太田述正コラム#3537(2009.9.21)
<よみがえるケインズ(その2)>(2009.10.23公開)

3 ケインズの経済学

 「ケインズ以前の経済学における支配的なものの見方は次のとおりだった・・・。
 「その作用と反作用が平衡ないし均衡状態を維持するところの独立した原子的粒子群(人間達)からなる世界」<なのであるからして、>やっかいな政府さえほっておいてくれれば、合理的私利(rational self-interest)と自由競争が経済を平衡へと導き、成長と雇用を促進する<、というものの見方だ>。
 これは、すばらしいように思えた。しかしそれは、大不況までの間の話だった。・・・
 今となって思えば、ケインズの<下掲のような>革命的諸洞察はごく当たり前なものに思える。
 第一に、自由市場経済は必ずしも成長と完全雇用をもたらすわけではない。
 財・サービスに対する需要が減退したならば、価格が変更するのではなく生産が減少する、つまりは景気が後退することによって平衡が回復する。
 だから、ケインズは、政府は租税政策と支出政策とを用いて需要を喚起し景気下降を防ぐために介入しなければならないと言ったのだ。
 第二に、市場は、自己矯正的ではないのであって、常に不確実性(uncertainty)に直面する、とケインズは主張した。
 今日の<経済の>ひどい様を理解するためには、<ケインズが指摘したように、>完全な「不確実性」と「管理可能な(manageable)リスク」とを区別することが枢要である、とスキデルスキーは記す。
 <ウォールス街は「不確実性」の評価ができなかったというのだ。>・・・」
(C)

 「・・・<ケインズはこう言った。>
 「不確実な」知識に言及することで、私は、確実に知っていることと単に可能性があること(probable)とを区別せよ、と言いたいのではない。
 欧州で<再び>戦争が起きるか、20年先に銅の価格や利子率がどうなるか、または、発明が陳腐化するか、もしくは、1970年の社会システムにおいて私有財産所有者達の立場がどうなるか、といったことは「不確実な」知識であると言いたいのだ。
 これらの事柄に関しては計算可能な確率を導き出すいかなる科学的根拠もない。我々は要するに知らないのだ」と。
 「我々は要するに知らないのだ」は、長きにわたった好況の間、経済学者や投資銀行家達からほとんど聞こえてこなかった言葉だ。
 その反対であるという証拠が多々あるにもかかわらず、彼等はそれを知っているふりをするために、驚くべきことにいまだに、高額の給与をもらってい
る。・・・」(D)

 「市場経済は本来的に不確実なのだ。なぜなら、それは現在の消費に加えて、将来のための投資がからむからだ。
 将来の不確実性が経済的不安定性を生み出す。
 なぜなら、我々の期待が我々がいかにふるまうかに影響を与えるからだ。
 経済学者達がもっと不確実性に注意を向けておれば、諸政府はこの金融恐慌に対してもっとよく準備ができていたかもしれない。・・・」(H)
 
 「<ケインズの経済学を一言で言えば、>市場経済は基本的に不確実なもの<であり、>政府は危機において介入しなければならない<、というものだ。>・・・」(B)

4 ケインズの経済学の「受容」

 「・・・ケインズは1946年に死んだが、第二次世界大戦後のほぼ30年間、各国政府が経済管理者としての彼等の役割を当然視したという意味で、彼の理論はもてはやされた。
 しかし、スキデルスキーは、当然視されたといっても、それは確信からというよりも便宜的な理由からに過ぎなかったことに注意を喚起する。
 実業界の指導者達は、ケインズ主義を社会主義的煽動に対する防壁として受容した。
 保守主義者達は、減税の主張のために受容した。
 そして自由主義者達は、一層の公共支出のための理屈付けとして受容した。
 彼等が本当にそれを信じていたかどうかはともかくとして、彼等それぞれにとってケインズ主義は役に立ったわけだ。・・・」(C)

 「・・・1950年代と1960年代におけるファイナンシャルタイムスの著名なるコラムニストのハロルド・ウィンコット(Harold Wincott<。1906〜69年>)は、英国の経済学者のジョン・メイナード・ケインズ・・・の諸教義は、彼が生きていた間、誤って適用されてきたので、これら諸教義は、本当に必要とされるかもしれない時には不信任されていることだろう、と記したことがある。
 ウィンコットは正しかった。
 実際問題として、1950年代と1960年代における英国及び欧州諸国の何カ国かの経済政策は、<ケインズばりの>極めて慎重なものだったが、それは単に通貨の固定交換レートへの誤った執着がしからしめたものだった。
 かかる政策枠組における根本的欠陥にこれらの政府が気づくには、長い時間がかかった。
 例えば、1957〜63年の英国首相のハロルド・マクミラン(Harold Macmillan<。1894〜1986年>)<(コラム#610、1790)>は、インフレ<防止>は国際収支の平衡の観点からのみ重視すべきだと信じていた。
 だから、多くの政界及び実業界の指導者達は、貸し渋りや支出しぶりによってもたらされた不況の真の脅威に直面した時、途方に暮れるばかりだった。
 だから、こういう脅威と戦おうとするにあたって全般的「減額(cuts)」を行うことの無意味さを見て取れた人々が、大きな景気後退にあたって政府支出による刺激を推奨したことで知られる経済学者<たるケインズ>の記憶を呼び覚ましたいと思ったことは不可避だった。・・・−」(A)

(続く)