太田述正コラム#3762(2010.1.11)
<精神疾患と人間主義(その2)>(2010.2.11公開)

 (2)著者自身による説明

 「・・・我々は、世界の精神的健康と病気の理解をアメリカナイズするという壮大なプロジェクトに長年にわたってせわしなく従事してきた。
 我々は、世界<各地において人>がどうキチガイになるかを標準化(homogenize)し過ぎたのかもしれない。・・・
 ・・・精神疾患群は、それ自体の自然史を持つ小児マヒ・ウィルスのような明確な存在ではない。
 ・・・研究者達は、精神疾患は、(どれが中心でどんな形態をとるか)世界を通じて同じであったことは一度もないのであって、特定の時間と場所のエートス(ethos)によって不可避的に刺激を受け、形作られることを示唆する説得力ある分量の証拠を集めてきた。・・・
 いくつもの精神的健康障害・・鬱病、PTSD、拒食症等・・は、今や、伝染病の速さでもって文化横断的に蔓延しつつあるように見える。
 これらの症候群は、それぞれの土地の精神疾患に代わって、人間の困苦の共通語となりつつある。・・・
 「専門家、メディア、学校、医者、心理学者が全て摂食異常を認識し、指摘し、語り、公にする文化的雰囲気が生じると、人々は意識的、無意識的にかかる悩みを表現する方法として摂食障害の病理を採択すべく促される。」・・・
 精神疾患は、それについて、患者が選択の余地がほとんどなく、かつ責任のないところの「脳病」として扱われるべきことが示唆される。
 これは、科学的事実、そしてまた巨大な利得を生み出すであろうところの社会的物語の両面から推進される。
 その論理は抗いがたいように見える。
 一旦、人々が、様々な精神疾患の発病が、超自然的諸力、人格上の欠陥、精液の喪失その他の前科学的観念に起因するものではないと信じるに至ると、<精神疾患者たる>苦悩者は、非難と汚辱から守られうる。・・・
 時々難しい問題を引き起こすこの分野において、みんながこの精神疾患の考え方についての近代的方法が、精神疾患に罹った人々が経験した社会的孤立と汚辱を減少させる可能性があるということに同意したかのように見える。・・・
 しかし、果たして「脳病」的信条が現実に汚辱を減少させるものだろうか。・・・
 「最近の研究の結果が示唆するところによれば、我々は、彼等の問題が病気として叙述されると、実際には我々は、むしろ彼等をより厳しく扱う可能性があるのだから・・。・・・
 我々は<このように叙述された場合、精神疾患者に対して>親切であると言うが、我々の行動はそうではないことを示唆している。」
 問題は、例えば統合識失調症が、生医学で語られたり、遺伝異常脳がこの病気をもたらしたという生医学的物語で語られたりすると、それが生活上の出来事群を通じてつくられた病気である<とされる>場合よりも、<患者が>完全に壊れていて永続的に異常である、という微妙としか言いようのない思い込みを引き起こすことだ。
 「・・・生化学的異常(aberration)とすることによって、<我々は、>患者をほとんど<人間とは>異なった種扱いしてしま<いがちなのだ>。」・・・
 精神疾患に関する生医学的ないし遺伝的諸信条を採用した人々は、精神疾患者と接触することをより厭い、彼等をより危険で予見不能な存在と考える人々でもあることが判明している。・・・
 ・・・<これに対し、>発展途上国で統合識失調症に罹った人々は、産業化した諸国に住んでいる人々に比べてよりよく<社会と>折り合っているように見える。・・・
 ・・・<実際、>欧米以外における患者は、ある追跡研究によれば、再発率が顕著に低い・・実に3分の2も低い・・ことが示されている。
 これらの発見は、活発に議論され論議の対象となってきた。
 というのは、それは明らかに矛盾しているからだ。
 精神疾患に投入する資源・・最良のテクノロジー、最新の製薬、最も資金が豊富な学術的あるいは私的な研究機関・・が最も豊富な地域が最も手に負えず社会的にのけ者にされた患者を抱えているというのだから・・。・・・
 「<サハラ以南のアフリカでは、>イスラム教とスワヒリの精霊達<が人に取り憑いて精神疾患を引き起こすと考えられたことから、お祓いでこれを取り除く試みが行われてきたところ、>このお祓いは、キリスト教的な意味での悪魔払い的なものではない。・・・
 これらの精霊達は、食べ物と贈り物でなだめすかされ、歌と踊りで饗応されるのだ。」・・・たくさんの小さな親切という形のアプローチで・・<。その結果、>「彼等はなだめられ、落ち着かせられ、悪さを余りしなくなる。」・・・
 我々癌についてどう語ったところで、癌の転移の成り行きが変わることはありそうもない。
 しかし、統合識失調症では、諸症候は、患者の、その周りの人々との複雑な相互作用と不可避的にからみあっているのだ。・・・
 「<これらの社会では、患者に対する>強い批判は、統合識失調症患者の家族に関する何か否定的なものを反映しているどころか、それ・・・は、一般に前向きと見なされるところの特徴と連想づけられている。」・・・
 「我々の文化は、自己コントロールと環境(circumstance)コントロールの幻想…に高度に価値を置くがゆえに、我々は、自分自身がそうあるべきだと思い込んでいるところの、より変更可能で、より抑制されておらず、よりコントロール可能でない、より外部の影響を受け易い精神状態などというものを熟考させられると惨めな気持ちになるのだ。」・・・
 我々が輸出する諸観念は、米国流の超内省的・・日常的実存を「心理学化する」・・傾・を実は持っている。
 これらの諸観念は、精神と肉体のデカルト的な分離、フロイド的な意識と無意識の二元性、かつまた集団の健康から個人の健康を分別すべく米国人に促してきたところの、たくさんの自助の諸哲学や療法に関する諸流派、<という考え方>によって深く影響されている。・・・」(C)
 
3 終わりに代えて

 「・・・例えば、強迫性障害(obsessive-compulsive disorder)の患者は、疑似体験療法(exposure therapy)と呼ばれるところの、認知的行動療法(cognitive behavioral therapy)・・これは彼等の汚染への不安を直視することを徐々に教える療法だが・・によって治療される。
 諸症候が軽減されてからのみ、療法士と患者は問題の根源と取り組む。
 多くの伝統的療法士達は、<問題の根源と取り組む>ところから始めていたものだが・・。
 山のような研究が、認知的行動療法が、不安障害(anxiety disorder)類や、PTSDや鬱病や大食症やアルコール・薬物依存症群(substance abuse problems)を効果的に治療できることを示している。
 この方法は、最近の様々な研究において、鬱病の治療に関し、抗鬱剤同様の成果が上がっていることが判明している。
 更に良いことには、認知的行動療法を受けた患者は、この療法が彼等に自分の障害との取り組み方を教えるがゆえに、製剤を投与された患者に比べて再発率が低いことを示してきた。・・・
 イギリスは既にそう確信している。
 2007年に英国政府は、我々<(米国)>より10年も前に・・・3,600人の療法士達に認知的行動療法の訓練を施すという巨大な施策を採択した。
 これにより、90万人の患者を製剤から引き離そうというのだ。
 しかし、米国では療法士達は、この技術を受け入れるのをしぶってきた。
 2007年に<米国の学術雑誌に掲載された調査によれば、>彼等は、患者を治療するにあたって、「自分達の実践してきた経験にもっぱら依拠し」、新しい研究に拒否反応を示していることが分かった。・・・」
http://www.latimes.com/features/health/la-he-psychotherapy11-2010jan11,0,3172452,print.story
(1月11日アクセス)
 
 この疑似体験療法ないし認知的行動療法とは、まさに日本由来の森田療法のことではありませんか。
 森田療法は、禅(ウィキペディア前掲)や、私に言わせれば日本の人間主義的社会が生み出したところの、精神疾患に対する、欧米では欠落していた療法であり、欧米、就中米国が生み出してきた対精神疾患製剤の適時適切かつ必要最小限度の使用とあいまって最大の効果を発揮する、と考えられます。
 
 この一事をもってしても、最も容易にわかり合えるイギリス(アングロサクソン)と提携しつつ、できそこないのアングロサクソンたる米国を善導すべき日本文明の世界史的使命は大きい、と改めて思います。

(完)