太田述正コラム#3280(2009.5.17)
<共産主義の興隆と没落>(2009.10.4公開)

1 始めに

 オックスフォード大学名誉教授で、戦後ソ連東欧政治史が専門のアーチー・ブラウン(Archie Brown)が、その研究の総決算とも言うべき 'The Rise and Fall of Communism' を上梓しました。
 その内容の一部をご紹介しましょう。

2 共産主義の興隆と没落

 「・・・マルクスの「プロレタリアート独裁」の考え方は、共産主義の中に根をおろすが、これはウラディミール・レーニン、スターリン、そして毛らの熱狂<的共産主義>者達によって乱用される道を大きく開いた。
 <以下、この本を含む3冊の共産主義に係る本の書評の筆者であるファイナンシャルタイムス・ブリュッセル支局長による。(太田)>
 ミハイル・ブクーニン(Mikhail Bakunin<。1814〜76年>)はマルクスが侮蔑の念を持って見ていた19世紀のロシアの無政府主義者だが、彼の同時代人の誰よりもこのことを見抜いていた。 
 後に悲劇的なまでに正確な予見であったことが判明するのだが、バクーニンは、マルクスのプロレタリアの支配に関する諸声明について、「その後ろに権力を握った少数派による専制主義が潜んでいるところの嘘」である、とこき下ろしたのだ。・・・

 <ブラウンは、体制の>恩寵を失った人々を歴史上の記録から抹殺するソ連の慣習の一例として、スターリンの保安警察による1952年の著名な医科学者のウラディミール・ゼレニン(Vladimir Zelenin<。1881〜1968年>)の逮捕を想起する。
 ゼレニンが行方知らずになったことにより、ソ連大百科事典の編纂者達には、ゼレニンという記事入り項目を何かほかのZelから始まるもので置き換える必要が生じた。
 あまり選択肢がなかったため、彼らはzelenaya lyagushka(緑蛙)を使うことにした。
 このことを英国の学者のアレック・ノーヴ(Alec Nove)は後に、「教授が本当に蛙に変身させられた唯一の知られている事例だ」と評したものだ。・・・
 スターリンは、彼の独裁時代の頂点において、彼の後継指導者になる、ずんぐりしたニキータ・フルシチョフ(Nikita Khrushchev<。1894〜1971年>)にウクライナの激しい民族舞踊を踊らせた。
 「スターリンが踊れと言えば、賢者も踊る」とフルシチョフは政治局の同僚にむっつりと語っている。
 フルシチョフは、1958年にも毛沢東によって屈辱を受けている。
 毛は水泳の達人であり、余り水が得手ではないソ連のこの指導者にプールの中で議論をしようと持ちかけた。
 毛は彼の急進的な政治諸理論を説明しながら苦もなく泳ぎ回ったが、フルシチョフは、口一杯の水を吐き出しながら、その都度早口で答えを述べた。・・・

 「経済の失敗と共産主義体制の崩壊との間に自動的な関係はない」とブラウンは記す。
 北朝鮮における、金正日と彼の前任者たる父親の金日成による権力の堅固な掌握は、ブラウンの主張を裏付けている。
 ポーランドの労働組合の連帯でさえ、これは大衆的反共産主義運動だったと言ってもよかったけれど、1981年12月にポーランドの共産党と軍が戒厳令を施行した時にはひとたまりもなかった。・・・」
http://www.ft.com/cms/s/2/47c99ebc-40dc-11de-8f18-00144feabdc0.html
(5月16日アクセス)

 「・・・ゴルバチョフは、皮肉なことに、ソ連の右派とナショナリストたる左派からの政治的圧力に直面しつつ、共産主義を平和裏に店じまいするための困難なる地ならしを行った、ということが説得力をもって描かれている。
 支那では、この役割はトウ小平によって担われた。
 かつて『共産党宣言』において、マルクスとエンゲルスは、商品資本主義が、いかに「あらゆる諸国が絶滅の痛みに直面するとブルジョワ的生産様式を採用するものであるか、すなわち、<いかに>それはこれら諸国をして、文明と呼ばれるものをそれぞれのど真ん中において採用することを強いるものか、<いかにそれは>これら諸国自身がブルジョワ国家に変身することを強いるものか」、を記述した。
 これこそまさしく、トウ小平の自由化戦略が支那における毛沢東主義に対して行ったことなのだ。・・・」
http://entertainment.timesonline.co.uk/tol/arts_and_entertainment/books/non-fiction/article6286825.ece
(5月17日アクセス)

 「・・・ブラウンは・・・社会主義思想の創建者達の理想主義には共感を寄せている・・・。・・・
 しかし、この本の大部分は、この理想を現実化しようとするあらゆる試みが程度の差こそあれ、いかに大災害と人間的不幸をもたらしたかを時宜に即して思い起こさせてくれる記述で占められている。・・・
 彼の議論の中核は、新しい完全な人間を作り出そうとする共産主義者達による大いなる実験は、常に失敗が不可避である、ということだ。
 更に言えば、この試みが理想主義者達ではなく、自分達自身と共産党の権力に主たる関心のある冷笑主義者達によって率いられたのだから<たまったものではない>。
 人間達が完全な存在へと作り変えられることを不届きにも拒否する姿勢を見せると、彼ら自身のためによかれと、彼らはおだてられ、おどされ、殴られ、拷問され、恐怖に落とされることによって、服従させられた。
 大部分の宗教は死後において天国を提供するが、共産主義はこの世における天国を約束した。
 このため、モスクワからプノンペンとブカレストと経由して北京まで、天国にはパンのための行列や牢獄たる収容所が似つかわしくないことがはっきりした時に、共産主義の没落が始まった。
 中央計画経済は、ブラウンが示すように、要するに機能しえないのだ。・・・
 今から20年前には、4つの大陸にわたり、世界の総人口の3分の1近くが自分達を共産主義者と呼ぶ諸国に暮らしていた。
 それが、今ではわずか3つの小さなポケットが残されているだけだ。北朝鮮、キューバ、それとネパールだ。支那は含まれない。というのは、支那では、習慣的になお共産党と呼ばれているところの自己永続的な寡占支配体制によって野放図な資本主義が運営されているからだ<(注)>。・・・

 (注)ネパールは、ラオスの間違いだろう。(太田)
http://en.wikipedia.org/wiki/Laos
http://en.wikipedia.org/wiki/Nepal
 また、共産党一党支配の下で資本主義を運営している国として、中共以外にベトナムもあげなければなるまい。
http://en.wikipedia.org/wiki/Vietnam

 共産主義者自身が共産主義を破壊したのだ。
 反共産主義者達(triumphalists)が叫ぶように、勝利は欧米によってもたらされたわけではない。
 ブラウンの英雄であるミハイル・ゴルバチョフによる、マルクス主義/レーニン主義国家を破壊したところの、真の諸改革の導入という意識的選択が<共産主義の破壊を>もたらしたのだ。
 支那では死の一撃はトウ小平によって加えられた。
 彼の社会主義イデオロギーへの貢献は、「個々人が金持ちになることは良いことだ」と宣ったことだ。・・・
 チェコの1950年代の指導者は、アントニン・ノボトニー(Antonin Novotny<。1904〜75年>)と呼ばれた、とるにたらないこそ泥たる暴君だった。
 1953年に彼は共産主義者中の反対勢力をインチキ裁判にかけた。
 彼らが処刑された後、彼は犠牲者の一人の銀製の茶器一式と寝台用シーツ一式を買い上げた。
 ノボトニー夫人は、夫妻のかつての同志の家を訪問した時に、これらの品々に痛くお気に召していたというわけだ。
 理想主義、つまりはより良い世界への希望は、こんなことをもたらしたのだ、とブラウンは記す。社会主義者たる国家元首が、彼が絞首台に送った男の持ち物だったシーツにくるまって眠った、と。」
http://living.scotsman.com/books/Book-review-The-Rise-and.5223771.jp

3 終わりに

 マルクス/エンゲルスによって共産主義の生誕した当時、彼らは共産党がこのような経過をたどってほぼ死を迎えることなど、到底想像できなかったことでしょう。
 しかし、共産主義の双子の兄弟とも言うべきファシズムは、死を迎えるどころか、中共、ベトナムにおいて隆盛を極め、ロシアや旧ソ連圏諸国も、(ウクライナやグルジア等を除き、)ファシスト国家であるか、ファシスト国家への途上にあります。
 共産主義/ファシズムを生み出した、民主主義独裁の欧州文明対アングロサクソン文明/日本文明のグレート・ゲームは、21世紀の現在も、依然続いているのです。