太田述正コラム#3842(2010.2.20)
<イギリスとユダヤ人(続)(その1)>(2010.3.25公開)

1 始めに

 表記については、かつて(シリーズ:コラム#478〜480で)取り上げたことがありますが、このたび、アンソニー・ジュリウス(Anthony Julius。1956年〜。ケンブリッジ大学で英文学を専攻(優等)、ロンドン大ユニバーシティー・カレッジで英文学博士号を取得。弁護士で著述家。4人の子を設けた最初の妻と20年後に離婚し、ジャーナリストと再婚し1人の子供を設けたがこの妻は8年後に死亡し、その年再々婚して現在に至る
http://en.wikipedia.org/wiki/Anthony_Julius
)が'Trials of the Diaspora: A History of Anti-Semitism in England' を上梓したところ、この本は、前回のシリーズで記述を終えた以降をもカバーしているので、復習も兼ね、改めて続シリーズを起こすことにしました。

A:http://www.guardian.co.uk/culture/2010/feb/07/anthony-julius-diana-dina-antisemitism
(2月8日アクセス)
B:http://www.ft.com/cms/s/2/1ec1e49e-1ce5-11df-aef7-00144feab49a.html
(2月20日アクセス。以下同じ)
C:http://entertainment.timesonline.co.uk/tol/arts_and_entertainment/books/non-fiction/article7023131.ece?print=yes&randnum=1266660025687
D:http://www.financialpost.com/story-printer.html?id=2543497
E:http://www.independent.co.uk/opinion/commentators/anne-karpf-antisemitism-is-at-the-limits-of-irony-1891389.html
F:http://www.telegraph.co.uk/news/newstopics/theroyalfamily/7115410/Princess-Diana-regretted-marrying-into-German-family.html

2 著者ジュリウス・・序に代えて

 <英>王室のチャールスとダイアナは、離婚の際の弁護士の選択を違ったやり方で行った。
 チャールスは、経験豊富で名高い離婚法弁護士・・・を、他方ダイアナは、信頼できる相談相手ではあるけれど、名誉毀損の専門家<たる弁護士>を<選択したのだ>。」(D)

 「ジュリウス氏が、初めてこの王妃の代理人になったのは、彼女が、ジムでトレーニングをしているところを隠密裏に写真に撮られたことに対して訴えた時だった。・・・」(F)

 「・・・彼は、自分がダイアナの代理人になったことへの世論の反応を描く。
 デイリー・テレグラフ紙は、<掲載記事について>謝罪する羽目になった。・・・」(A)

 「・・・デイリー・テレグラフ紙は、チャールスをまっとうな<弁護士を>選択したと褒めた。
 しかし、ダイアナの方については、[ジュリウス]はユダヤ人たる知識人であり…フェアプレイへの考慮によって拘束されるとは思わない可能性が高い。
 ジュリウスを教えたケンブリッジ大学のドンは、「私が王室家族の一員であったら非常に心配したことだろう。彼等から多額のカネを獲得するであろうから。」と語った。」<と書いたからだ。>・・・」(D)

 「<ちなみに、この本の>序文の<中で、>彼は、ダイアナが「無教育(under-educated)」であり、また、彼女がある時彼に、自分は「ドイツ人一家になんか嫁入りするんじゃなかった」と語ったという話を描いている。・・・」(A)

3 イギリスとユダヤ人

 (1)第一期

 「・・・ジュリウスは、イギリスの反ユダヤ主義の様々なバージョンを仮定する。
 最初のタイプは、中世のユダヤ人に対する憎悪は、「巨大で、底知れぬものがあり、かつ激しかった」とし、中傷から財産没収から殺害にまで及んだとし、最終的に1290年から400年間にわたって<ユダヤ人はイギリスから>追放されたとする。・・・」(D)

→このくだりについては、以下のような反論が書評子からなされています。(太田)

 「・・・1290年のイギリスのユダヤ人追放についての研究者の間で、その原因について議論が分かれている。
 ジュリウスは、ユダヤ人を憎悪するエドワード1世(Edward 1= Edward Longshanks。1239〜1307年。国王:1272〜1307年
http://en.wikipedia.org/wiki/Edward_I_of_England (太田)
)による迫害が行き着いた先だという認識を示す。
 しかし、歴史家達は、説得力ある形で、13世紀イギリスのユダヤ人達が大変な暴力と
虐めに遭っていたことは事実であるものの、追放勅令は反ユダヤ主義によって突き動かされたというよりは、憲法的かつ財政的圧力によって突き動かされたものであると主張してきた。・・・」(B)

(続く)