太田述正コラム#3513(2009.9.9)
<チャーチルの第二次世界大戦(その3)>(2010.1.25公開)

4 ドイツ軍に対する劣等感

 「・・・ヒットラーのドイツ軍が戦闘装置としては英国のそれよりもはるかにより効果的であったことをチャーチルはしばしば認めたものだが、これは苦い薬を飲み込むうようなことだった。
 ジョン・ケネディ(John Kennedy)少将は、1942年の<チャーチル>首相との会話を日記に記している。
 その時、チャーチルは、「ドイツの部隊は我々の部隊よりも強い(better)」と率直に語っている。
 チャーチルの大戦後半の指導ぶり(conduct)、とりわけ彼のフランスにおけるDデーを可能な限り後まで遅らせようという決意は、英国と米国の兵士達は、最も有利な条件下で遭遇しない限りドイツの兵士達を打ち破ることはできない、という彼の確信を反映したものだった。・・・」(A)

 「・・・第二次世界大戦における英陸軍は、1945年3月にライン川を渡る時点までは、端的に言って余り強くなかった。・・・」(C)

 「米国人達も、彼等自身で感じ取ることができたところの、英国人達の臆病さに憤激の念を口にしたが、彼等自身、この臆病風が伝染してしまった。
 1943年7月というのは、英国にとっては戦争を4年やってきた時点であり、米国にとっては数ヶ月やってきた時点だったが、シチリア島で、西側のたったの8個師団がドイツ軍と戦っていただけであり、同島で西側は6,000人戦死しただけだった。
 それに対して、赤軍は、クルスク<(コラム#3501)>において巨大なる対峙を<ドイツ軍と>行っており、最終的には両陣営あわせて400万人が戦い、50万人が命を失った。
 1944年から1945年にかけての<戦争末期の>時点においてさえ、まだ、東部戦線<に張り付いた>ドイツ陸軍が<全体の>3分の2を下回ることはほとんどなかったのだ。・・・」(A)

 戦争を生業としていたゲルマン人の精神を(ケルト化した)バスク人が継承したところのイギリス人、そして戦争を生業としつつ、ローマの域外にあって自らローマ化したゲルマン人たるドイツ人が、たまたま、先の大戦の時点では、それぞれ世界第2位、世界第1位の強兵であった(コラム#2276)、ということに過ぎないのであって、ヘースティングスは謙遜のし過ぎ、というものです。
 そのイギリス人(英国人)が、日本の参戦直後の日本兵を恐れた(前出)、というのですから、これは名誉なこと、と思うべきでしょう。

5 私のへースティングス批判

 「・・・チャーチルの最も銘記すべき戦時の業績は、民主主義者のマントを脱ぎ捨てることなく独裁者としての権力を行使したことだ。
 彼の英軍総参謀長の「パグ(Pug)」イスメイ(Ismay)は、チャーチルがある時、下院での演説の準備の面倒くささを嘆くとともに、その演説がどう受け止められるのかを心配しているのを見つけた。
 この軍人は、優しく「連中にどうして地獄に行けって言わないんですか」と述べた。
 これに対し、チャーチルは、「そんなことを言っちゃだめだ。私は議会の召使いなんだから」と切り返した。
 こんなことを信じてないよりは信じている度合いの方が強い程度にもかかわらず、こんな男が第二次世界大戦中英国を率い続けたことは、驚異であり誇りであると言わざるをえない。・・・」(A)

 よく言ってくれたものです。
 ヘースティングスは、以下掲げるように、英国を日本に置き換えるだけで、ほぼ同じ文章が成り立つことを知ったら、腰を抜かすのではないでしょうか。

 「・・・国会答弁で、議員の意地悪な、そして珍妙な質問にも大真面目で答えたり<した>・・・東條英機首相・・・」
http://www.fukkan.com/fk/VoteDetail?no=41658
のような男が第二次政界大戦中日本を率い続けたことは、驚異であり誇りであると言わざるをえない(?!)。

 ここは、ヘースティングスの勉強不足を嗤うより、我々としては、ヘースティングスの論理に立って、戦時日本における自由民主主義の成熟度に畏敬の念を抱くべきでしょう。
 また、以下のような屁理屈を、ヘースティングスは他の場所でも記していますが、それに対する、書評子の一人の反駁はちょっとおかしいですね。↓

 「・・・ヘースティングスは、西側同盟の初期における軍事上の成功の欠如がむしろよかったとさえ述べている。
 すなわち、「仮に英国または米国が戦時のドイツや日本のような山のような戦士達を生み出していたならば、この戦争において維持しようとした自由民主主義が失われていたかもしれない」と。
 しかし、この点では彼は間違っている。
 というのは、1944年末までには、英国と米国の戦士達はそれがいずれの国の憲法にも有害な影響を与えることなく、何と一人対一人のベースで、ドイツ人達や日本人達を打ち負かすに至っていたからだ。・・・」(C)

 戦争末期には、装備の質と量において、ドイツ軍や日本軍を英国軍や米国軍が凌駕したからこそ、同じ数なら後者が前者を打ち負かすようになったというだけのことだと私は考えているからです。

 さて、

 「・・・<チャーチルは、>20世紀における、というより人類史全体を通じて、最も偉大な人間の一人だった。・・・」(C)
 「・・・ヘースティングスは、チャーチルが「恐らくは、世界にそれまでいたことがない、戦略問題に関する最も偉大な存在」だった、と結論づける。・・・」(B)
 「・・・チャーチルは、その向こう見ずな衝動や野性的な判断でもって、彼の国の男達にはしばしば欠けていた戦争の精神を体現していた。・・・」(B)

というくだり↑は、よく言うよ、とただただ呆れるだけです。
 
 「・・・へースティングスは、<この本の中で、>大英帝国についてはおざなりにしか扱っていないが、これは英国にとっては功罪相なかばする話であり、チャーチルとローズベルトの間の争いの主要なものだった。・・・」(B)

 これ↑こそ、決定的に重要な点です。
 この↓くだりを思い出して下さい。

 「歴史家の中には、ドイツとソ連に互いに破壊あいをさせておれば、チャーチルは大英帝国を救うことができたかもしれない、と主張する者がいる。
 ヘースティングスは、反駁できないように、ヒットラーと取引することは大失策であっただけでなく犯罪でさえあったと切り返す。」(コラム#3511)

 ヒットラーのドイツとスターリンのソ連は、悪さの度合いにおいて甲乙はつけられない存在でした。
 ですから、スターリンを勝たせることだって犯罪だったのです。
 そうだとすれば、チャーチルは、英国の国益の観点から、ヒットラーと取引するとともに、日米の間に入って、米国の中国国民党への支援を止めさせるよう努力すべきだったのです。
 そうしておれば、日米戦争の勃発も日英戦争の勃発も防ぐことができ、大英帝国は救えていたはずだからです。
 もとより、チャーチルを含む英本国の指導者達は、大英帝国を永久に維持するつもりなど既になくしていましたが、あのように急速に大英帝国が崩壊し、旧英国植民地において、過早に諸国が独立し、未成熟な国が簇生したことに伴って、世界中に紛争の種がばらまかれてしまったようなことを回避することこそ、当時の英本国の首相のチャーチルにとって、最大の責務だった、と私は考えています。
 その責務を果たすことを怠ったチャーチルは、戦争指導者としては失格なのです。
 ドイツが降伏してから、あわてて Operation Unthinkable(コラム#3509)を企てるようでは、一体お前は何を考えていたんだと言いたくなります。
 チャーチルのおかげで、英国は、先の大戦に形の上では勝利したけれど、実質的には敗北したことを英国民はうすうす感じ取っており、だからこそ、1945 年5月7日にドイツが降伏し、欧州における戦争が終結した直後の7月5日に実施された総選挙(注4)で、チャーチルの率いる保守党は労働党に大敗北を喫し、チャーチルは、日本が降伏する前に首相の座を英国民によって逐われた、というのが私の解釈です。

 (注4)これは、英国において、1935年11月14日以来、有事であるということで実施されなかった総選挙が9年半ぶりに実施されたものだった。
http://en.wikipedia.org/wiki/United_Kingdom_general_election,_1945
 他方、日本では、既に有事であったと言える1937年(昭和12年)4月30日に実施された総選挙に引き続き、先の大戦真っ最中の1942年(昭和17 年)4月30日
にも総選挙が行われている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC21%E5%9B%9E%E8%A1%86%E8%AD%B0%E9%99%A2%E8%AD%B0%E5%93%A1%E7%B7%8F%E9%81%B8%E6%8C%99
 これを見ても、日本の当時の自由民主主義の成熟ぶりが見てとれる、というものだ。(太田)

6 終わりに

 とにかく、日本人の手によって先の大戦史がもっともっと書かれなければならない、ということを痛感させられますね。

(完)