太田述正コラム#3438(2009.8.3)
<欧州の中世初期(その1)>(2009.12.22公開)

1 始めに

 クリス・ウィッカム(Chris Wickham。1950年〜)が上梓した『ローマの承継(The Inheritance of Rome)』が英米で大きな話題になっています。
 これは歴史好きにはこたえられない本であると同時に、私のアングロサクソン/欧州文明論の観点からも見過ごすことはできない本です。
 例によって、書評をもとに、この本の内容のエッセンスをご紹介したいと思います。

A:http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/07/31/AR2009073102233_pf.html
(8月2日アクセス。以下同じ)
B:http://www.guardian.co.uk/books/2009/jan/24/ian-mortimer-the-inheritance-of-rome-chris-wickham
C:http://news.scotsman.com/entertainment/Book-Review-The-Inheritance-of.4929222.jp 
D:http://www.literaryreview.co.uk/kelly_02_09.html
E:http://www.historytoday.com/MainArticle.aspx?m=30950&amid=30279754
F:http://entertainment.timesonline.co.uk/tol/arts_and_entertainment/books/non-fiction/article5859043.ece
G:http://www.timeshighereducation.co.uk/story.asp?storycode=405281
H:http://arltblog.wordpress.com/2009/02/03/review-of-the-inheritance-of-rome-by-chris-wickham/
I:http://www.thetablet.co.uk/review/439
J:http://medievalnews.blogspot.com/2009/01/inheritance-of-rome-history-of-europe.html
K:http://www.asianreviewofbooks.com/arb/article.php?article=976
L:http://www.spectator.co.uk/books/3345646/a-slow-decline.thtml

 なお、ウィッカムは、長く英バーミンガム大学で教鞭をとりましたが、現在、オックスフォード大学の中世史の教授をしています。(B)

2 序論

 「・・・<この本は、>ローマ後の400年から1000年までの歴史を扱っている。・・・」(A)
 「・・・エドワード・ギボン<(コラム#858、1768、2138、2382)>のような啓蒙時代の学者達は、古典文明の崩壊を大災害ととらえた。
 だから、ギボンは、「それは野蛮と宗教の勝利だった」という有名な文句を吐いた。・・・」(F)
 「・・・<ウィッカムは、>(これまでのように)この時代を「暗黒時代(Dark Ages)」と呼ぶのではなく、「初期中世時代(Early Middle Ages)」と呼ぶべきであるとする。・・・」(K)
 「・・・クリス・ウィッカムによれば、二つの大きな物語が我々の400年から1000年にかけての期間についての見方をゆがめてきたというのだ。
 第一の物語は、ローマ文明とルネッサンスの間の10世紀であるところの「中世(the middle ages)」とは」(B)、ローマ的な属州(provincial)政府という制度から・・・封建制<という制度の成立>に至る間の仮の宿(halfway house)以外の何物でもない<、というものだ。>(J)
 「・・・<確かに、>農奴、領主、騎士、そして城を伴うところの、いわゆる「封建制(feudalism)」は、この期間の終わりになってようやく出現する。・・・」(J) 
 しかし、仮の宿というと、あらかじめ定められた目的地に向かっての旅という含意があるが、ウィッカムはこのようなアプローチに対して強硬に反対する。・・・」(J)
 <このようなアプローチ>からは、<欧州の>初期の諸世紀は非文明的で「暗黒」であるという見方が導出され<てしまうからだ。>。
 第二の物語は、この期間がもっぱら、「諸国(nations)の生誕」という観点から重要であるという観念であり、この観念の結果ゆがみが生じたというものだ。
 例えば、400年にはイギリスという政治的国家は存在していなかったが1000年には存在するに至っており、よって、この時代の主要な話は、いかにイギリス(あるいはフランス、あるいはカスティリア(Castile)、等々)が生まれたかだということになった。・・・」(B)
 「・・・彼のとった中心的戦術は、中世をローマ帝国及び近代欧州の双方から切り離すというものだ。
 すなわち、中世は、独自性を持った期間として扱われるべきだというのだ。
 長く退屈な、古典世界の夏の盛りとそのルネッサンスにおけるいわゆる再発見の間に奏でられる間奏曲としてではなく・・。
 ウィッカムのねらいは、ローマ帝国の分解によって圧倒的な影を投げかけられたものとしてではなく、また、欧州の自由主義、民主主義あるいは国民国家の起源を見つけることへの関心によって突き動かされることもない、歴史を記述しようというものだ。・・・」(D)
 「・・・<彼は、>欧州史を理解するためには、地中海を包含した視点を持たなければならないともいうのだ。(この拡大的<とも言うべき>アイディアは、ウィッカム固有のローマ史からの継承物であると考えてもよいのかもしれない。)
 「・・・その申し分のない学識でもって、ウィッカムは、ラテンの西、ビザンチン帝国、そして(それが欧州史に影響を与えた限りにおける)イスラムのカリフ、という「ローマの相続者」たる三つをすべてを考慮し、<これら三つの>深甚なる比較を行う。・・・」(E)
 「・・・<このように、>アッバース朝カリフの歴史が、これまで欧州史に含められたことはほとんどない。
 よりよく知られたシャルルマーニュ(Charlemagne<。742〜814年>)のフランク王国(768〜814年)及びイギリスのアルフレッド大王(<Alfred the Great。849〜899年。>在位871〜899年)の歴史と対置する形で、イスラム世界の750年からの文化的かつ政治的発展を位置づける、という比較歴史的な試みは、最も実りある成果の一つを生み出したと言えよう。・・・」(D)

 「・・・ずれた(off-beam)島国根性的(insular)観点から<中世>を見ているという、まさにその理由から、ウィッカムは、彼以前の他の英語圏の歴史家達と同じく、欧州大陸の歴史家達においては匹敵する者を見いだすのが困難であるところの、超然さ(detachment)と共感(sympathy)の幅広さとを達成している。
 マルク・ブロック(Marc Bloch<。1886〜1944年。フランスの中世史家>)やジョルジュ・デュビー(Georges Duby<。1919〜96年。フランスの中世社会経済史家>)によって記述された中世は、フランス的様相を帯びており、フランスの話、とりわけクローヴィス(Clovis<。466?〜511年。フランク族を統一しフランク王国を樹立>)とシャルルマーニュの話が中心的位置を占めていた。
 ローマからアーヘン(Aachen<。シャルルマーニュの本拠地。現在の仏独国境近くのドイツに位置する>)に至る道には、ワインの樽が敷き詰められ、香水・・ゴーロワーズ(Gauloises)(注1)とまでは行かなくとも、ガリア的プライドたる独特の香りの香水・・が振りまかれていた。

 (注1)シリアとトルコ産の濃い色のタバコの葉からつくられたフランスのタバコのブランド名。フランスへの愛国心やフランスの中心的価値を連想させるものとされている(太田)
http://en.wikipedia.org/wiki/Gauloises

 この本には、このような無意識的なバイアスはない。・・・
 ウィッカムは、・・・本質的に唯物論的な伝統の枠内で<中世史を>記述している。
 歴史における大部分の大きな変化について、社会経済的説明が追求されているのだ。
 もっとも、宗教が単に政治ないしは人類学の観点からだけ取り扱われていることに違和感を覚える者がいるかもしれない。
 他の者は、欧州大陸の歴史において、キリストと同じくらいムハンマドへの言及がなされていることにびっくりするかもしれない。・・・」(I)

(続く)