太田述正コラム#3553(2009.9.29)
<米ICBMの父(その2)>(2010.2.15公開)

 (3)シュリーヴァーと関わった人々

  ア カーティス・ルメイとジョン・F・ケネディ

 「・・・無情なる(flinty)カーティス・ルメイ(Curtis LeMay<。1906〜90年>)大将<(コラム#213)>・・半分キチガイだと言う者もいる・・は戦略爆撃と先制戦争の擁護者であり、この本の中で、シュリーヴァーの主要な理論的かつ官僚的敵対者としてぞっとさせる形で登場する。
 キューバ危機の時・・・ケネディ(<John Fitzgerald "Jack" >Kennedy<。1917〜63年> )は、彼の軍事顧問達との敵対的な会議において、とりわけルメイが激しくケネディの、キューバに対する軍事行動ならぬ封鎖の採用に反対したことに<冷静に>対処した。
 ケネディは後に、「これらの軍人サン達(brass hats)は、そのお好みについて一つの巨大な優位点を有する。もし我々が彼等の言うことを聞いて、彼等が我々にやって欲しいことをやると、我々のうちの誰も後で生きて彼等にアンタ達は間違っていたよと教えてやることができないという優位点を・・」と語っている。・・・」(A)
 
 「・・・かつてのソ連が、冷戦中のいわゆる「軍拡競争」にひどく遅れをとっていたことは、今では秘密でも何でもなくなっている。
 大統領候補の時のジョン・ケネディは、「ミサイル・ギャップ」を警告したが、それはウソ以外のなにものでもなかったのだ。
 シーハンは、ケネディが、ソ連の<核ミサイルの全>基地の空撮写真を1960年の大統領選挙中に見せられたにもかかわらず、そのインチキな主張を撤回することは決してなかった、と指摘している。・・・」(D)

→偉大な政治家とは、ウソを含め、明白に違法でないあらゆる策を弄して権力を掌握するも、その権力を公のために適切に行使した政治家、ということのようですね。(太田)

 イ フォン・ノイマン

 ハンガリア生まれの偉大なる数学者にして物理学者であるジョニー・フォン・ノイマン(John von Neumann<。1903〜59年>)ほど、魅惑的にして究極的には悲劇的な人物はいない。
 彼による「ゲーム理論」の定式化は冷戦の核戦略において決定的に重要であったと言える。(彼による内破(implosion)の数学モデル化は、最初の原子爆弾の開発にとって鍵となった。)
 シュリーヴァーは、当時のドワイト・アイゼンハワー(Dwight <David "Ike" >Eisenhower<。1890〜1969年>)大統領に諮問するところの、科学者達と最前線の技術者達からなる委員会の委員長だったが、<この委員会において、>フォン・ノイマンが最もすばらしいブリーフィングを行ったおかげで、同大統領は、最初のICBM計画を、前例のないほどの速さで実行に移すことが可能となる条件下で承認した。
 それから1年ちょっとで、フォン・ノイマンは癌で他界した。
 戦前の反ユダヤ主義によって生まれた土地<であるハンガリー>から追い出された世俗的なユダヤ人として、フォン・ノイマンは、切迫する死への恐怖感から、死の床でカトリックに改宗したが、彼が最初の妻と離婚をしていたため、プリンストンのカトリック墓地への埋葬を拒否された。・・・」(A)

→やはり死の床でカトリックに改宗した吉田茂の改宗理由が、恐らくはカトリックであった亡き妻への愛情からであった
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0%E8%8C%82
のに比べると、ノイマン、かっこ悪いですね。(太田)

 ウ エドワード・ホール

 「ロケットの天才(rocketry genius)」で米国の核抑止の礎石となったミニットマン(Minuteman)ミサイル(注)を考案したエドワード・ホール(Edward Hall<。1914〜2006年>)中佐は、もう一つの種類<、すなわち米国における>の反ユダヤ主義からの・・・難民だった。
 彼は、そのために戦前、エンジニアとしてのキャリアを阻害され、ニューヨーク生まれのこの若者は、<ユダヤ人であることが分かる>自分の名前、エドワード・ナサニエル・ホルツバーグ(Edward Nathaniel Holtzberg)を改名した。
 彼と同様頭の良かった彼の兄弟は、クラウス・フュックス(Klaus <Emil Julius >Fuchs<。1911〜88年。ドイツ生まれで英国籍を持っていた物理学者。スパイとして米国で服役後、東独に移り住んだ。>)とともに、マンハッタン計画に侵入した最も重要なソ連のスパイだった。・・・」(A)

 (注)液体燃料核ミサイルであるアトラス、タイタン、トール(Thor)の開発に携わっていたホールは、固体燃料核ミサイルであるミニットマンの開発に技術的指導者として情熱を注いだ。
 固体燃料ミサイルの方が軽量で発射までの時間が短く、管制も容易だった。
 ミニットマンが最初に地下サイロに収められたのは1962年10月であり、キューバミサイル危機の真っ最中だった。(太田)
http://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=9B03E6DE153FF93BA25752C0A9609C8B63&sec=&spon=&pagewanted=print

3 終わりに

 このシリーズに登場したのは、アーノルド一人を除き、ドイツ系のシュリーヴァーとアイゼンハワー、ユダヤ系のフォン・ノイマンとホール、アイルランド系のケネディ、そして姓からしてどう考えてもアングロサクソン系とは思えないルメイと、非アングロサクソン系ばかりですね。
 米国におけるアングロサクソンの不可視化(コラム#3407)は、第二次世界大戦中から戦後にかけて、既に歴然としていたと言えそうです。

(完)