太田述正コラム#3626(2009.11.4)
<正義について(その3)>(2009.12.12公開)

  エ 道徳的(vituous)自由主義

 このように、二つの現代自由主義の派は、そのあらゆる違いにもかかわらず、ロールズが含蓄ある形で要約したところの「権利は財(good)よりも優先順位が高い」という原理を共有している。
 両派は、実質的な道徳的諸理想とは離れて、選択についての公的な諸特性だけから正義の諸ルールが導き出されなければならない、という点について合意している。
 取り返しがつかないほど、宗教的かつイデオロギー的な線に沿って分かれてしまっている諸社会に住んでいる我々として、それ以外のことを望むことができるだろうか、と。
 <しかし、>サンデルは、財よりも権利の方が優先順位が高いとする考え方を拒否する。
 彼は、大昔にアリストテレスによって提唱された古い考えに着目する。
 それは、財の正義にかなった分配をするためには、我々はその財がいかなるものであるのかをまずはっきりさせなければならないというものだ。
 例えばフルートは、演奏されるために作られたわけだ。
 だから、最も良いフルートは、それを最も良く演奏できる者に与えられるべきであって、最も賢明な者、最も富んだ者、あるいは最も美しい者に与えられるべきではない。
 我々は、フルートが何のためのものであるか、すなわちそのテロス(telos=目的)が何であるかを知るまではフルートをどのように配分するかを知ることはできない。
 同じことが、あらゆる社会的諸財について言える。
 こうして我々は、不可避的に、諸価値の議論の多い土俵に登らされる。
 サンデルは、この論題を多くの事例の助けを借りて例証する。
 例えば、同性愛者の結婚は、道徳的中立性に立脚しつつ、しばしば(両派の)自由主義者達によって擁護される。
 彼等は、国家は、同性愛的諸関係の望ましさであろうが何であろうが、それらについて意見を表明すべきではない、と主張する。
 国家の仕事は、それが何であろうと、個々人による選択を裏書きすることだけだ、というのだ。
 この種の議論は、その論理的結論を突き詰めれば、一夫多妻や一妻多夫やその他のありとあらゆる同意に基づく同棲に許可を与えることになってしまう。
 実際のところ、それは、若干のリバタリアンによって好まれているところの、結婚契約の完全な自由化(privatisation)につながってしまう。
 仮に同性愛者の結婚の擁護者達がこんなことまでは望んでいないのだとすれば・・実際彼等の大部分は望んでいないのだが・・彼等を真に動かしているのは、同性愛関係に<異性愛関係と同様の>威信を与えるべきであるとの信条なのだ。
 換言すれば、彼等の立場は、全く中立などではないのであって、実質的な道徳的主張を体現化したものなのだ。・・・」(C)

 「・・・サンデルは、アリストテレスを引き合いに出し、これらの諸制度において「行うべき正しいこと」を知るためには、その目的を決定することが求められる、と主張する。
 そして、政府の目的は、個人の権利を守ることだけではなく、愛郷心、自己犠牲、そして隣人への関心といった市民的諸徳について、これらを尊重し報償を与えることであるとする。
 この正義の三番目<(私のこのシリーズにおける整理の仕方では四番目(太田)>の(本来そうあるべき)定義は、道徳的営み(enterprise)なのだ、と。・・・」(A)

 「・・・<これは、>疑いなく、サンデルや<カナダの>マックギル(McGill)大学名誉教授のチャールス・テイラー(Charles <Margrave >Taylor<。1931年〜。カナダ出身の哲学者>)
http://en.wikipedia.org/wiki/Charles_Taylor_(philosopher) (太田)
や<米国の>ノートルダム大学のアラスデア−・マッキンタイヤー(Alasdair <Chalmers >MacIntyre<。1929年〜。スコットランド出身の哲学者)
http://en.wikipedia.org/wiki/Alasdair_MacIntyre (太田)
ら何人かの知識人・・・によって共有されているところの、少数派の見解だ。・・・」(E)

 (4)結論

 「・・・「私が自由主義と争っている主要点は、自由主義が個人的諸権利を非常に強調することに対してではない。私はこれらの諸権利は極めて重要であり、尊重されなければならない、と信じている」と彼は言う。
 「問題は、市民達が公的生活に持ち込むところの道徳的諸信念について、そして時には宗教的な諸信念についてさえ、一定の立場をとらずして、我々の権利を定義し正当化することが果たして可能なのかどうかなのだ」と。・・・
 もう一つ彼が争っているのは、多くの今日の自由主義者達が、宗教的な市民達は、彼等の見解を、市民的議論のためには、全市民が理解できるような言葉へと翻訳しなければならないと主張していることに対してだ。
 サンデルは、「公的理性(public reason)は、もっと信仰に暖かくあって」欲しいのだ。・・・
 サンデルは、連帯と市民的自尊心のために、<米国で>より広汎かつ社会横断的に人々が軍役に就くべきだと考えている。
 <ところが、彼にとって遺憾なことに、>マンキュー(<Nicholas Gregory "Greg" > Mankiw<。1958年〜。ハーバード大学教授たる新ケインズ主義(コラム#3602)マクロ経済学者>)
http://en.wikipedia.org/wiki/N._Gregory_Mankiw (太田)
は、 彼の行った授業で、彼等が徴兵から解放されたことでミルトン・フリードマン<(コラム#765、1221、1231、1567、1568、2050、3162、3539)>に感謝すべきだ、と語ったものだ。・・・
 <また、>サンデルが<ある時、>彼の正義についての観念を要約した話をしたところ、・・・歴史学者のニール・ファーガソン(Niall Ferguson<。1964年〜>)<(コラム#125、207〜212、738、828、855、880、905、914、967、1053、1202、1433、1436、1469、1492、1507、1691、3129、3379)>・・・は、・・・「あなたの言う「徳」について、そうだそうだという気にはなれそうもない」と述べた。
 「私は、あなたが徳という言葉を使うたびに、共和国の徳の体現者として人々をギロチンへと送ったロベスピエール<(コラム#66、516、1256、1839、3216、3321、3329)>を思い出さずにはおられなかった」と。
 この二人のやりとりは、その業績を通じてサンデルによって提起された<下掲の>いくつかの主要な疑問に係るものだ。
 自由主義がそれらを改善するためにこそ設計されたところの、民族的かつ宗教的諸緊張に再点火することなく集団的連帯の重要性を強調することが、果たしてできるのだろうか?
 特定の生活の仕方が他の生活の仕方より良いという観念や、政治家達と裁判官達はかかる判断をすべきだという観念は、非寛容ないし強制を簇生させることなく蘇生させることが、果たしてできるのだろうか?・・・」(E)

3 サンデルとコミュニタリアニズム

 サンデルは、1953年に米国で生まれ、同国のブランダイス大学を卒業した後、オックスフォード大学にローズ奨学生(コラム#1009、2031、3230、3405)として留学し、同大学で博士号を取得したのであり、指導教官は、当時同大学の教授をしていた上出のチャールス・テイラーでした。
http://en.wikipedia.org/wiki/Michael_Sandel
 このテイラーも、オックスフォード大学にローズ奨学生として留学し、同大学で博士号を取得しており(上出の彼のウィキ)、時代が少しずれているだけで、瓜二つの学歴です。
 また、同じく上出のアラスデア−・マッキンタイヤーは、ロンドン大学を卒業した後、マンチェスター大学とオックスフォード大学で修士号を取得しています(上出の彼のウィキ)。
 要するに、文中に登場した3人が、その思想を形成したのは、いずれもイギリスにおいてであったわけです。

 他称なのですが、彼等はコミュニタリアン(Communitarian)、その学派はコミュニタリアニズム(Communitarianism)と呼ばれています。
http://en.wikipedia.org/wiki/Communitarian
 上記ウィキは、コミュニタリアンとして、上出の3名のほか、一人の米国人、一人のフランス人、一人のギリシャ人をあげていますが、この一人の米国人とは、プリンストン大学名誉教授のマイケル・ウォルザー(Michael Walzer。1935年〜)です。
http://en.wikipedia.org/wiki/Michael_Walzer
 ウォルザーは、米国のブランダイス大学を卒業後、フルブライト奨学生としてケンブリッジ大学に留学し、博士号はハーバード大学で取得したという経歴であり、やはりイギリス歴があります。

4 終わりに

 このように見てくると、サンデルら、アングロサクソンのコミュニタリアンは、イギリスで人間主義的なものの考え方を身につけ、裸の個人主義に対する批判を展開するようになった、ということではないでしょうか。
 人間主義は和辻哲郎が日本の思想的伝統を踏まえて打ち出した考え方ですが、コミュニタリアニズムはサンデルらがイギリスの思想的伝統を踏まえて打ち出した考え方であり、その両者は極めて似通っている、というのが私の現時点での総括です。
 少数とはいえ、サンデルによって米国の超エリート大学で多数の学生が毎年コミュニタリアニズムを注入されてきたわけですから、米国で今後コミュニタリアニズムが次第に力を増して行くことが期待されます。
 私の見るところ、オバマ大統領もコミュニタリアンであり、サンデルは彼にエールを送っていますが、オバマは、ハーバード・ロースクールの学生の時(1988〜91年)に、始まっていたばかりのサンデルの名物講義(20年以上にわたって続いている(C))に接する機会があったのかもしれません。
 いや、あったに違いない、と思うのです。
 
 (蛇足ながら、このシリーズの最終回に登場したロベスピエール、フリードマン、ファーガソンを私が過去のコラムで何度もとりあげていることに気づきましたが、これは、ロベスピエールは欧州文明の体現者として、フリードマンはbastardアングロサクソン「文明」の体現者として、そしてファーガソンは、スコットランド出身で米国に過剰適応し、結果的にbastardアングロサクソン「文明」の体現者となった人物として、批判の対象にしてきたことの現れである、ということになりそうです。)

(完)