太田述正コラム#3670(2009.11.26)
<米国の世紀末前後(続々)(その2)>(2010.3.19公開)

3 米国的帝国主義

 「最初の最初から、米国は、拡張主義的外交政策をとってきた。人口の希薄な地域を自分のものであると主張し、そこにいた元からの住民達を絶滅させたり、競争相手の占領者達から争いの対象たる諸土地を買ったり奪い取ったりして、手打ち線をたゆまず西方に向かって押し出していった。
 しかし、1890年の辺境の消滅は、入植者植民地主義を終焉させ、欧州の種類に似た(、しかし全く同一ではない)<帝国主義的な>ものの始まりの鬨の声を告げた。
 米帝国は、<欧州諸国による諸帝国とは異なり、>外国の諸植民地の形式的な獲得には部分的にしか依らないこととなる。
 より一般的には、それは、(恒久的占領ではなく、)軍事的介入の繰り返しと米国の政策に対して友好的な諸政府への支援という形をとった。
 この間接的アプローチは、米帝国主義者達をして、<自分達は>例外であるという修辞の衣を纏うことによって、彼等の欧州における様々な<帝国主義の>同類に対して道徳的優位を主張し易くすることとなるのだ。
 しかし、米帝国の様々な狙いは、欧州帝国のそれらと同じであって、(そう標榜されたところの、)<米国には、諸国を>文明化させる責務があるという名分の下で、植民者と被植民者双方に再生をもたらすであろう<と考えられた>、外国市場、天然諸資源、及び投資の諸機会、に自由にアクセスしようというものだった。
 最初から、<米国における>帝国についての諸議論は、経済的計算と目的論的幻想とが分かち難く結びついていた。
 早くも1870年代には、南部の繊維産業の幹部達は、支那における門戸開放を渇望し、この望みに明白なる使命(Manifest Destiny)という修辞の衣をまとわせた。
 ヘルナンド・D・マネー(Hernando D. Money<。1839〜1912年>)という実にそれにふさわしい名前を持つミズーリ州選出下院議員は、1876年に、「帝国の行進は西方へ」と主張した。
 「アジア交易を享受した人々は、皆金持ちになり繁栄している」と。
 かような(マネー<議員>にとっては、)米国が極東への中継点としてハワイを所有しなければならないことは、極めて明白なように見えたのだ。
 1890年代には、経済的諸議論は、より複雑なものとなり、ビジネスにおいて諸衝突が頻発した<原因>を、産業における過剰生産に帰せしめることができた。
 機械化は、財の、それを吸収する需要量を超えた供給を加速させた。
 マネー<議員が提唱した>・・・解決方法は、単純明快だった。
 それは、海外における市場侵入(penetration)による景気の波の平準化だった。」(PP201)

 「とりわけ、支那に対する期待は大きかった。
 ビジネスのプロモーター達は、支那を「新しい極西」であると宣言したのだ。」(PP201)

 「この種の仮定が、<米国は、>極東一帯において領土や所有地を獲得すべきだ、とする諸議論を裏書きした。
 太平洋における諸領土は、我らの米海軍と、その海軍が守るところの支那交易のための、石炭積み込み拠点になるだろうというわけだ。
 しかし、究極的には、石炭積み込み拠点は残ったけれど、支那市場の方はうまく運ばなかった。
 問題は、消息通の一致したところによれば、支那人の生来的保守主義にあったのだ。」(PP202)

 「ローズベルトのそれを含む、米帝国主義者達の修辞は、しばしば、顕著に前(proto)ファシスト的に響いた。」(PP204)

4 米西戦争

 1898年に、何年もの喧嘩腰の構えの後、米軍国主義者達は、ついに彼等が欲していたものを手に入れた。
 スペインとの、(ジョン・ヘイ(John <Milton >Hay<。1838〜1905年。国務長官:1898〜1905年>)の文言であるところの、)「すばらしい小さな戦争(splendid little war)」だ。」(PP207)

 「キューバは、新しいキューバ政府が米国に「法と秩序」を維持するためにキューバ島の国内事項に軍事的に介入することへの白地小切手を与えるまで、米国の軍事行政の下にとどめられた
 この取り決めは、実態としてはキューバを米国の保護国とするものだったが、1901年にプラット修正(Platt Amendment)(注3)において、公的に米議会によって承認された。」(PP209)

 (注3)「・・・プラット修正により、米国は、キューバに対する、外交・内政両面への関与と、グアンタナモ湾における米海軍基地を含む一定の経済的及び軍事的諸領域の取得に対する法的根拠の供与、とを確保した。・・・
 米国のグアンタナモ湾に係る諸権利を除き、このプラット修正の諸条項は、フランクリン・D・ローズベルト大統領によるラテンアメリカに対する「善隣外交」の一環として<米・キューバ>諸関係条約(Treaty of Relations)が交渉された際に破棄された。・・・」
http://en.wikipedia.org/wiki/Platt_Amendment (太田)

 「<米国による>支配に抵抗しようというフィリピン人達の決意は、米軍の司令官達に自暴自棄的な諸措置をとらせた。
 例えば、ジェイコブ・スミス(Jacob Smith)将軍が出した、10歳以上<のフィリピン人>なら誰でも撃てとの命令がそうだ。」(PP210)

 「帝国主義者達は、インディアンとの諸戦争と帝国のための戦争との間の連続性を力説した。
 ロッジ(<Henry Cabot >Lodge<。1850〜1924年。上院議員>)が言い張ったように、仮にも反帝国主義者達が正しいとなると、「我々の過去の拡張の歴史がことごとく犯罪であるということになってしまう」からだ。」(PP210)

(続く)