太田述正コラム#3732(2009.12.27)
<トゥキディテス(その2)>(2010.5.14公開)

 (3)トゥキディデスが批判されるべき点

 「・・・この新しい本は、トゥキディデスは偏見を持った歴史家であり、『歴史』はすべて、それに値しないところのペリクレス、すなわち、そのハト派的戦略が「不十分」なものであって、紀元前5世紀のアテネのスパルタとの戦争を敗北へと運命づけたところの、ペリクレスの弁護のためのものであった、との含意をめぐって展開する。
 軍事的なハトとタカという現代的比喩を用いることによって、ケーガンは、片やペリクレスに対するに、片や民衆煽動的で戦争大好き人間であるクレオン(Cleon<?〜BC422年>)、という、トゥキディデスの古典的物語を蘇らせたのだ。
 いくつかの「もしこうであったならば・・」を提示するケーガンは、もしペリクレスが戦争前にコリント(Corinth)に対して圧倒的な軍事力を用いていたならば、かかる先制的行動は、「大勝利をもたらしたに相違なく、しかも、敵の海軍力を粉砕できていただろうことから」、和平が成立していたことだろう、と主張する。
 ペリクレスは、アテネの民主主義的な住民集会(assembly)における<貴族的階層や商業階層出身のクレオンらからなる>
http://en.wikipedia.org/wiki/Cleon (太田)
「タカ派」を無視したことで、彼の迅速なる勝利の機会を逸した。
 「もしペリクレスが、ペロポネス半島等の人々との戦争に備えて、真剣にコリントと戦おうとしたなら、彼は少なくとも戦艦を200隻は派遣しなければならなかった」と。
 ところが、「頑固な」ペリクレスは、アテネをして、危険なメガラ布令(Megarian Decree)(注2)・・スパルタ人達を怒らせ戦争へと導いところの貿易の禁止・・を発布することで、「抑止」と「仲裁」の道を歩ませ続けたというのだ。・・・」(D)

 (注2)ペロポネソス戦争勃発直前の紀元前432年頃に発布されたところの、ポリスたるメガラ(Megara)に対する経済制裁。メガラ人が、アテネ帝国全域の港や市場に出入りすることを禁じた。
http://en.wikipedia.org/wiki/Megarian_decree (太田)

 「・・・トゥキディデスは、ペリクレスが、戦争が不可避であると考えなかった点、彼がとった戦略に弱点があった点、ペリクレスの時代のアテネが真の民主主義であると考えていた点、クレオンのピュロス(Pylos)戦略を却下した点、そしてシチリア島へのアテネ人達の野望の当時の大きさを過小評価した点、において誤っていた、というのがケーガンの見解だ。・・・」(H)

 (4)それでもトゥキディデスが評価されるべき点

 「<ジョージ・>オーウェルよりも2,500年近くも前に、トゥキディデスは、戦争と党派によって言語に生じる病の診断を行った。
 つまり、彼は、人間というものは、平時には高尚な感情を抱くことができると認めつつも、「戦争は、毎日必要とするものの供給が困難になることであり、<人々に>つらい思いをさせ、それにより、人間の人格をその運命に見合った水準へと引き下げてしまう」ことから、人格と言語の腐敗が「人間の本性が変わらない限り、これまで起こったし今後も起きるだろう」と指摘した。・・・」(B) 

 「・・・トゥキディデスは、人間のふるまいを、神々の意思によって、いやそれどころか、個々人の意思によってさえ、説明しようとすることを拒否し、その代わり、社会における人間のふるまいを見つめることで、近代<的な歴史観>へと素晴らしい跳躍を行った。・・・
 ・・・<『歴史』は、>政治史に係る最初の近代的著作であり、爾来、歴史が概念化される際の流儀に劇的な影響を与え続けた。・・・」(E)

 「・・・トゥキディデスは、例えばホメロスの事例を用いて、トロイの攻城戦に長い時間がかかったのは、トロイ人達の勇敢さのためではなく、ギリシャ人達の貧困さのためであったことを示した。
 彼は、ペロポネソス戦争が、別個のいくつかの戦争からなる一連のものではなく、単一の紛争であった、という見解を、<史上>初めて提示したように見える。・・・」(F)

 「トゥキディデスの著作は、米国の全士官学校で必読文献に指定されているが、これには、ケーガンによれば、依然として立派な理由があるのだ。
 「トゥキディデスの著作が行う様々なすごいことの一つは、それが我々に、戦争を始める時に大部分の人間がいかに先が見えていないか、そしていかに戦争というものが恐ろしいものなのか、を明確にしてくれるところにある」と。・・・」(G)

 (5)エピローグ

 「・・・ケーガン氏は、外交政策について議論する人々が念頭に置いておくべく所見でもって<この本を>終えている。
 「覇権国家は、戦争において有用な同盟諸国を確保することで権力を得る。
 しかし、これら諸国は、この覇権国にその利益に反する戦争をすることを強いることがある」と。
 シチリア島におけるアテネの大災厄となった軽はずみの冒険は、「アテネの遠方の小さな同盟諸国の懇願」によって始まった、とケーガンは記す。
 彼が記すところによれば、かつてビスマルクは、互いに競い合う諸同盟からなる世界においては、「馬ではなく、騎手になる」ことが必須だ、と語ったというのだ。・・・」(C)

3 終わりに

 私のコラムが、私の私小説でもあるように、すべての歴史書は、その著者自身についての物語でもあるのだと思います。
 いずれにせよ、良い歴史書とは、しかるべき典拠に拠っていることは当然として、その史観がもっともらしいものであると広汎な読者によって受け止められ、しかも、そのような評価が長期にわたって維持されるものでしょう。
 言うまでもなく、トゥキディデスの『歴史』は、そのような歴史書だったわけです。

 それにしても、米国人達が、あたかも自分達の歴史であるかのように、古典ギリシャ史、就中古典アテネ史を見ているのは興味深いですね。
 コラム#3687でも指摘したように、それは、米国がアテネを自らとだぶらせているからに違いありません。
 やはり、米国人達は、帝国志向であったし、今なおそうなのでしょう。

(完)