太田述正コラム#3818(2010.2.8)
<ウクライナの「英雄」ステパン・バンデラ>(2010.3.8公開)

1 始めに

 ウクライナでヤヌコヴィッチ大統領が誕生しそうであり、
http://www.latimes.com/news/nation-and-world/la-fg-ukraine-election8-2010feb08,0,4372687.story
(2月8日アクセス)同国のオレンジ革命が終焉を迎えつつあるわけですが、それは、我々にウクライナ・ナショナリズムについても、再考を迫っています。
 この際、昨日付のロサンゼルスタイムスの記事
http://www.latimes.com/news/nation-and-world/la-fg-ukraine-vote7-2010feb07,0,7558634.story
(2月7日アクセス)をウィキペディア
W:http://en.wikipedia.org/wiki/Stepan_Bandera
で補う(明示した箇所の他、<>内も大部分、これに拠る)形で、ウクライナ独立運動の「英雄」、ステパン・バンデラ(Stepan Andriyovych Bandera。1909〜59年)の話をすることにしましょう。

2 ウクライナの英雄?

 「・・・ウクライナのヴィクトル・ユシュチェンコは<今次>大統領選の最終場面において手榴弾を投げ入れた。
 彼は、KGBによって半世紀前に暗殺された反ソ・ナショナリストたる、評価の分かれる人物を「ウクライナの英雄」としたのだ。
 ここ・・・リヴォフ(ルヴフ=リヴィウ=Lviv)・・・<という>ウクライナで最も貪欲に欧米志向で反ロシアの都市では、このような希なる名誉がステパン・バンデラに授与されたこという知らせに欣喜雀躍した。
 他方、嫌悪と狼狽がロシア語圏の諸州を覆った。
 そこでは、バンデラはナチに協力した者として記憶されているのだ。・・・
 さてバンデラについてだ。
 西ウクライナ<(ガリチア=Galicia)のギリシャ・カトリックの僧職の家>出身の火のような若きナショナリストであったバンデラは、<(彼の出身地が、第一次世界大戦の結果、オーストリア=ハンガリー帝国領からポーランド領に変わっていたところ、)>1930年代にポーランド人官吏達を襲撃する謀議を行うところから出発した。
 中には、第二次世界大戦が始まった時、<ドイツ軍によってポーランドの牢獄から解放された>バンデラがナチに協力したと言う者がある。
 彼の部下達はユダヤ人、ポーランド人、その他の殺害に関わったとされてきた。
 1941年に<ルヴフで>独立ウクライナ国家の宣言を行った後、バンデラはナチの刑務兵営に閉じ込められてしまった(注1)。

 (注1)「ドイツ軍の進撃がドニエプル河を超えた後、ヒットラーはウクライナ国家の設立の必要はないと決めた。・・・ 1943年にバンデラはナチの士官達からヒットラーを支持するかどうか問われた。その時、ある典拠によれば、「バンデラはすぐに、ナチは戦争に負けることははっきりしているので、ウクライナがヒットラーの見方をしても得られるものは何もない、と答えた」・・・
 1944年9月にバンデラは、進撃するソ連軍に対する大衆蜂起を喚起して欲しいという思惑から、ヒットラーによって釈放された。バンデラはベルリンに本部を設立した。ドイツは、1945年初頭まで、<彼の秘密組織>に空中からソ連軍前線後方に武器と装備を供給し、<この秘密組織>の何名かの指導者達を空送した。」(W)(太田)

 1959年に彼は<ミュンヘンで、時のソ連最高権力者フルシチョフの命を受けた>KGBの暗殺者によって<青酸ガスにより>毒殺された。・・・
 バンデラの英雄的行為をほめちぎることに伴う論議は、ユシュチェンコがまだ大統領職にとどまる希望を抱いていた限りにおいては克服不能であったろう、と分析者達は言う。 大統領選の第一回投票で屈辱的な5%という票しか集められなかったことで、彼はこの宣言を行ったのだ。・・・
 ・・・彼はドアを叩き付けて閉めたわけだが、とりわけ<現ウクライナ首相でやはり大統領選に立候補していた>ティモシェンコ(Tymoshenko)の顔の前で叩き付けて閉めたのだ・・・。
 彼は、彼女に何か言えと挑戦しているのだ。
 もし彼女が一言でも何か言ったら、この国のある部分を失うし、別のことを言ったら別の部分を失うことを承知の上で・・・。
 ユシュチェンコの行為に対する反応は迅速かつ強烈だった。
 <ロシア国籍を持つ人が多数居住するウクライナ領>クリミアのある議員は彼のウクライナの旅券を燃やした。
 ウクライナの<ユダヤ教>首席ラビは、抗議の意味で彼自身の授与されていた国家的名誉を返上するつもりだと語った。
 隣接するポーランドでは、大統領のレック・カジンスキー(Lech Kaczynski)がポーランド人殺戮の咎でバンデラを非難し、この授与は「歴史的真実を敗北させた」と語った。
 ロシアも、このような表彰を行ったことは「胸が悪くなる」と悪口を吐いた。
 そして、駐米ウクライナ大使への手紙で、<米ホロコースト追及機関である>サイモン・ウィーゼンタール・センター(Simon Wiesenthal Center)(注2)は、「第二次世界大戦初期にナチに協力し、その部下達がユダヤ人等の何千人もの殺害に関わった」バンデラを表彰するという決定に「深甚なる嫌悪感」を表明した(注3)。・・・

 (注2)シモン・ヴィーゼンタール(1908〜2005年)はガリチア生まれのユダヤ系オーストリア人。大戦中、3箇所の強制収容所を経験。ロサンゼルスにあるこのセンターは、彼を記念してその名前をつけたもの。
http://en.wikipedia.org/wiki/Simon_Wiesenthal (太田)
 (注3)「互いに競い合ったところの、ポーランド、ロシア、ハンガリー、或いはルーマニアのナショナリズムとは違って、ウクライナのナショナリズムはその計画の核心部分に反ユダヤ主義を含んでおらず、ロシア人とポーランド人を主敵と見、ユダヤ人は副次的役割を演じている<に過ぎない>と見ていた。・・・
 しかし、バンデラがドイツに協力していた1941〜1942年には、<彼の秘密組織>が反ユダヤ的行動をとった<ことは確かだ。>
 ただし、何名ものユダヤ人がバンデラの地下運動に参加した<という事実もある。>」(W)(太田)

3 終わりに

 ウクライナ人は言語こそ「おおむね」共有すれども・・ウクライナの東部と南部にはロシア国籍の人も多く、ロシア語も普及しており、幼少時ロシアの孤児院で育ったとはいえ、何とヤヌコヴィッツはウクライナ語が覚束ない
http://www.latimes.com/news/nation-and-world/la-fg-ukraine-election8-2010feb08,0,4372687.story 上掲
・・、西ウクライナ、とりわけ旧ガリチア地方とは、(オーストリア=ハンガリー帝国の一部であったこと等から、)歴史、宗教等を共有していません。
 従って、ウクライナを一丸とするナショナリズムは、成立する基盤を欠いているのではないでしょうか。
 でも、少なくとも旧ガリチアのナショナリストとしてバンデラは栄誉を与えられる資格はあるのか?
 私はあると思います。
 2で出てきたように、彼のナショナリズムにおいて反ユダヤ主義は便宜的なものにとどまっており、そもそもナチと協力した以上は、若干ユダヤ人迫害にも手を貸さざるを得なかったと考えられるからです。
 では、ナチに協力したこと自体はどうか?
 他に方法がなかった以上、私はやむをえなかったと思います。
 日本と協力する以前にナチに協力したチャンドラ・ボース(コラム#14、264、922、1249、1455、2021、3486、3496、3503、3698)の例もあります。
 ボースは日本とは違ってナチスドイツとは緊張関係にありました。
 バンデラも同じであったことは2から読み取れます。

 それにしても、ウクライナの今後が心配されます。