田述正コラム#3728(2009.12.25)
<ウッドロー・ウィルソン(その2)>(2010.5.7公開))

 (3)大統領時代の光

 「・・・<大統領に就任して>2年経たないうちに、彼は(B)・・・連邦準備制度と連邦通商委員会、・・・クレイトン独占禁止法(E)・・・、累進所得税制度と関税改革、最初の児童労働諸法、最初の農民達への連邦補助、最初の教育への連邦補助、そして最初の産業労働者達への8時間労働の義務づけ、の創設<した>。
 彼はまた、ルイス・ブランダイス<(コラム#3543、3545、3548)>を連邦最高裁に、その最初のユダヤ人メンバーとして任命した。・・・」(A)

 「<これらの進歩的政策は、>フランクリン・ローズベルトのニューディールを予想したかのようなものであると同時に、21世紀の初期にかけてのガバナンスにとって中心的なものであることが証明された。」(E)

 「・・・しかも、彼は議会を18ヶ月にわたって開かせたが、これは米議会史における最も長い会期となった。・・・」(B)
 
 「<以上が第1部とすれば、>大統領としての任期の第2部においては、彼は米国を第一次世界大戦に参戦させ、「奇跡の動員」を成し遂げ、200万人の兵士をフランスに送り、この戦争を速やかに終熄に至らしめた。
 米国参戦の影響は、クーパーに言わせれば巨大だった。
 「彼は、第一次世界大戦の期間を短縮し、何十万、いや恐らくは何百万人の人々の命が彼によって救われたのだ」と。・・・」(A)

→果たしてそうでしょうか。米国が参戦せず、ドイツ側とフランス側がへとへとになって停戦になっていた方が、第二次世界大戦を回避できた可能性が高いという意味ではよかった、というのが私の見解です。
 また、彼が民族自決を強く唱えたことは、ナショナリズムを改めて掻きたてることとなり、オーストリア帝国の解体とあいまって、欧州情勢、ひいては世界情勢を不安定化したとも言えるでしょう。(太田)

 「・・・ウィルソンは、戦後の彼の種々の努力に対し、ノーベル平和賞を授与された。・・・」(C)

 (4)大統領時代の影

→まず、コラム#3043で紹介したウィルソンへの悪評
http://www.latimes.com/news/opinion/commentary/la-oe-catania18-2009jan18,0,5408703,print.story
から始めましょう。(太田)

 「<ある米有識者は、>「・・・ウィルソンは、第一次世界大戦の間及びその後で、市民権のために立ち上がることに失敗した。
 この失敗が超愛国主義(super-patriotism)の勃興、ドイツ系米国人と戦争批判者の迫害、そして米国の都市における一連の致死的人種暴動の生起に一定の役割を果たした。
 かてて加えて、それは、第一次世界大戦後の反移民の外国人恐怖症の勃興、1920年代におけるクー・クラックス・クランの復活、そして、我々の国の歴史の大きないくつかの汚点として残っているところの、米国の人種主義の永続化、に寄与した。
 寛容をと声を上げることなど、それほどは造作のないことだったはずだが、彼は遅すぎた時点に、しかもおずおずとしか声をあげなかった。
 この件に関しては、彼は自分の掲げた最善の諸原則を裏切ったのだ。・・・」<としている。>・・・
 <また、もう一人の有識者は、>「・・・<ウィルソンは、>人種主義者<(コラム#3148、3335)>で、不誠実で、自己中心的なマニアックで、神によって運命を定められたと思い込み(God-ordained)、米国を第一次世界大戦へと導き平和に関して妥協を拒んだ男<(コラム#597、1887、2102、2860、3028)>であり、過大評価されてきた男だった。・・・」としている。」

→それでは、もう一度、クーパーの本に戻りましょう。(太田)

 「・・・その大統領時代の初期において、ウィルソンは、中南米における国家形成(nation building)を試みたが、大失敗に終わった。・・・」(B)
 
 「・・・しかし、<何と言っても、>ウィルソンの大統領としての任期の第3部・・米上院を、パリ講和会議とヴェルサイユ条約を承認させ、国政連盟に加入することに関して説得することに失敗したことこそが、彼の大統領としての評価を決定づけた。・・・
 <恐らくはこれがうまく行かないことも大きな原因で、彼は>病気<になり、そのため、>彼は残任期中廃疾者であり続けた。
 しかし、そのことは、公衆の目から、そして閣僚達からさえ、注意深く隠された。
 それとともに重要なことは、この疾患が彼の人格を変えてしまったことだ。
 それは、ウィルソンを「感情が不安定な妄想人間」にしたのだ。
 この能力が高かった指導者が、「悪くない妥協をことごとく拒む、頑固で独善的なお邪魔虫」になってしまったのだ。
 彼が、案文に、一切変更を加えることを考えようとしなかったため、上院はヴェルサイユ条約を拒否するに至った。・・・
 <また、>彼の行政府は、人種的混淆を減少させるために、連邦諸機関において、人種分離を行った。・・・」(A)

 「・・・<彼は、>女性参政権<についても、>長く放置した。・・・」(C)

 「・・・<そして>彼は、反政府派の意見を罰する、・・・防諜及び反政府的煽動禁止諸法(Espionage and Sedition Acts)を推進した。」(A)

 「・・・それらは、「政府、軍、及び国旗」に対する「不忠、不敬、下品、または口汚い言葉遣い」を処罰するものだった。・・・」(D)

 「・・・そして、彼の郵政長官に過激派の出版物の郵送を拒否することを認めた。
 更に彼は、司法長官のミッチェル・パーマー(Mitchell Palmer)がボルシェヴィキのシンパの嫌疑がかけられた人に対して攻撃をしかけるのに反対しなかった。・・・」(A)

 「・・・<これらの>実績からすれば、彼はこれらの問題について、20世紀における最も反動的な大統領であった、とされてしかるべきだ。・・・」(B)

→まさしく、ウィルソンは、有色人種と女性差別、人権抑圧の大統領であったと言えるでしょう。(太田)

3 終わりに

 ウィルソンは、将来米国がファシスト国家化したならば、その礎を築いた大統領として、改めて歴史に名を残すことになることでしょう。

(完)