太田述正コラム#3686(2009.12.4)
<米国とは何か(続x5)(その1)>(2010.1.6公開)

1 始めに

 米国とは何かを、殺人を通じて探ってみましょう。

 手がかりにするのは、ランドルフ・ロス(Randolph Roth)の近著、 'American Homicide' の書評です。
 ロスは、米オハイオ州立大学の歴史学教授です。

A:http://www.latimes.com/entertainment/news/la-ca-randolph-roth29-2009nov29,0,414198,print.story
(12月3日アクセス。以下同じ)
B:http://www.goodreads.com/book/show/6815767-american-homicide
C:http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/11/20/AR2009112001680_pf.html
D:http://www.newyorker.com/arts/critics/atlarge/2009/11/09/091109crat_atlarge_lepore
E:http://www.eurekalert.org/pub_releases/2009-12/osu-hrl120109.php
F:http://www.newsweek.com/id/221271

2 プロローグ

 以下は、極めつきの文学的表現ながら、さすが、「チャタレー夫人の恋人」で有名な文豪ロレンス(1885〜1930年)と言うべきか、ずばり、米国人の人種主義的帝国主義の狂気を言い当てているような気がします。(太田)

 「・・・『古典的米文学(Studies in Classic American Literature)』の中で、D・H・ロレンス(D.H. Lawrence)は、「アメチャン(Yankee)の精神(soul)の中の落ち着かなさの狂乱(frenzy of restlessness)、狂気に近い分量の内面的疾患(malaise)」と記し、米国は、アメリカ・インディアンの絶滅を通じて自分達自身を生存へと殺害したと主張した。・・・」(A)

3 米欧殺人比較

 「・・・米国の殺人率は、すべての豊かな民主主義諸国の中で、最高であり、フランスや英国の4倍、ドイツの6倍に達している。・・・
 <その>欧州では、殺人率は・・・何世紀にもわたって下降し続けている。・・・
 ドイツの社会学者のノルベルト・エリアス(Norbert Elias)は、これを「文明化過程」と呼んだ。・・・
 確執続きの(feuding)中世欧州では、殺人率は、<1万人あたり>35人前後にわだかまっていた。
 <その後、>決闘が確執にとって代わった。
 決闘は、<確執>より、お行儀が良かった。
 おかげで、欧州での<殺人による>死者数は減少した。
 1500年には、西欧での殺人率は約20人へと下降したのだ。
 <今度は、>裁判が決闘にとって代わった。
 <そこで、>1700年には、殺人率は5人へと落ちた。
 今日では、率は一般に2人をはるかに下回っていて、20世紀の間、ごく小さい上下はあったが、その線が維持されてきた。
 ところが、米国では、これ以上ないほど、絵柄が異なる。
 米国の殺人率は、最初から欧州よりも高く、爾来、ほとんどの時代においてもそうだったのだ。
 <その殺人率が、>時に激しく、上下した<点も欧州とは異なる。>
 植民地時代、殺人率は下降したけれど、欧州で落ち続けた19世紀中に、米国での率は上がる一方だった。
 20世紀においては、米国のは第二次世界大戦の頃から約5人へと落ちたが、それから上昇し、1991年には約11人に達した。
 それからまた落ちだし、5人をちょっと超える程度になったが、それでも、他の豊かな民主主義諸国に比べて2倍<の水準>だ。・・・」(D)

4 米国における殺人について・・概観

 「・・・米国は、17世紀中頃、異常なほど殺人志向的(homicidal)だったが、18世紀中頃には、奴隷制の南部においてすら、相対的に非殺人志向的になり、19世紀初期には、北部と南部の山岳地帯で<殺人率は>極めて低くなった。
 しかし、米独立革命後、奴隷制の南部では、親族ではない成人同士の殺人率は顕著に上昇し、1840年代末から1870年代央にかけて米国の全域で急上昇した。
 この間、他の大部分の欧米諸国では、率は同じくらいか落ちたというのに・・。」(B)

 「「つまり、一時的とはいえ>欧米世界で一番殺人志向が低かった場所<たる米国>が<、一転、>一番殺人志向の高い場所になったのだ」とロスは記す。・・・
 彼の主張によれば、革命後の米国の理想主義は、もう一つの革命である産業革命による分裂的にして疎外的な殺人的ともいえる経済的な諸現実と、それから南北戦争、そして西漸運動と人種的憎悪の喧嘩沙汰、によって簒奪されてしまったのだ。
 かくして、今日まで続くところの、図式が自然に確立したわけだ。・・・」(A)
 
 「・・・南北戦争の終わり頃には、親族でない成人同士の殺人率は、北部では、カナダや西欧よりも顕著に高かったが、南部と南西部では、一桁ないし二桁の規模で更に高かった。
 米国が、より暴力的でない諸国と区別されるところのものは、当時、この国を襲った一連の諸大変動であることをロスは示唆する。
 「奴隷制と移民に関する諸危機、自営業の減少、工業都市の勃興…<といった大変動>。
 米国が辿っている路線に幻滅した人々は、政府と隣人達の双方から次第に疎外されつつあると感じた。
 彼等は、自分達が仲間の米国人達と偉大なる冒険に参画している、という感覚を失いつつあった。
 それに代わって、彼等は、殺人的とも言える経済と戦闘的な選挙制度の中で、関心と価値が自分とは正反対の何百万という異邦人達と競争させられていたのだ」とロスは記す。
 これらの認識の幾ばくかは、もちろん、今日でも広汎に<人々の間で>抱かれており、ロスは、我々がどのように統治されているかということと、我々が相互に殺し合う可能性との間には、相関関係があると見ている。
 「様々な統計値は、20世紀の殺人率は、貧しい人々を鼓吹したり人気が高くて中産階級の立場から統治した大統領達の任期中は落ち、政治的かつ経済的危機の時期に在任し、その権力を濫用したり不人気な戦争を行ったりした大統領の任期中には上がったことを明確にしてくれる。
 もっともひどい上昇は、リチャード・ニクソンが権力の座にあった時に生じた。
 <逆に、>最も大きな減少は、ローズベルト、アイゼンハワー、そしてクリントンの下で生じた・・・」<と。>・・・」(C)
 
(続く)