太田述正コラム#3662(2009.11.22)
<再び人間主義について(その1)>(2010.1.2公開)

1 始めに

 2003年に出た、極めて興味深い本の存在を、ようやく一昨日知りました。
 ニューヨークタイムス掲載の対談(A)の中で言及されていたのです。
 その本とは、米ミシガン大学教授のニスベット(Richard Nisbett)による、'The Geography of Thought' です。
 (この本についても、米国の主要メディアで取り上げたのがニューヨークタイムスだけ、というのは偶然とは思えません。やっぱり、ニューヨークはユダヤ人の町だということなんでしょうね。)
 人間主義について、更に考えさせる内容を含んでいるので、書評等を通じ、ニスベットの主張をご紹介しようと思い立ちました。

A:http://opinionator.blogs.nytimes.com/2009/11/19/western-men-are-doomed/?pagemode=print
(対談。11月20日アクセス(以下同じ)。2009.11.19)
B:http://www.umich.edu/news/Releases/2003/Feb03/r022703a.html
(書評(以下同じ)。2003.2.27)
C:http://leadershipcrossroads.com/mat/Geography%20of%20Thought.pdf
(2007年)
D:http://www.associatedcontent.com/article/452208/book_review_the_geography_of_thought.html?singlepage=true&cat=16
(書評子はアジア系米国人。2007.11.26)
E:http://www.asianreviewofbooks.com/arb/article.php?article=262
(書評子はアジア系米国人。2003.7.22)
F:http://kimallen.sheepdogdesign.net/Reviews/geothought.html
(2003年)
G:http://serendip.brynmawr.edu/exchange/node/4331
(書評子は韓国系米国人。2009.5.13)

2 ニスベットの主張

 (1)序

 「・・・「様々な異なった文化からの雑多な人々の集団においては、世界に関する異なった諸信条が見い出されるだけでなく、世界に関する異なった感じ取り方と理論的思惟も見い出されるところ、それぞれが長所と短所を有している」とニスベットは言う。・・・
 彼の様々な発見は、これまで長く当然視されてきた心理学上の前提、すなわち、人間の頭の働きはどこでも同じようなものだ(universal)という前提、に疑問を投げかけるものだ。
 この過程で、彼は以下のような疑問を提起する。
・どうして昔の支那人は代数と算数に卓越していたけれど、幾何ではそうではなかったのか?
・どうして欧米の幼児達は動詞よりも名詞の方を速く身に付けるのに東アジアではその逆なのだろうか?
・どうして東アジア人達にとって、対象をその周りから切り離すことがかくも困難なのだろうか?
・・・」(B)

 「・・・アジア人達は文脈(context)を重要視するが、欧米人達は個々人をより重要視する。
 これは、一般化し過ぎだと思えるかもしれないが、何百もの研究によって十分に支えられていることなのだ。
 リチャード・ニスベットの本、'The Geography of Thought' は、<これに関する>いくつかの証拠を要約している。・・・」(A)

 「・・・この文化的懸案を自ら「生きている」自分としては、この本を読んだ時、「そんなこと知ってたさ。だけど、誰かさんがついにそれを言葉にしてくれた!」と感じた次第だ。・・・」(D)

 「・・・著者が、大部分の「欧米」諸文化に強い影響を与えたと主張するところの、古典ギリシャ人達の抽象的論理(logic)と、道教、儒教、仏教の諸伝統の特徴であるところの全体論的(holistic)思考(thinking)を対照させるやり方は、我々を激しく突き動かすものがある。・・・」(C)

 「・・・全体として、彼は、個人的作用(agency)と個人的アイデンティティーの諸感覚を古典ギリシャ人達に帰せしめ、他方で、これと対をなすところの集団的作用と調和を昔の支那人達に帰せしめる。・・・」(G)

 (2)実験/観察結果

 「・・・もしあなたが米国人達に魚が入った水槽を見せれば、彼等はその水槽の中の一番大きな魚について語る。
 <他方、>もしあなたがアジア人達にこの水槽を見せれば、平均的に言って、60%多くの人がその光景の文脈と諸様相(features)に言及する。
 <また、>欧米の親達は、自分達の子供達に教える時、名詞と範疇とを強調する傾向があるのに対し、韓国人の親たちは、動詞と関係とを強調する傾向がある。
 もしあなたが米国人達に鶏と牛と草が描かれている絵を見せれば、彼等は鶏と牛を一括りにするだろう。というのは、これらはどちらも動物だからだ。
 アジア人達の場合は、牛と草を一括りにしがちだ。というのは、牛は草を食べるからだ。この二つは関係があるというわけだ。・・・」(A)

 「・・・東アジア人達はより全体に配意しがちであるの対して、欧米人達はより全体の中の特定の対象に焦点をあてがちであるかどうかを試験すべく設計された実験で、日本人達と米国人達に、同じ海中のアニメ・シーンを見せ、何が見えたかを報告させた。
 「米国人達が最初に口にするのは、通常、前景の中の大きな魚への言及だった」とニスベットは言う。
 「彼等は、「鱒のようなものが右方向へと泳いで行った」めいたことを言う。
 <これに対し、>日本人達は、通常、背景の諸要素、・・「湖か池があった」・・に言及した。
 日本人は、環境の背景的諸様相について、米国人達よりも70%多く口にしたし、例えば、大きな魚が灰色の海藻の所をよぎって泳いで行ったといったように、<魚と>環境の動かぬ諸様相との関係について、<米国人達よりも>100%多く口にしたのだ。・・・
 <ちなみに、>韓国人達は、米国人達と比較して、誰かのふるまいの諸原因として、人格的諸特徴よりもはるかに多く、状況的諸要因をあげがちだった。・・・」(B)

(続く)