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太田述正コラム#3912(2010.3.27)
<米国の明るい未来(その2)>(2010.5.9公開)

 「・・・「2050年の米国は、覇権的巨人のように世界をのしのしと歩くことはしないかもしれないが、社会、技術、文化において真に卓絶した唯一の超大国へと進化することだろう」とコトキン氏は熱意を持って語る。
 「その最大の力は、個人的自由、憲法的保護、そして普遍主義の諸観念と自らを自己同一化していることだ」と。・・・
 彼は、この米国の例外主義が流行(prevalence)するであろうことを、この国の適応可能性、工夫の才(ingenuity)、広大な土地その他の資源<の存在>と宗教生(そして、より説得力のないところの、この国が以前にも回復したことがあるとの指摘)に立脚して主張する。 
 これらの米国独特の諸徳は、全体として、この国に(日本人学者の神谷不二が記したところの「その指導者達の不適切さやその市民達の弱点を克服することを可能にする予備的力」)底力(sokojikara)を与えているのだ。・・・」(A)

 「・・・コトキンは、移民達が米国に活力を与える能力を賞揚し、社会的構成に新たな諸観念、エネルギー、及びより若い人口を届けるとして、多様性の祭壇を崇拝する。・・・」(B)
 
 (2)郊外

 「・・・<今後の>米国が創造性を発揮する理想的な場とコトキンが考えているのが郊外だ。・・・」(B)

 「<それに対し、>コトリンが賢くもそう呼ぶところの、「衰亡への輝かしき道」を辿り、「米国のもっとも大きな都市である、ニューヨーク、ワシントン、サンフランシスコ等は、どんどん異邦的、かつどうしようもなくエリート的になりつつある。・・・」(B)

 「・・・追加的な1億人の米国人の過半は、自分達の家を郊外に見出すことになろう。
 ただし、明日の郊外は、1950年代のレヴィットタウン(Levittown)(注)的なそれや20世紀末のスプロール化した郊外高級住宅地(exurb)とは似ていない。

 (注)「レヴィットタウンは、最初の真に<各戸が>大量生産された郊外であり、米国全域における戦後の郊外の原型と広くみなされている。」
http://en.wikipedia.org/wiki/Levittown,_New_York (太田)

 21世紀の郊外は、仕事その他のアメニティーを主要都市に依存する度合がより少なく、その結果、よりエネルギー効率が良いだろう。
 混み合った都市中心部よりも分散した生活を選ぶ移民達がどんどん増え、米国人の過半が2050年にはより非白人化する結果、郊外は未来の坩堝にもなるだろう。
 <また、>これからの何十年、都市住民は、ニューヨークやシカゴといった、物価が高い産業都市よりも、物価が手頃で自動車に依存した、ヒューストン、フェニックス、ラスベガスといった、<各地方の>首都圏的地域に、より多くの数が群れ集うことだろう。
 コトキンは、21世紀は、デジタル時代においては今よりはるかに孤立しておらず、次第に増える人口にとって枢要なる再利用可能な燃料源と不動産を持つところの、米国の心臓部(heartland)の再起によって特徴付けられるであろうことも予測している。
 しかし、米国全域の大都市でも小さい町でも、コトキンが「新しい地方主義(localism)」と呼ぶところの、オンライン・ネットワークと在宅で働く米国人の数の増大によって可能となる、家族的紐帯と地方コミュニティーへのより大きな重点志向を見出すことになるだろう。・・・」(C)

 「・・・コトキン氏は、大部分の米国人にとって、郊外は、「家族を育てコミュニティーの便益を享受するための、最良、かつ最も実際的な選択」であると記す。
 彼は、それに加え、1億人の人口が増えても、米国は「なおドイツの6分の1しか混み合わない」という。
 要するに、米国は成長する余地がふんだんにある、ということだ。・・・
 <ただし、>彼は、上方移動性がかつてより困難となり、階級両極化が現実化することをとりわけ心配している。
 というのは、米国のような知識経済においては、階級分化が拡大する傾向があるからだ。
 その結果、「高学歴の拡大する豊かな階級とどうしようもなく貧困な人々、そして縮小する中産階級」<ということになるかもしれない、と>。
 <更に、>コトキン氏がほとんど言及していない分野がある。
 それは、シングル・マザーが筆頭たる家族の方がそうでない家族よりも多い、という意味での米国の下層階級における家族崩壊が続く、ということについてだ。・・・」(D)

3 終わりに

 結局のところ、コトキン氏の力説にもかかわらず、米国の将来は明るい、とは言えそうもありません。
 米国が本格的な福祉国家にならない限り、一攫千金を狙い、あるいは大金持ちになることを夢見、今後とも世界中から賭博師的な若者達が流入し、人口は増え続けるでしょうが、米国は、両極分解したところの、一握りの富裕層と大部分の貧困層からなる、かつての中南米的社会に加速度的に近づいていく、というのが、現時点での私の見立てです。
 なお、2050年に米国が分散型の社会になり、人の多くが郊外に住む、というのはそのとおりであろうと思いますが、これは、何も米国に限った話でありますまい。

(完)

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