太田述正コラム#3660(2009.11.21)
<米国の世紀末前後(続)(その2)>(2010.3.11公開)

 ブラッドレー氏は、フィリピンでの闘争の費用、期間と激しさについて、<ローズベルトによって、>米国大衆に与えられた偽情報について、とりわけ毒を帯びた口調で描写する。
 <フィリピンにおける>この闘争は、フィリピン革命の指導者であるエミリオ・アギナルド(Emilio Aguinaldo)が、米国憲法の条項が植民地の獲得を許すはずがないと信じるというひどい間違いを犯し、米国の兵士達をフィリピンに上陸させて米西戦争を戦うことを認めた時に始まった。・・・
 もう一つの章では、固有の君主の存在と人口的に大幅に劣勢であった白人人口という<条件下の>ハワイにおいては、<当時の米国が標榜していた>普通選挙と民主主義という観念を、未開な諸社会に輸出するにあたって、修正せざるをえなかったために、一体いかなる手段が用いられたかについて、描写する。
 この箇所や支那について議論をしている箇所で、この本は、とりわけ米国人が白人の優位を当然視していたことが、彼等をして他の人々の愛郷主義(patriotism)を理解するのをどうして困難にしたかを、特に強調する。
 ローズベルトが「第三世界のナショナリズムを理解することができなかった」ことには何度も何度も言及がなされる。
 単に偏見としてではなく、これが効果的政策の障害となったとして・・。
 ブラッドレーによれば、更に悪いのは、ローズベルトがしばしば自分が他の様々な文化を理解していると思い込んでいたことだという。
 この本は、ローズベルトが日本人を準(veritable)米国人であるとし(designate)、日本人自身のモンロー・ドクトリンを朝鮮のようなより弱い諸民族に押しつけてしかるべきだとしたことは、極めつきの(cataclysmic)間違いであったと主張する。・・・」(A)

 「・・・ブラッドレーは、ローズベルトの使節たるウィリアム・ハワード・タフトのアジアへの航海を追う。
 タフトは、米国と日本が、互いにそれぞれ、フィリピンと朝鮮の征服を認め合う、という秘密協定を<日本と>交渉した。
 (ローズベルトの、はでやかな、拳銃持参の娘たるアリスは、広報目的で<一行に>同行した。ブラッドレーは、彼女のおふざけぶりに光を照射する。)
 ブラッドレーは、この航海の各訪問先において、米国人達がどれだけ悪事(misdeed)を働いてきたかを説明する。
 フィリピンでの暴虐なる叛乱対処、米国の砂糖業者(baron)達によるハワイの乗っ取り、日本の拡張主義に「青信号」を送り、ローズベルトを<日本による>真珠湾<攻撃>をもたらした責任者とすることとなったところの、<米国は>朝鮮を守るとの約束の裏切り、がそうだというのだ。
 ブラッドレーは、ローズベルトの諸政策の人種主義者的支柱について、そして、ローズベルトが逆説的に日本人を「名誉アーリア人(Honorary Aryans)」として抱擁したことを説明する。
 <しかし、>ブラッドリーによるローズベルト流の帝国主義への批判は、説得力はあるものの均衡を失している。
 彼は、ローズベルトが、果たして日本人を朝鮮から立ち退かせるなどということができたのかを説明せずして、日本の帝国<主義>的計画は、日本の米国人顧問達のひらめき(brainstorm)から学んだものであることをほのめかす。
 皮肉にも、彼のアジア史観は、ローズベルトのそれと同じく、アジア人自身による<主体的>作用(agency)を否定するものなのだ。」(B)

 「1905年にデディ・ローズベルトは、陸軍長官のウィリアム・タフトと彼の銃を携えた娘のアリス、及び米連邦議員達の一団を、日本、フィリピン、支那、及び朝鮮へと派遣した。
 アジアで、彼等は、アジアを分割する一連の諸協定を静かに造りだした。
 当時、ローズベルトは、米国のアジア大陸における将来について自信満々だった。
 しかし、これらの秘密諸協定は、導火線に火をつけ、何十年か後に、いくつものさんざんな(devastating)戦争・・第二次世界大戦、朝鮮戦争、そして支那の共産主義革命をもたらしたのだ。・・・」(C)

3 終わりに

 Bの書評子によるブラッドリーの主張の批判は、まさにその通りです。

 その上で、とりあえず、この批判を補足しつつ、冒頭に掲げた私の史観を、若干敷衍した形で述べておきましょう。


 日本は、もっぱら安全保障上の理由から朝鮮半島等に進出して行ったのに対し、米国は、安全保障上の理由でも経済上の理由でもない、人種差別的イデオロギー的理由でアジア等に進出して行った。(日米とも、植民地から実質的収益をあげていない。)
 日米は、どちらも植民地における自由民主主義化と市場経済化による経済発展を標榜しつつ上記進出を行ったところ、これらを「手段」とした日本は、外発的に北朝鮮において共産主義化をもたらしたものの、南朝鮮及び台湾では標榜した通りの結果をもたらしたのに対し、これらを「目的」とした米国は、例えば、長期にわたって保護国化したキューバでは、内発的共産主義化をもたらし、フィリピンでは経済発展させることに失敗した。
 米国は、日本人以外の有色人種はもとより、日本人自身に対しても、人種差別的な扱いを続けた。
 このような状況の下では、米国の側がアジアで自己抑制しない限り、早晩日米両国間で戦争が生起することは不可避だった。
 (日本の側は、ロシアの拡張主義・・後にこれがロシア発の共産主義の拡張主義へと拡大した・・が除去されない限り、自己抑制することは、安全保障上不可能だった。)
 日米は、20世紀初頭に、アジアにおける互いの勢力圏を承認し合うことにより、暫時、戦争を回避することに成功した。
 しかし、米国が、日英同盟を解消させた上で、アジアにおけるこの時の自らの勢力圏を超えた人種差別的イデオロギー的アジア進出を続けたことによって、論理必然的に1941年に日米戦争が生起し、更にその結果として、支那の共産主義革命、朝鮮戦争、ベトナム戦争等が必然的に生起した。
 
 この私の史観を、私は、あらゆる機会をとらえて、必要に応じて典拠を示しつつ、繰り返し主張して行きたいと考えています。

(完)