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太田述正コラム#3712(2009.12.17)
<政治的宗教について(その7)>(2010.4.29公開)

 「12世紀のアサッサン(Assassin)<(コラム#191、193、1604)>達は、・・・イスラムの正しい道からはずれたと彼等が信じた支配者達を殺害するのに身を投じた。
 しかし、彼等は、テロを人間性を完成させるために用いうるとは信じていなかったし、自殺的攻撃による自己破壊が人格の浄化の徴とも信じなかった。
 このような見解は、20世紀にイスラム思想家達が欧米の影響を受けて初めて出現したのだ。
 アリ・シャリアティ(Ali Shariati<。1933〜77年。革命家、社会学者にしてイラン・イスラム革命のイデオローグと称される
http://en.wikipedia.org/wiki/Ali_Shariati
>)は、アヤトラ・ホメイニの先達だが、シャーの治世下において亡命していたイランの原理主義者達の指導者として、殉教道をイスラムにおける中心的勤行であると擁護したところ、彼の選択した死のタイプたる殉教道の概念は、近代欧米哲学から来たものだ。 
 シャリアティによって推進されたシーア派の原理主義的再定義は、ハイデッガー由来の実存的選択の観念を援用していた。
 イスラム主義諸運動は、暴力を新しい世界を創造するための手段と考えるが、こういう点では、彼等は中世の過去ではなく近代の欧米に属するのだ。
 「イスラム・ファシズム(Islamo-fascism)」という言い方は、イスラム主義の欧米思想へのより大きな負債から目を逸らせさせるものだ。
 暴力が新しい社会の生誕をもたらすことができると信じた者はファシスト達だけではない。
 レーニンもバクーニンもそう信じたのだから、イスラム過激派は、同等の正確さでイスラム・レーニン主義あるいはイスラム・アナーキズムと呼ばれてしかるべきなのだ。
 しかしながら、ルソーによって詳説され、フランスの恐怖政治の際にロベスピエールによって適用された人民主権なる反自由主義理論と最も親近性があることからすれば、イスラム過激派はイスラム・ジャコバン主義と描写されることが最もふさわしいと言えよう。」(PP70)

 「キリスト教とイスラム教は、欧米の一神教の不可欠な一部であり、そういう意味において、両者は世界のその他全てと区別されるところの歴史観を共有している。
 両者とも、世界のその他全てを改宗させようと図る戦闘的信条だ。
 <もとより、>他の諸宗教も20世紀の暴力に関係してきた。
 例えば、軍国主義期の日本における国家カルトである神道と現在のインドにおけるヒンズー・ナショナリズムがそうだ。

→ここで、グレイは、典拠を付していませんが、神道ないし国家神道についての彼の理解不足は否めません。ヒンズー・ナショナリズム、というよりヒンズー過激派に相当するものが戦前の日本の神道には存在しませんでしたし、ヒンズー過激派と違って、当時の神道が他の宗教を敵視した、ということもないからです。(太田)

 しかし、<世界中の宗教の中で、>キリスト教とイスラム教だけが、普遍的諸目標を達成するために力の体系的使用を厭わない諸運動を生み出した。」(PP71)

 「他の近代政治的宗教同様、イスラム過激派は、黙示録的神話とユートピア的希望の混淆物であり、このような意味で紛れもなく欧米的なものなのだ。」(PP73)

→キリスト教とイスラム教、ひいては欧州とその延長としての中東への侮蔑意識は、大部分のイギリス人が抱いているところであり、グレイは、単にそれを代弁しているに過ぎません。
 そして今度は、いよいよ、できそこないの米国、すなわち、欧州に「汚染された」米国の話になります。↓(太田)

 「黙示録的熱狂は、イギリスでは、1660年の王政復古とチャールス2世<(コラム#3549)>の即位によって廃れたが、その頃までに、それは米国という新しい住み家を発見していた。
 18世紀初頭には、ボストンの第一教会の牧師でニューイングランドのたっぷり黙示録的な歴史書の著者であったコットン・マザー(Cotton Mather<。1663〜1728年。ピューリタンの牧師で著述家。サーレムの魔女裁判<(コラム#2114)>を擁護
http://en.wikipedia.org/wiki/Cotton_Mather (太田)
>)は、このニューイングランドを、「諸天国の神が、千年王国の首都として密かに探し出した地上の場所」であると叙述していた。」(PP109)

 「米独立革命のイデオローグの一人として名声を博した<トマス・>ペイン<の著作>は、ジョージ・ワシントンによって感嘆とともに読まれたが、それは黙示録的思考の明確な兆候を示していた。」(PP109)

(続く)

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