太田述正コラム#3587(2009.10.16)
<ウェードの本をめぐって(その1)>(2009.11.16公開)

1 始めに

 ロサンゼルスタイムスの3つの本を対象にした書評
http://www.latimes.com/entertainment/news/arts/la-ca-karen-armstrong11-2009oct11,0,2218013,print.story
(10月13日アクセス)の中で、書評対象の本でない、2006年に出版された、ニコラス・ウェード(Nicholas Wade)の 'Before the Dawn: Recovering the Lost History of Our Ancestors' が紹介されており、インターネットであたってみると、文明論、軍事論、人間論等様々な観点から、大変面白そうな本なので、一つ腰をすえてご紹介しようと思い立ちました。
 この本が今まで私のレーダーにひっかからなかったのは、英米の主要紙が書評でとりあげなかったからです。
 その理由は、著者が学者ではないこともあげることができるでしょうが、より根本的な理由は、以下のようなことであろうと思われます。

 「・・・<ウェードは、>人種の観念と人間社会の暴力的な戦争志向の性向についても語る。・・・
 予想されることだが、人種の観念が嫌いな人々はこの本を好まない。・・・
 他の人々は、初期の人間の生まれつきの性向が殺人者であることを強調していることに反発している。・・・」
http://www.worldhistoryblog.com/2006/05/before-dawn-recovering-lost-history-of.html 
(10月13日アクセス)
 「<彼は、欧州の>アシュケナージ・ユダヤ人の知的傑出性<について語る。>・・・」
http://davenichols.net/dawn-recovering-lost-history-our-ancestors-nicholas-wade
(10月13日アクセス)

 前置きが長くなりましたが、それでは、この本のさわりの部分を、下掲↓をもとにご紹介しましょう。
http://74.125.153.132c248058.files/March%252010%2520readings/Wade.pdf+Gracilization%3BRichard+Wrangham&cd=7&hl=ja&ct=clnk&gl=j/search?q=cache:NgZj4o9TqhQJ:isites.harvard.edu/fs/docs/icb.topi
(10月13日アクセス)
 ちなみにこれ↑は、グーグルが、上記ウェードの本
 (現物のコピーは以下の通り。ただし PP114〜180)
http://isites.harvard.edu/fs/docs/icb.topic248058.files/March%2010%20readings/Wade.pdf
のかなりの部分を自動的にテキストファイル化したもののようです。

2 ウェード本の中身の紹介

 (1)定住

 「・・・(西ユーラシア、すなわちインド、欧州、そして近東の)白色人種(caucasoid)と(東アジアの人々である)黄色人種(mongoloid)に見られる、頭蓋骨の型の地域的偏倚は、偉大なる更新世(Pleistocene)の氷河時代の次の暖かい時代であるところの、・・・完新世(Holocene)の時代になって初めてはっきりしてきた。
 ・・・近代の諸人種は、12000年から10000年前に主として形成された可能性が次第に高まってきているのだ。・・・(注1)(注2)

 (注1)「・・・ウェードが<この本で>取り扱っているのは、かつて人間が絶滅しそうになった時・・DNA分析により、大量死の後、わずか5,000人の人間しか残っていない時期があったことが明らかになった・・からだ。・・・」(太田)
http://www.worldhistoryblog.com/2006/05/before-dawn-recovering-lost-history-of.html
(10月13日アクセス)
 (注2)「・・・今からわずか50,000年前、肉体的には現代人<であった我々の祖先>は、地球を、ネアンデルタール、ホモ・エレクトゥス、そして最近発見されたホモ・フロレシエンシス(Homo floresiensis)という他の人間達と共にこの地球に生息していた。
 我々は、この三つの人間が、単に死に絶えたのか、それとも我々の祖先によって絶滅させられたのかをまだ知らない。
 遺伝学は、科学者達が、今日生きている人がその遺伝の跡を50000年前にアフリカから外に移住した原初的な人間集団まで遡ることを可能にしつつある。
 あなたのDNA指紋はあなたを特定するだけではなく、今やあなたのすべての祖先についても特定するに至ったのだ。
 科学者達は、あなたの父系と母系の祖先を、それぞれY染色体とミトコンドリアDNAを通じて辿ることができる。・・・」(太田)
http://www.bookslut.com/nonfiction/2006_07_009359.php
(10月13日アクセス)

 最後の大氷河期(Glacial Maximum)が終わると、それまで人間が知っていた唯一の生存方式であったところの、狩猟採集的生活様式の支配的地位もまた衰え始めた。
 近東において、定住的生活の最初の持続的実験が始まろうとしていたのだ。・・・
 11,500年前に、世界は、現在まだ続いているところの、間氷期たる完新世の時代に入った。・・・
 定住主義(Sedentism)は、単一のむき出しの場所において、襲撃者達からの脆弱性を増大させつつ、人々を結びつけた。
 定住主義は、有害な害虫や疾病を惹き付けた。
 定住主義は、人々が自分達の貴重な自由と平等を、階級組織、役人達及び首長達やその他の邪魔者達と交換しなければならなかったことから、新しい思想、新しい社会的関係、そして新しい種類の社会的組織を必要とした。
 考古学者達は、定住主義への移行について、それが、後期旧石器時代(Upper Paleolithic)の始まりである50000年前に行動上の現代人が彼等の解剖学上の現代人たる祖先達の中から出現したことに匹敵する革命であった、と語ることをほとんど躊躇しない。
 ハーバード大学教授のバール=ヨセフ(Bar-Yosef)は、この二つの移行について、「人間の歴史における二つの主要な革命」と称している。
 狩猟採集者達は、ほとんど個人的財産を持っていないに等しく、富の差がないため、みんなが多かれ少なかれ平等だった。
 <これに対し、>最初の定住諸コミュニティーにおいては、極めて異なった社会秩序が貫徹していた証拠が提示されている。
 家々と貯蔵諸施設は、私的に所有されていたように見えるのだ。
 個人的財産が認められたため、人々の中には、より高い地位とともに、急速に財産を獲得した者達が出てきた。
 古の平等主義は消滅し、その代わり、首長達と平民達、金持ち家族と貧乏人、労働の分業、そして祖先崇拝の形をとった公的な宗教の始まりを伴うところの、階級組織的社会が出現した。・・・
 定住主義は、他の人間集団からの防衛という、最も執拗な人間社会における需要への対応も迫られたに違いない。
 狩猟採集者達にとっては、安全保障の要諦はその移動性にあった<のに、移動性を放棄したのだから・・>。・・・
 <しかし、>通常の食糧をあさる(foraging)集団に比べて人数が多かったことから、要塞化と恐らくは15000年前に入手可能となった番犬達と相まって、定住者達は、食糧と女性達を狙う襲撃諸隊に対するハンデを解消することが可能であったことだろう。
 この新しい形の社会的組織は、野生の穀物の栽培や羊や山羊のような野生動物の囲い込みと群れとしての集結といった技術革新以前に生まれ、恐らくはそれらの技術革新を促進したのだろう。
 これらの段階を経て、今度は、恐らくそれを意図したというよりは偶然に、植物の栽培植物化と動物の家畜化、すなわち、農業の始まりがもたらされたのだろう。・・・
 今では、農業が必ずしも定住生活の先決要件ではないこと、また、定住的定住者達が常に農民であるというわけでもないことが明白になってきている。・・・
 ・・・人々がハシバミの実や鮭といった豊富な食糧源に遭遇した時に、それらを貯蔵する方法とともに、定住が試みられたのかもしれない。
 しかし、これらの初期の定住の事例は散発的なものであって、<人間の>大きな行動上の変化を必要としなかった可能性がある。
 真の定住主義は、後期旧石器時代の終わり頃になるまで、人間の間に、恒久的な生活様式としては普及しなかった。
 成功裏の長期間にわたる定住コミュニティーの最初の明確な証拠は、ナトゥーフ人(Natufian)と呼ばれる人々のものだ。
 彼等は、近東に、15000年から11500年前頃から住んだ。
 彼等は、現在イスラエル、ヨルダン、そしてシリアであるところの、地中海の東側の地域の土地を占拠した。
 初期のナトゥーフ人は、そこに生えていた二粒系小麦(emmer wheat)と大麦を採集した。
 彼等は、穀物たる草を切るために石の小鎌(sickle)を作った。
 この石の小鎌は、穀物の茎に含まれる珪土(silica)によってもたらされるところの、特徴的な研磨の兆候を帯びている。
 バール=ヨセフは、ナトゥーフ人が、一粒系(einkorn wheat)と二粒系小麦、そして稲と大麦を含む、これらの野生の穀物の栽培を始めたのは、ヤンガードリアス(Younger Dryas)(注3)の間、これらの穀物草の天然反当収量が減少したためではないかと示唆する。

 (注3)更新世の終わりのヨーロッパの気候区分で亜氷期の期間。12,800年前頃から11,500年前頃まで。(太田)
http://en.wikipedia.org/wiki/Younger_Dryas

 もっとも、その証拠は今のところほとんどないし、いずれにせよ、ナトゥーフ人は、栽培植物化した形の穀物を開発しはしなかった。
 しかし、群れ集まって、これらの穀物を準備し貯蔵することによって、彼等は、彼等の後継者達が栽培植物化を行うための技術的基盤を整えつつあったのだ。
 ナトゥーフ人が、知られている最も初期の定住民として、それまで及びその後の諸社会を形作った二つの独特の人間活動たる、戦争ないし宗教を知らなかったわけではないことは興味深いものがある。
 ナトゥーフ人は、一貫して平和的であると描かれてきたが、ある場所からの遺骨のより詳細な検証により、最近、ナトゥーフ人の集団の間での暴力的な紛争の証拠が示されたところだ。・・・(注4)

 (注4)「・・・ナトゥーフ<は、>・・・更新世末の遊動的採集狩猟民から、農耕によらないで定住型採集狩猟民へと移行したという点で、縄文時代の比較対象にされることもある・・・が、その後の展開は全く異なります。・・・縄文期が基本的に定住型狩猟採集社会を維持し続けている間に、西アジアは、旧石器時代→新石器時代→銅石器時代→金属器時代にまで大きく推移してい<くのです>。・・・」(太田)
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=43375 

(続く)