太田述正コラム#3561(2009.10.3)
<英陸軍の近現代史(その2)>(2010.2.19公開)

 私は、拙著『防衛庁再生宣言』において、「清教徒革命に至る内戦の過程で、・・・英国王の統制下にあった・・・従来の傭兵中心の常備軍ではない、国民軍としての常備軍〔New Model Army〕が議会側のクロムウェルの手で創設されることになる。・・・もっとも、常備軍--西欧諸国における専制と等値された--そのものへの警戒心はその後も保持された」と記した(152〜153頁)ところです。
 ここは、米国政治史家の斎藤眞の本に拠った(165頁)のですが、マリンソンは、斎藤とは違って、New Model Armyが英常備陸軍の直接の祖とは見ていないわけです。

 (3)18〜19世紀

 「・・・19世紀には、大英帝国の拡大のためには陸軍を拡大することが要求された。
 それはまた、ウェリントン(Wellington<。1769〜1852年。首相:1828〜30年、1834年>)<(コラム#128、729、2138、2974)>が「世間のくずども(the scum of the earth)」と正しくも形容したところの兵士達の状況の改善を要求した。
 将校株の購入による昇任と一般兵士達のむち打ちは廃止された。
 陸軍は引き続き基本的に階級に立脚していたが、労働者階級出身の例外的に秀でた男が大将や元帥になることは可能だったし、現になった。
 例えば、偉大なる陸軍大将「ウリー」・ロバートソン(<Sir William> "Wully"<< Robert> Robertson<, 1st Baronet。1860〜1933年>)がそうだ。
 給与も改善された。
 1914年までには、労働者階級出身の多くの男達は、自分なりに想像した冒険を求めただけではなく、適切に食事を与えられ、衣服を与えられ、寝る場所を与えられる上、野外生活を送ることができるチャンスだとして、熱狂的に陸軍に入ったものだ。・・・」(A)

 「・・・英国が侵攻される脅威を恐れ、経費についても心配したことから、首相の大ウィリアム・ピット(William Pitt (the Elder)<, 1st Earl of Chatham。1708〜78年。首相:1766〜68年)は陸軍を欧州に派遣することに慎重だった。
 この大ピットのジレンマは、今日にまで至る陸軍のジレンマだ。
 それは、いかに大英帝国(そして今日においては大英帝国の残したもの)のための部隊・・全般的には「軽装部隊」・・とともに、第一級の敵陸軍と戦うための「より重装なる」能力の部隊を維持するか、というジレンマだ。・・・」(C)
 
 「・・・ナポレオンとの累次の戦争の初期においては、英陸軍の受けはよくなかった。
 というのは、小ウィリアム・ピット(William Pitt (the Younger)<。1759〜1806年。首相:1804〜06年>)<(コラム#2138)>が地上兵力を欧州大陸における会戦に投入するのを避けようとして、もっぱら襲撃と上陸を<英陸軍に>やらせたからだ。
 後者については、ピットの批判者達は、ギニー硬貨をガラスの窓にぶつけるようなものだと嘲ったものだ。
 この辺境的戦略は、1世紀以上後にチャーチルを魅了したのだが、英国の他に例を見ない海上戦力が他の選択肢を提供しているように見えたことから、同国の<臣民の>生命と財産を危殆に瀕せしめることを恐れてとられたのだった。
 しかし<英陸軍の>真の弱点は指揮にあった。
 無能な将軍達が<つつがなく軍歴を重ねて>優雅に引退して行った。
 唯一変わらぬ<プラスの>要素は連隊だった。
 その規律<の高さ>と横列一斉射撃<の威力>は、ナポレオンの常勝縦隊(columns)を撃退する能力があることを証明した。
 そして、大プラグマティストたるウェリントンが英陸軍の司令官となるや、それは無敵となった。
 <1815年の>ウォータールー(Waterloo)<の戦い>のある帰還兵は、「下士官達はいかに戦うかを示してくれた。そして将校達はいかに死ぬかを示してくれた」と記した。
 <英陸軍は、>ウォータールーの後は動脈硬化症状を呈した。
 戦術も技術も何も変わらなかった。
 ただし、各連隊は、一般住民の住家で寝起きする代わりに兵舎へと移動した。
 しかし、兵舎は、ぞっとするほどむさ苦しく、監獄よりも疾病で死ぬ率が高かった。
 ・・・<1854〜56年の>クリミア戦争(Crimean War)の際の累次の災厄と<1867〜59年の>セポイの反乱(インド大反乱=Indian Mutiny)<(コラム#1769、1847、2030)>でさえ、抜本的改革をもたらしはしなかった。
 改革は、1860年代末のエドワード・カードウェル(Edward Cardwell<, 1st Viscount Cardwell。1813〜86年。陸軍相:1868〜74年>)の諸改革によってようやく始まった。
 その効果は、最初のうちはほとんど目に見えなかった。
 少なくとも、ボーア戦争(Boer War)<(コラム#754、847、1045)>に際して陸軍が被った屈辱を回避するには、まことに十分ではなかったのだ。・・・」(B)

(続く)