太田述正コラム#3784(2010.1.22)
<人種主義戦争としての日米戦争(その1)>(2010.5.27公開)

1 始めに

 次著用の材料の欠缺を補うための第三弾として、ジョン・W・ダワー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%80%E3%83%AF%E3%83%BC
『人種偏見』(TBSブリタニカ。1987年)(改題『容赦なき戦争--太平洋戦争における人種差別』(平凡社。2001年) (原題:John W. Dower 'War Without Mercy--Race and Power in the Pacific War' (1986)を素材にして、日米戦争の人種主義戦争性について論じたいと思います。

2 米国の対日人種主義性

 日米戦争当時の米国の対日人種主義性は、以下から明らかです。

 まず、インディアン≒フィリピン人≒日本人、と米国人は見ていました。

 「・・・セオドア・ローズベルトは、・・・大統領になるまえ<の>・・・1886年・・・<に>「・・・良いインディアン<は>・・・10人のうち9人までは・・・死んだインディアンである・・・と信じます。・・・」・・・<と>語った。」(197頁)
 「ダグラス・マッカーサーは、・・・インディアンと戦ったあと遙か西方で<フィリピン征服において>しっぺ返しを受けた著名な軍人の一人であった。彼の息子が第二次世界大戦で太平洋の米軍の指揮をとったことは、インディアン戦、フィリピン戦、第二次世界大戦のおのおのが、実際時期的にどれほど接近していたかを思いださせる格好の事例である。・・・
 <フィリピン征服は、>「インジャン〔方言でアメリカ・インディアンのこと〕戦争」と呼ばれた。・・・日本人に対するジャングル戦<は、>しばしば「インディアンとの戦闘」として特徴づけられた・・・」(197〜199頁)

 同じ敵国人たるドイツ人やイタリア人に対しては、米国は決して人種主義的ではありませんでした。

 「英米では、日本人は真珠湾攻撃の以前でさえドイツ人以上に反感をもたれていた。この点については現在議論の余地はない。」(10頁)
 「敵として一方では「ナチス」、他方では「ジャップス」とすることは、重大な意味をもっていた。というのは「良きドイツ人」を認識する余地は残されていたが、「良き日本人」の余地はほとんどなかったからである。「タイム」のような雑誌は「ジャップス」より「ザ・ジャップ」を多用することで、このことをより強く銘記させ、敵が複数であるという単なる表現さえ拒否した。」(99頁)
 「1942年はじめの何ヶ月・・・アメリカ政府は日系アメリカ人を監禁したが、ドイツ系やイタリア系の住民に対して、そうした措置はとられなかった。」(100頁)

 「日本人の残虐行為については大きく報道していた新聞、雑誌が、<ナチスドイツによる>ユダヤ人大量虐殺についてはほとんど触れなかった・・・。」(43頁)

 米国は、日本人を猿やネズミになぞらえました。

 「記者、諷刺漫画家を問わず欧米人によって一番よくよく描かれた日本人の戯画は、なんといっても猿または類人猿だった。」(107頁)
 「硫黄島では、・・・多くの海兵隊員が・・・ヘルメットに「ネズミ駆除業者」と刷り込んで戦闘に臨んだ。」(120頁)

 そして、戦場では、まさしく日本兵は、猿、ネズミ扱いをされたのです。

 「多くの日本の戦士たちは降伏よりは死を選んだ。これは単に軍部内からの圧力ばかりではなく、連合国側に捕虜にするという意志がなかったという事情から、他にほとんど選択の余地がなかったためである。」(15頁)

 ところで、そんな米国が支那の蒋介石政権と同盟関係を結んで日本と戦ったわけですが、支那人に対し、日本人に対する以上の人種主義的対応をとっていたのですから、呆れるほかありません。

 「早くも1854年のカリフォルニアで<中国人>は、白人のかかわる裁判で証人となることを禁じられた。その理由は、すでにインディアンが禁じられており、彼らと中国人は同じ人種だからというものだった。1879年、カリフォルニアの新しい州憲法は、「中国生まれ、白痴、精神異常」のすべてに対して参政権を拒否した。3年後、中国人のアメリカへの移民が禁止された。」(202頁)
 「中国人は、1882年から1913年までに通過した15ほどの連邦法などにおいて、望ましくない移民として名指しされていた。」(217頁)

 以上のような、米国の人種主義について、当時の日本は、この上もないくらい痛切に自覚していました。

 「<19>43年の夏には、大東亜戦争調査会<から>・・・報告書が"The American-British Challeng Directed Afgainst Japan"(『英米挑戦の真相』)という題で英文で7月にだされた。・・・外交政策顧問、有田八郎の短い序文に続いて、・・この長文の報告書は・・・西部開拓と人種闘争の二つ<に着目し、>・・・まずは、開拓者が西進していく過程でのアメリカ・インディアンの強制移動または滅亡に注目し、続いて黄禍思想の台頭に触れ、そしてこう結論づけている。「問題をこの視点から考えてみると、世界の有色人種の中で唯一の一級国である日本帝国に対するアメリカの病的ともいえる嫉妬がはじめて完全に理解できる・・・<これに対し、>日本は自衛のために立ち上がる道を選んだのだ。」(75頁)

(続く)