太田述正コラム#3720(2009.12.21)
<政治的宗教について(その11)>(2010.5.3公開)

→以上は、かくある(sein)論でしたが、最後に、グレイのかくあるべし(sollen)論をご紹介しておきます。(太田)

 ユートピアの追求は、現実と取り組む試みによって置き換えられなければならない。・・・
 現実主義的(=リアリスト=realist)思考のルーツは、はマキャヴェリ<(コラム#3403)>の、政府が存在し、政府が、戦争状態から常にそうかけ離れてはいないところの絶え間のない紛争<が続く>のこの世界において、その全ての目標を達成しなければならない、という洞察にある。」(PP192)

 「キリスト教及びその世俗的代用物によって形成されなかった文化は、常に、現実主義的思考の伝統を抱懐してきた。・・・
 支那では、孫子の「兵法」が現実主義的戦略の聖書であり、道教と法家の哲学は現実主義的思考の強力な潮流を含んでいた。
 他方、インドでは、カウティリヤ(Kautilya<=Chanakya。BC約350〜283年>)(注7)の戦争と外交についての書き物が似たような場所を占めてきた。

 (注7)マウリア帝国の初代皇帝のチャンドラグプタ(Chandragupta)の顧問にして首相。経済学と政治学の開拓者であり、インドのマキャヴェリと称される。
http://en.wikipedia.org/wiki/Chanakya

 <これに対し、>マキャベリの書き物は<欧州では>スキャンダルだった。というのは、それはキリスト教の独特性の主張を覆したからだ。」(PP193)

→ここはやや首を傾げざるをえません。
 インドは確かに現実主義の文明でした(コラム#1992、2008)が、支那においては、ホンネの現実主義はタテマエたる儒教の道徳主義に常に押され気味でした(コラム#1681)。
 また、イギリス人一般は、その欧州文明嫌い・・宗教/イデオロギーも嫌いだが専制的権力ももちろん嫌い・・からすれば、マキャベリだって嫌いに違いないと私は考えている(コラム#471)ところ、ここだけ、グレイは、イギリス人一般の物の考え方に逆らっているように思います。(太田)

 「政治は、普遍的事業のための手段ではなく、せいぜい、諸事情の流転に対応する技術(art)でしかない。
 これは、人間の前進についての大きなビジョンは要求されないのであって、ただ単に、循環して生起する悪にうまく対処する勇気が要求されるということだ。」(PP210)
 
→ここは全く同感です。
 以下で付録的に、これまでとりあげた以外の、日本についての言及部分をご紹介しておきます。(太田)

 「自由主義的帝国主義は、<実行>不可能な行動プログラムだった。
 1905年のロシア帝国艦隊の日本による破壊・・一欧州列強のこの敗北は、アジア全域の反植民地運動を鼓吹し、インドの初代首相のジャワハルラル・ネールは、これを彼の人生における決定的な出来事の一つと描写した・・以来、20世紀の歴史は、欧米の諸帝国に対する抵抗運動によって支配されてきた。
 英国によるスエズ運河にコントロールを及ぼそうとする試みの失敗、フランスのアルジェリアからの撤退、フランスと米国のヴェトナムでの屈辱、ソ連軍のアフガニスタンでの敗北・・これらは、前世紀において何度となく繰り返し示されたところの、欧米の占領者達の非欧米の地における不能ぶりの若干の例に過ぎない。」(PP164)

→グレイは、日露戦争当時のロシアが自由主義的帝国主義国であると思っているわけではありませんが、当時の日本を自由主義的帝国主義国であるともまた思っていないのでしょう。
 しかし、日本もまた、紛れもない自由主義的帝国主義国であって、更に言えば、世界中でただ一つ、例外的に成功した自由主義的帝国主義国・・植民地に繁栄と自由民主主義をもたらした帝国主義国・・であったのです。
 また、あえて言わせてもらえば、フランスと米国は、どちらもエセ自由主義的帝国主義国であって、どちらも当然のごとく植民地経営に失敗したのに対し、イギリスは、日本と並ぶ歴とした自由主義的帝国主義国ではあったけれど、植民地に繁栄と自由民主主義の双方を共にもたらしたことがほとんどなかったという点で、やはり日本に比べれば成功したとは言えません(典拠省略)。(太田)

 「ほとんど常に、戦争は、文化的境界線の内側、ないしはそれを横切った形で戦われた。
 最初の二つの世界戦争は欧州内部の紛争として開始されたし、日清戦争は儒教的文化世界に属する両国の間で戦われたし、イラン・イラク戦争はイスラム圏内部のものだった。
 1990年代のバルカン半島における諸戦争は、民族的(ethnic)・ナショナルな<境界>線に沿って戦われたのであって、宗教的・文化的<境界>線に沿って戦われたのではなく、<現に>キリスト教徒とイスラム教徒はしばしば同盟者となった。
 戦争が文明間の紛争であるとする観念は、米国の多文化主義に係る紛争の過程で出現したのであって、国際関係を理解しようとする試みの過程で出現したわけではなく、このような観念は、事実によって裏付けられていないのだ。
 非在来型戦争に適用された場合<にも>、文明の衝突の話は意味を持たない。
 (パレスティナ人達によって後に採用されるチョッキを含む)自爆<テロ>の技術を考案したのは、スリランカのヒンズー文化の中で作戦を行っていたマルクスレーニン主義集団たるタミルの虎(Tamil Tiges)だったのであり、イラク戦争までは、タミルの虎が他のいかなる運動体よりもかかる自爆<テロ>をたくさん遂行していた。
 <また、>航空機のハイジャックは、赤軍派といった極左集団の助けを借りて世俗的なパレスティナ解放戦線が道を切り開いたものだ。
 <更に、>1人の日本の赤軍の構成員が1972年にイスラエルでの最初の自殺的攻撃を実施した。」(PP175〜176)

→このくだり、全般的には異論はないのですが、イギリス人からすると、やはり日本は「極東」なのでしょう。事実がいいかげんであったり、理解不足であったりすることが多いですね。
 日本は儒教圏に属するなどというのは、あのマックス・ヴェーバー大先生はもとより、「文明の衝突」の本家たるハンチントン先生ですら犯さなかった誤り(典拠省略)ですし、イスラエルでロッド空港乱射事件を引き起こした日本赤軍構成員が1人というのは3人の誤りですし、更に厳密に言えば、当時はまだ、日本赤軍は存在していませんでした。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%AB%E3%82%A2%E3%83%93%E3%83%96%E7%A9%BA%E6%B8%AF%E4%B9%B1%E5%B0%84%E4%BA%8B%E4%BB%B6 (太田) 

(完)