太田述正コラム#3545(2009.9.25)
<ブランダイス--米国の良心(その2)>(2010.2.5公開)

 (3)最高裁判事補佐とブランダイス

 「・・・現在の最高裁の建物が使用できるようになった1935年までは最高裁判事達は公式の執務室を持っておらず、作業は自宅かブランダイスがしたように自分で別途部屋を確保するかして行っていた。
 この新しい建物が使用できるようになってからも、ブランダイスは、自分に割り当てられた執務室が、自分の趣味に合わない立派すぎるものだとしてそれを使うのを拒否した。・・・
 ハーバード・ロースクールを卒業したばかりの最高裁判事補佐(law clerk)を1882年に最高裁で初めて雇ったのはホレース・グレイ(Horace Gray<。1828〜1902年。ハーバード大学で法律も学ぶ>)だった。
 グレイはこの習慣を彼がマサチューセッツ州の最高裁判所(high court)の長官であった時に始めたが、その時ルイス・ブランダイスは彼の補佐達のうちの一人だった。
 グレイや他の判事達で補佐を使った者は、自分のポケットマネーで彼等の給与を支払っていたが、1922年になって、議会が各最高裁判事が年俸3,600 ドルで補佐1名を雇うことを認め、その2年後には最高裁における補佐制度は恒久的なものになった。・・・
 ブランダイスの在職中、すべての最高裁判事は一人の補佐を持つことができたが、長官だけは二人持つことができた。
 その後、最高裁の業務量が増えるに伴い、その数は一人の判事ごとに4人まで増えた。・・・
 ブランダイスは、自分がグレイの補佐をした時の経験を鋳型として彼が自分自身の補佐達に期待するものを形作った。
 彼等は、主として調査助手としてブランダイスに仕えた。
 論点を整理したりそれまでの判例にあたったりもあるが、何と言っても、ブランダイスに大量の事実に係る資料を提供するという形で・・。
 ブランダイスは、これらを彼の意見、とりわけ彼の反対少数意見を書く際に活用した。
 彼は、補佐達が彼に代わって意見を書くことなど期待していなかったし、彼が、後にたくさんの判事達が補佐達に判決案を書かせる習慣を採用したと知ったら仰天したことだろう。・・・」(C)

 (4)最高裁判事として以外のブランダイス

 「・・・ルイス・デムビッツ・ブランダイスは、少なくとも4つの「キャリア」を持っていた。
 19世紀末から20世紀初めにかけての法律家としては、彼は現代法がいかに実践されるべきか、その道を切り開いた。
 彼と他の人達は、専門家達がそれぞれ法の異なった分野を担当するという現代法律事務所の形態を開発した。
 彼は、プライバシーの権利の創始者であり、法律家のカウンセラーとしての役割を創出することに指導的役割を果たした一人であり、弁護士による公共のための無償奉仕なる観念を創出することに指導的役割を果たした。
 ブランダイスが最高裁判事に指名された1916年の時点で、公共のための無償奉仕なる観念は、依然、古い時代の弁護士達には何だか急進的に聞こえたものだった。・・・
 ブランダイスは、マサチューセッツ州における貯蓄銀行生命保険(savings bank life insurance)を考案した。(彼は、これが自分の果たした最も重要な公共への貢献であると考えた。)
 彼はまた、連邦準備制度法(Federal Reserve Act)、クレイトン独占禁止法(Clayton Antitrust Act)、そして連邦通商委員会(Federal Trade Commission)を作り出す原動力となった。
 ブランダイスは、1914年にエコノミスト兼モラリストとして、銀行と証券業は分離されなければならないと警告を発した。
 そして、その20年後に、ニューディールのただ中に、彼の勧告は最終的に法律・・1933年のグラス・スティーガル法(Glass-Steagall Act)となって結実した。
 しかし、それはロナルド・レーガン<大統領>によって廃止され、そのため、1980年代の貯蓄・ローン危機と2008年の金融崩壊がもたらされたのだ。・・・
 法律家兼改革者であったブランダイスは、1908年にオレゴン州の女性労働者に対して就業時間の上限を定める法律について弁護することを引き受け、そのために全く新しい形の上訴状を作り上げた。
 それは、法律的な引用は数頁しかなく、大部分は事実の典拠によって構成されていたのだ。・・・
 ・・・<ブランダイスは、>厳格なユダヤ教徒ではなかったが、第一世界大戦が勃発した1914年、58歳で米国のシオニスト運動の指導者になった。
 それに引き続く7年間に、ブランダイスはそれを、ちっぽけな運動体から、米国のユダヤ問題における強力な勢力へと変貌させた。・・・」(D)

3 終わりに

 前回のシリーズでは、ユダヤ系の経済学者が米国でいかにその良心として活躍しているかにも触れたところですが、司法の分野でも、このブランダイスのように米国の良心として活躍した人物がいたのです。
 もう一つ、今回のシリーズで痛感させられたのは、米国の19世紀から20世紀にかけての司法界における、ハーバード大学の存在の大きさです。
 オバマは、まさにそのハーバードのロースクール卒で、ブランダイス同様、差別の対象たる少数「民族」に属し、かつてシカゴ大学の憲法学の教師をを含む、法律家としてのキャリアを積んでいます。。
 このオバマが、大統領時代を含む活躍を通じて、ブランダイスの衣鉢を継ぐ米国の良心として青史に残るかどうか、今後とも期待を込めて見守っていきたいと思います。
 
(完)