太田述正コラム#3562(2009.10.4)
<皆さんとディスカッション(続x617)>

<ΑΤΑΤ>(「たった一人の反乱」より)

≫それはともかく、日独伊三国同盟締結(=1940年9月27)までの時点において、日本は、ヒットラーによるユダヤ人迫害とそれによるドイツの頭脳流出はある程度把握しつつも、ヒットラーによる対ソ連攻撃はおろか、その後のソ連内のウクライナ等の抑圧勢力をことごとく敵に回すような愚行など到底予測できなかったのでしょうね。 当時の日本の、諜報能力を含む情報収集能力はその程度のものであったというべきか、日本がそこまで追い詰められていたということか、出るのは嘆息ばかりです。≪(コラム#3503。太田)

 坂東宏の『日本のユダヤ人政策1931―1945 外交資料館文書「ユダヤ人」から』によると『日本政府・軍は独ソ間諸国の在外公館・武官配置により独・ソ連・ポーランドの政治、軍事情報、およびとりわけソ連の軍事情報を収集していた』とのこと
#典拠同上pp153〜160の外交資料
〈1927年 在ワルシャワ臨時代理公使から外相幣原あて(同地の在外公館の必要性について)報告〉
 『露国問題とポーランドとが離るべからざる関係にあることは世間周知の事実なり、バルチク諸国も同様にして・・・然るにバルチク諸国はポーランドに比すれば更に小国にて・・・政治的、経済的に露国の圧迫を感ずること強く、ともすれば之と妥協せんとする傾向なきにあらず』
<1929年 ベルリン大使から外務次官あて>
 『いずれ常設となるラトヴィア公使がリトアニアおよびエストニアを兼任する事が「諜報事務の現地から有効」であり』
 『「これら辺境の(ラトヴィア、エストニア、リトアニア)は独特な地位を占めている故・・・諜報網を設ける必要・・・」がある』

<1936年 参謀本部の対ソ情報担当官から外務省あて>『ラトヴィア在勤武官をして速にエストニア在勤武官を兼任せしむる件』として『「エストニア参謀本部の対ソ連情報はその広汎且正鵠の点において」他の西洋諸国の追随を許さない・・・と(諜報の観点から)在リガ公使にエストニアを兼任させ、在外公館も小野寺少佐も同じ扱いにする事を要請』1937年実現

 このように諜報網の整備・強化を進めていたところ、ソ連のバルト三国併合(=1940年8月11)に併う問題で『バルト三国を拠点とする日本の対ソ、対独・ソ関係に関する情報収集を一挙に不可能にした事態』に言及している。
 これに対し日本側は『バルト四国(フィンランド含む)へのソ連進出と同地在住者の地位に関する件』として有田外相が在ベルリン大使来栖にドイツ側の見通しを内々調査するように命じ、その回答は『ドイツはバルト三国について「ソ連がいかように料理するも黙りおる肚の如く」』と不信感を滲ませている。
同上pp160.161『』内の文章のみ引用

 『リスアニアがソ連に併合されるまでの九か月間に、杉原千畝はポーランド軍の地下情報組織に属するヤクビアニェツ大尉やフリンツェヴィッチ少尉、ダンキェヴィッチ中尉と情報活動における協力関係を結んおり、その協力関係は、のちのストックホルムにおける小野寺大佐とリビコフスキ少佐の協力に引き継がれる』
同上p164
 小野寺大佐(とリビコフスキ少佐)の活動についてはこの辺りを
http://www.hb-arts.co.jp/040520/safe.htm

 杉原が戦後、リビコフスキからの依頼に応じ書いた短い活動記録によると、『日本人住民は一人もいないカナウスの日本領事として、私はやがて会話や噂にもとづいて、リトヴァ・ドイツの国境地帯から入ってくるドイツ軍による対ソ攻撃の準備と部隊の集結に関するすべての情報を、外務省ではなく参謀本部に提供する事が自分の任務であることを了解した』同上p167
 杉原のカナウス日本領事としての期間は1939,12〜1940.8、その後はケーニヒスベルク領事(1941.3-12月)として、ドイツ軍による対ソ戦準備を視察していたようだ。
同上p165に基づく

 またリビコフスキ少佐は回想を記した記録のなかで、『“ドイツとの戦争開始の後”・・・日本人の協力によって・・・極東におけるポーランド部隊の創設を・・・考えていた日本外務省からは“そのために”600件のビザが支給された』同上p164
 こういったなかで大戦中に日本大使館がポーランドのレジスタンスを保護するような、行動をしている。
http://harororo.hp.infoseek.co.jp/japan_pola.html
 日本側がどの程度、ドイツを信用していたのかと言う事には疑問があることと、
『在ベルリン武官、のちに大使となる大島中将は・・・ヨーロッパ諸国占領ののち、イギリス上陸作戦が実施されると予測していたのに対し、リガ、ストックホルム、カナウスでイギリス、フランス武官や現地の参謀将校およびポーランドの情報士官と連絡を保っていた西村中佐、小野寺大佐、また杉原領事代理らは独・ソ戦を予測しており、しかも小野寺大佐とリビコフスキ少佐は1941年12月はじめにはドイツ軍のモスクワ攻撃失敗を予測しており、本国の参謀本部に繰り返し報告している。しかし、参謀本部も政府首脳部も大島の予測を信用したのであった。
 せっかくの情報網もその効果を実現できなかったのである。』(同上p197)
と、この本の著者は参謀本部・政府が希望的観測?に従ったと主張している

<ΑΑΤΤ>(同上)

>「・・・しかし、参謀本部も政府首脳部も大島の予測を信用したのであった・・・」

 これは「信用しなかった」が正しいよね?

<太田>

 確かに、『木戸幸一日記』には、

◇06.06:近衛公より電話にて「大島大使、ヒ総統に呼ばれベルヒテスガルテンにて面会す、独は愈々ソ連を討つとのことなり。日本に対しては之に参加を希望すとは云はざるも、暗に之を望み居る様子なり。右につき今朝連絡会議を開催す。右言上を乞う。」
 9時50分より同55分迄、拝謁、右の趣を言上す。
 2時、松岡外相参内、クロアチア国の承認、並びに大島大使の電報につき言上す。外相の見透は、大使の観測にも不拘、独ソの関係は協定成立六分、開戦四分と見るとのことなりき。
 3時、武官長来室、独ソ関係に関する陸相の見解も亦左迄急迫せりとは見ざる旨ありたり。
・・・
◇06.19:松岡外相より電話にて、ロンドン発ルーター電によれば独はソ連に対し進撃を開始せりと、真偽不明。
 拝謁、右の趣を言上す。
http://plaza.rakuten.co.jp/kamuynupe/diary/200712300000/

とあるので、大島(が伝えたヒットラー発言)を「信用しなかった」とも言えるけど、問題は、独ソ開戦が大島のそれまでの予測を覆すものだったことだよね。
 出先の大島の予測や情報なんてことよりも重大なのは、当時の日本政府は、1939年8月の独ソ不可侵条約の締結が全く予測できず、「欧州の天地は複雑怪奇」として平沼内閣が総辞職した
http://www.c20.jp/1939/hira_9.html
ことを思い出すまでもなく、外務本省も陸軍本省(参謀本部)も、1941年6月の独ソ開戦についても、全く予測できなかったらしいことだな。

<ΑΑΤΤ>(同上)

 参謀本部はソ連が中立条約破って攻めてくる時も現地の情報機関が上げた情報を信じず、対ソ戦が始まってもソ連との講和の可能性を考えて最後までソ連に宣戦布告しなかった。(典拠省略)
 参謀本部には情報分析の上で何か欠点があったのではないかと思えてくる。

 あと『この国を支配/管理する者たち』(中丸薫、菅沼光弘共著)の中で菅沼氏の話として大戦期間中、それぞれの機関の情報部は自分達が掴んでいるそれぞれの情報を他の部署に伝えようとしなかったそうだ。
 これが大局的判断で大きな過ちになったと言っており、状況は現在も変わっていないそうだ。

<ΑΤΤΑ>(同上)

>参謀本部はソ連が中立条約破って攻めてくる時も現地の情報機関が上げた情報を信じず、対ソ戦が始まってもソ連との講和の可能性を考えて最後までソ連に宣戦布告しなかった。

 吉川弘文館の概論日本歴史(概説書)によると、
『・・・1923年(大正12年)に改定された帝国国防方針・・・では、中国をめぐるアメリカとの対立から日米戦となり、中国はアメリカと結んで日本に対抗し、日本がアメリカ・中国と戦っているあいだに“ロシア(ソ連)が参戦する、とのみとおしがたてられていた”。・・・』(同上p241)
と、言う事らしい。
 なぜこのような見通しが立てられていたか、アメリカが第一の仮想敵として考えられていたかについては
『・・・つまり中国の鉄道や財政問題という、列強の経済的権益に密接に関係する重要問題がワシントン会議以降も再討議されざるえない状況が生まれるようなとき、日本とアメリカとの原理的な対立は必死であると判断されていた・・・』(同上p242)
との事。
 この記述が本当だとすると、戦時期の参謀本部は何を考えて情報を判断してたのか、現実逃避してたとしか・・・・・・

<太田>

 引用してくれた帝国国防方針は、何かの折に使わせてもらいたいもんだ。
 とにかく、日本政府(外務省や陸軍省)の公開情報や諜報に基づく情勢判断能力が、昭和期に入って急速に劣化したということだろうね。
 マクロ的には、中央集権下の縄文モードへの回帰、ミクロ的には、エリートの軍人と文民への分断等(コラム#3445)が原因かな。

<τταα>(同上)

≫(大学院を卒業するまでに司法試験合格と修士論文以上を書いて学問方法論を身につけることの)両方できれば言うことないけど、日本じゃまあ無理だろうな。≪(コラム#3558。太田)

 日本で不可能なのは、司法試験合格が難しいから? それと・・・太田氏は法曹の資格取らなかったことを後悔してるのかな

→日本のかつての法学部では学問方法論は身につかなかった。恐らく現在の法科大学院(下出)でも同じだろう。だから、両方は無理って書いたのさ。
 なお、私自身について言えば、法曹の資格を取らなかったことが、むしろ退路を断つという意味ではプラスに働いた面もあったな。(太田)

 ちなみに、新司法試験では法科大学院卒業が受験の前提となる
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B8%E6%B3%95%E8%A9%A6%E9%A8%93

≫「日本を一人前の国」にするための方便としては、小林よしのりみたいな漫画家になるのもアリだし、ジャーナリストになるのも、評論家になるのも、政治家になるのもアリじゃないか。≪(同上)

 官僚になっても無駄ってことかな。「方便」ってのがちょっと引っかかるけれど・・・
→官僚になったっていいんだけど、官僚でいる限りは言論の自由がないからなあ。(太田)

 面白いデータを見つけた。典拠ないけど・・・
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/joke/1249359820/82-83
 地方分権を早く推し進めるべき!
↓これも面白い。
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/joke/1249359820/92-94

<太田>

 引用してくれた典拠を見る限り、国立大学に関し、地方分権は確立してるじゃん。

<τατα>(同上)

 今一番若者に影響力があるのは、漫画家やジャーナリストよりもお笑い芸人だと思うよ。

<ΑΑΤΤ>(同上)

≫中小企業に係る「借金、貸借関係を丸ごとチャラにするなどということ」を亀井金融相が言ったと報じたマスコミはなかったと思うよ ≪(コラム#3560。太田)

http://www.youtube.com/watch?v=EhQyVT3QBb8&NR=1
 ここで財部氏が言った「借りた金を返さなくていいんだよ。云々」が「借金、貸借関係を丸ごとチャラにする」 にあたるんじゃないですかね。

≫「借金の元本の返済を一律かつ長期にわたって猶予する」という趣旨のことを言ったと報じた(略) そのように報じられた以上は、「」の「発言」を否定しなきゃダメなのに、亀井はそれをやってないぞ。≪(同上)

 「そんな一律に金太郎あめみたいに貸し借りをチャラにするなどということを言った覚えはないよ、一度も。
 ありますか。いろいろとテープを録っているでしょう。全部調べてみなさい。そんなことを言った覚えはありません。」
って言ってる部分があ<るけど、>ああそうか。
 猶予するというべきところをチャラにするって言っちゃったのね亀井さん。
 今、気がついたわ。

 「だから、貸したり借りたりの中身というのは、全部違うでしょう。金太郎飴みたいにはいかないです。 一つの条文で、ばっと処理できないでしょう。だから、どういうケースはどうやっていくかという実効のあるものにするにはどうしたらよいかということを、今日から検討を始めると言っているのです。」
が”一律”の否定とは太田氏はとらないのかな?

<太田>

 ここのくだりだって、単に元本返済猶予期間の話をしている、と読めないこともありませんねえ。

 いずれにせよ、亀井金融相は、以下の発言でもって、ようやく「一律」も「長期」も否定するに至ったと見るべきでしょう。↓

 「・・・亀井金融相は3日・・・「力をもって、個人間(の貸借契約)に介入していくと言ったことはない」とし、当事者間の話し合いを重視すると強調。・・・」
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20091003-OYT1T00711.htm

 大山鳴動ネズミ一匹でしたね。
 亀井金融相は、麻生前首相同様、(漢字ならぬ)言葉は知らないわブレるわの失格政治家たる醜態を天下に晒してしまいました。

<サヨク>

 <コラム#3280>「共産主義の興隆と没落」<を読み>ました。

 不等価な物同士を抽象的な観念を介在させることで交換がなされる。
 (太田さんの著書とマルクスの著書が貨幣を介在させることで交換がなされる。)
 それは交換する主体(主観)の合意に依る。賢い(?)人は交換のネットワークを利用し差額(冨)を蓄積する。
 それが、ぼくの考える資本主義経済です。
 そしてそれ以外の経済システムをぼくは想像できない。
 共産主義経済は資本主義経済の一つのバリエーションにすぎない。
 そうぼくは思います。
 マルクスの云う共産主義は力学「現在が共産主義だ」のことだと思いますネ!

<太田>

 意見に係る投稿ついても、原則として典拠を付けていただきたいと皆さんにお願いしているところですが、遺憾ながら付いてませんね。
 いずれにせよ、少なくとも事実に関しては、典拠を付けるべきでしょう。
 平素から典拠にあたる習慣があれば、資本主義の定義が、生産手段(=資本)が私有され、労働力・商品・資本が市場で取引される経済社会システムである
http://en.wikipedia.org/wiki/Capitalism
ってことがお分かりになるはずです。
 すなわち、その最大のメルクマールは、土地や工場等、生産手段の私有なのです。
 恣意的に特定の用語に関し、確立している定義を無視し、勝手な定義を用いてご「意見」を表明されても、我々はとまどうばかりです。

<核心>

 南京大虐殺が今の人が分からないのは、戦前の日本ではただの捕虜の処分として扱われていたからです。
 ただ、その規模は当時から知られていました。
 以下は「支那事変郷土部隊写真史」(両角外部隊戦況と銃後の実況)(福島民報社、昭和13年6月10日発行)の関連する記述です。

 捕虜の数については2箇所に記述があります。

 両角部隊戦闘日誌(1箇所目)
 ...
 12月12日 鳥龍山砲台占領
 12月13日 南京の北、2キロの地点、幕府山砲台占領、残敵約2万を捕虜とす。
 12月17日 南京入城式に参列
 ...

 感激の南京入城式(世界史を飾る一大壮挙)(2箇所目)

 ...
 .田代部隊を袂を分ち、両角部隊のみ南京の直接攻略に参加するに至った。
  途中、12月12日には鳥龍山砲台を占領、更に同13日には既に南京に迫り、南京の郊外、北約2キロの地点、揚子江の沿岸にある幕府山砲台を占領し、残敵約2万の捕虜を得た。
 その2万の捕虜の中には老陸宅、馬毛宅の敗残兵約2千も加わっているという偶然に遭遇し、我が両角部隊の将士を喜悦せしめた。
 ...

 (捕虜の数という頭は隠すことが出来ないので、自衛発砲などと言って尻だけは隠そうとしているようです。)

 その他の関連する記述です。

 敗戦支那の政治的現状

 ...
 事変をめぐる外交関係に就いては遺憾乍ら詳述の余裕が無い。
  ただ支那のデマ戦術と欧米依存外交が当時は多少の効果があったが我公正なる態度の判明に連れ漸次其信用を墜して来た事、
 ...

 (蒋介石がデマ戦術を取ったことは当時から知られていました。産経新聞で暫く前に一面トップで取り上げていましたが、そういった事情も知った上で記事にしているのです。)

 結論として

 ...
 .此事こそは、彼のゲルマン民族の西漸にも比すべき大和民族の歴史的大陸移動現象であり、
 ...

(こういった考えの方々が<防衛庁防衛研修所戦史室編>「戦史叢書」などをお書きになっているのでしょう。)

 私は以前から南京大虐殺が無かったか、あったかは戦前と戦後の違いだと言ってます。
 戦前の天皇主権国家、明治憲法下の日本では中国人や中国兵の捕虜の殺害など、ただの捕虜の処分なのです。
 戦後、アメリカに憲法を作ってもらったことにより初めて日本は国民主権国家になれたのです。
 そこで言論の自由などという結構なものを教わり、それ以来、それを使って歴史の捏造に奔走しているのです。

<太田>

>捕虜の数については2箇所に記述があります。



>(捕虜の数という頭は隠すことが出来ないので、自衛発砲などと言って尻だけは隠そうとしているようです。)

とは、何の関係もありません。
 繰り返しになりますが、もう一度申し上げます。
 お父上ご自身が、虐殺説と自衛発砲説との間を揺れ動いておられる。
 しかも、お父上のスケッチブックや証言以外に虐殺説を裏付ける一次資料
は今のところなさそうです。
 よって、虐殺説が絶対的に正しいときめつけることはできません。
 
>戦前の天皇主権国家、明治憲法下の日本では中国人や中国兵の捕虜の殺害など、ただの捕虜の処分なのです。

 仮に虐殺説の正しさが証明されたとしても、そのことと、政治体制とは次元の違う話です。

>戦後、アメリカに憲法を作ってもらったことにより初めて日本は国民主権国家になれたのです。そこで言論の自由などという結構なものを教わり、それ以来、それを使って歴史の捏造に奔走しているのです。

 ご自分の見解を極力差し挟まない方がよいと申し上げたでしょう。
 若干のご縁ができたのだから、過去の私の関連コラムを読んでいただきたいものだが、こんなこと言ったら、国民主権ではない英国は、言論の自由がないだけではなく、捕虜の虐殺をやったっておかしくもない国だって話になっちゃいますよ。
 申し訳ないけど、核心さん、今私が書いたこと、多分理解できておられないでしょう。
 歴史を語るのは、そう簡単なことではないのですよ。

 いずれにせよ、私が何度もお願いしていることに耳を貸されないのであれば、今後、投稿されるのはご遠慮いただいた方がよさそうですな。

<核心>

 南京大虐殺とは何であったのか?
 なぜ一般の日本人は南京について知らないのか?
 これは中国系20億人の知る権利に属する問題です。
 日本人が自国の民主主義の遅れから知ることができないのは仕方がないことなのですが、私はこれらのことをより多くの人に知らしめるためにとりあえず肯定派に協力的でいます。

 南京の歴史を知ること程度を恐がっているようでは仕方が無いでしょう。

<太田>

 まるで分かっておられないですねえ。

 私自身、捕虜虐殺説は大いにありうると思いますよ。
 お父上は翻意された部分があるようですがね・・。
 核心さんが、翻意された部分を含め、お父上が本件で残されたスケッチブックや証言を世に広めてこられたことに敬意を表します。

 それはそれとして問題なのは、あなたご自身、「歴史を知ること・・・を怖がって」いるためか、歴史に通じておられないことです。
 そういうあなたが歴史を語ることは、お控えになった方がよろしい、と私が申し上げてきたことをぜひ反芻していただきたいものです。

 繰り返しになりますが、君主主権と民主主義とは両立するのであって、戦前の英国が民主主義であったのと同じ意味で戦前の日本も民主主義だったのです。(より正確には、私は帝国憲法の存在と女性参政権がなかったことをとらえて民主主義「的」であったと言っています。)

>日本人が自国の民主主義の遅れから知ることができない

 戦前の日本は民主主義ではなく、現在の日本も民主主義が「遅れ」ているとおっしゃりたいのでしょうが、戦前女性参政権がなかった等の点をとらえて、当時の日本の民主主義は「遅れ」ていた、と言うのがせいぜいのところです。
 「核心」基準からすれば、黒人に市民権を与えていなかった米国だって、戦前どころか、1960年代まで民主主義でなく、また黒人差別意識が現在でも残る以上、その民主主義は「遅れ」ていることになりそうですが、そんな米国でも、日本への原爆投下が戦争犯罪であった、あるいは全く必要なかったとするマクナマラやハセガワのような知識人が出てきています。
 捕虜虐殺説が、まともな日本内外の知識人によって採用されていない・・とお見受けした・・のは、いまだ、根拠が十分提出されていないからであり、それ以上でも以下でもない、と思いますよ。

 話は変わりますが、次のオフ会は12月5日(土)になりそうです。
 MSさんは、転勤前で、ひょっとしたら引き続き幹事ができるかもしれないとのこと。
 また、MSさんを支える幹事支援グループは、次期幹事格1名(女性)、幹事代行兼手伝い2名、手伝い1名(非有料読者)、という手厚い布陣になりそうです。

 これを契機に、現在著しく不活発なMixiの太田コミュニティーを支える体制づくりも行われるといいですね。

 それでは、記事の紹介です。

 鳩山首相、危機意識が足らないんじゃないかな。↓

 「・・・鳩山氏の・・・「故人献金」の動機は、政治家自身が資金管理団体に献金できる上限(年間1000万円)を超えて献金するためだった可能性がある。・・・」
http://news.livedoor.com/article/detail/4378037/

 高麗と李氏朝鮮のモンゴルとの関係に関する新説です。↓

 「モンゴル軍が江華島に遷都した高麗を攻略できなかったのは主力部隊ではなかったからだ・・・
 高麗が「パックス・モンゴリカ」体制(モンゴル帝国の覇権による平和安定体制)で唯一国号を維持し、独自の租税権、徴兵権を持っていたことについて、バタル教授は「高麗が先に元に婚姻関係を求め、それを実現させたもの・・・元は高麗に飢饉(ききん)や自然災害が起きるたびに大量の食糧を提供するなど、経済的支援を惜しまなかった・・・
 1392年に朝鮮を建国した李成桂は、何代かかけて成長した高麗系モンゴル軍閥の出身で、元の直轄統治機構である双城総管府でほぼ100年間にわたりモンゴルの官職を務め、勢力を伸ばしたために、朝鮮を建国することができた・・・李成桂の家系<は>直系4代の祖までモンゴル名を持って<いた。>・・・」
http://www.chosunonline.com/news/20091004000002

 イギリス人のホンネの欧州観が吐露されてます。↓

 ・・・the underlying theme ? that "Europe" and Britain are adversaries in a zero-sum game of power and influence ? is deeply embedded in mainstream discourse. ・・・
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2009/oct/03/eu-britain-sovereignty-lisbon-treaty

 アイルランドはその欧州に属します。↓

 ・・・Ireland's endorsement of Lisbon also underlines again the reality of partition on the island. By voting "Yes" the Republic draws ever closer to the EU and the eurozone economy. With a Conservative victory extremely likely in the next general election, Northern Ireland is set to remain in the sterling zone and thus disconnected from any future all-Ireland currency.
One of the main by-products of this weekend's Lisbon result is that Sinn Féin's vision for a United Ireland by 2016 ? the 100th anniversary of the Easter Rising ? is entirely illusory.
http://www.guardian.co.uk/world/2009/oct/04/sinn-fein-ireland-lisbon-treaty

 「米ICBMの父」シリーズ(コラム#3551、3553。どちらも未公開)で取り上げた本の新たな書評が出たのでご紹介しておきます。↓

 ・・・After the <World> war <2>, LeMay built a bomber force that for years ensured American military pre-¬eminence. It had the potential to drop nuclear weapons on targets across the Soviet Union, Eastern Europe and China, killing, if necessary (in a 1954 classified estimate), as many as 60 million people.
 Bennie Schriever realized that the Soviets planned to rest their future defense not on bombers but on intercontinental ballistic missiles capable of striking the United States with only 15 minutes of advance warning. The Kremlin was also fast improving batteries of surface-to-air missiles that could knock LeMay’s beloved bombers out of the sky. ・・・
 Schriever’s new way of thinking began in 1953, when he was still a colonel. During a briefing on intermediate-range bombers at Maxwell Air Force Base in Alabama, he had a fateful conversation with the legendary refugee scientists Edward Teller and John von Neumann. They predicted that by 1960, the United States would be creating hydrogen bombs so lightweight that missiles could carry them.・・・
http://www.nytimes.com/2009/10/04/books/review/Beschloss-t.html?_r=1&hpw=&pagewanted=print
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太田述正コラム#3563(2009.10.4)
<英陸軍の近現代史(その3)>

→非公開