。
 <この本には、>ジェンダー、人口動態、そして社会的諸規範に関する諸章もある。・・・」(B)

 「・・・1700年から1850年にかけては、「有用な知識」の創造と普及(dissemination)が世界のかなり多くの部分で中心的目標となった最初の時代だった。・・・
 ベンジャミン・ゴンパーツ(Benjamin Gompertz<。1779〜1865年
http://en.wikipedia.org/wiki/Benjamin_Gompertz (太田)
>)は目映いばかりの数学者であり、<ユダヤ教という>彼の宗教のせいで、19世紀初期のロンドンでの既存の保険産業で彼は就職することができなかった。
 <そこで、>他のユダヤ人の実業家達とともに、彼はアライアンス・マリーン保険会社(Alliance Marine Insurance Company)を設立した。
 この会社は、近代保険業界を動かしているところの数学的思考の多くの基礎を敷いた。
 端役を演じたもう一人の人物は、トマス・ウィリアムス(Thomas Williams<。1737〜1802年
http://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_Williams_of_Llanidan (太田)
>)だ。
 彼は、金属精錬の分野で最良の頭脳達を自分の取り巻きにした事業家だ。
 1778年に、彼は、有毒なヒ素を銅鉱石から抽出し、この工程をはるかに単純かつ安全にする新しい方法に関する特許を取得した。
 その結果、造船等の分野における銅の使用が増大し、ウィリアムスはイギリスにおける最も富裕な産業家達の一人となった。・・・」(C)

3 終わりに

 本そのものを読まずして断定的にものを言うことは本来控えるべきですが、私は、そもそもイギリスにおける産業革命なるものは存在しなかったという考え(コラム#1489、1501、1515、1570、1586)であり、かつ、イギリスにおいては、啓蒙主義などというものも存在しなかったとも考えており(コラム#3711、3754、3790)、啓蒙主義が産業革命を推進したなどということは、そもそも、文章として成り立たないと言わざるをえません。
 この本は、まさに、米国人がアングロサクソンの本家、イギリスのことがどんなに分かっていないかの一つの良い例ではないでしょうか。