太田述正コラム#3501(2009.9.3)
<イギリス大衆の先の大戦観(その5)>(2009.10.2公開)

 (4)対ソ開戦

 「・・・それからは、事態は着実に悪化して行った。
 ヒットラーは、ドイツ軍がソ連に侵攻した際、状況を完全に誤判断しており、愚かにも、ドイツ国民に対し、西軍は1942年の夏までに叩きつぶされると約束した。・・・」(B)
 「・・・<ヒットラーにとっては、>ロシアは楽な相手のように見えた。
 ドイツは、侵攻の最初の日の朝の間に、1200機のソ連の軍用機を地上で破壊した。
 彼等は、2700万人のロシア人を殺し、570万人のロシア人捕虜をとり、そのうち330万人(58%)が囚われの身の間に死んだ。
 しかし、ロシア人達は次から次へとやってきて、彼等の戦車の生産はドイツを上回るようになった。
 1943年における、<7月と8月の>2ヶ月間に及んだクルスクの戦い(Battle of Kursk)・・史上最も大きく、最も大規模な戦車戦・・で、ドイツは50万人の
兵士と3,000両の戦車、1,000門の火砲、5,000台の装甲車と 1,400機の航空機を失った。
 ロシアの損害はその50%増しだったが、その損害を吸収できたため、ドイツはこの戦いに敗れた。・・・」(F)
 「・・・<こうして、最終的に>赤軍は、<第二次世界大戦における>ドイツの戦闘による死亡者数の80%をたたき出すことになったのだ。・・・」(E)

 このように見てくると、もとより、米国による軍需品等の支援(後述)によるところが大きいとはいえ、ロシアの人々が以下↓のように思い込んでいることには無理からぬものがありますね。

 「ロシア世論調査センターによる1600人を対象にした最近の世論調査によれば、ロシア人の約3分の2は、ソ連は単独でナチスドイツを負かすことができたと考えている。・・・」
http://www.nytimes.com/2009/09/02/world/europe/02russia.html?ref=world&pagewanted=print
(9月2日アクセス)

 (5)対米開戦

 「・・・ロシアに対する侵攻・・この不吉な計画は、「ナチスのDNAの中に<東方におけるドイツ生存圏(Lebensraum)の確保への思いという形で>深く秘められていたために、それを止めることはできなかった」とロバーツは記す・・が、ヒットラーの最大の間違いだとすれば、彼の2番目の主要なしくじりは、米国を過小評価したことだ。・・・」(A)
 「・・・ヒットラーが、ユダヤ人が支配していると見て、米国を、イデオロギー的に過小評価したことは、<対ソ侵攻よりも>もっと深刻<なしくじり>だった。
 「米国が参戦することは、ドイツにとっては何の影響ももたらさない」とヒットラーは言った。
 彼は、米国は「1970年か1980までは」は<ドイツにとって>脅威にはなりえないと信じていた。
 <しかし、>実際には、米国が戦時生産体制に切り替え、それを加速したスピードには驚くべきものがあった。
 ほどなく、真珠湾で米国が被った航空機の損失は、わずか2日分の生産で補える数となった。
 1944年には、米国は一年に98,000機の軍用機を生産するようになった。
 これに対し、ドイツは戦争末期に44,000機だった。
 しめて、米国は、・・・296,000機の航空機、・・・88,000隻の上陸用舟艇、86,333両の戦車をつくった。
 また、米国の造船所は、147隻の空母、952隻のその他の艦艇、そして5,200隻の商船を就航させた。
 米国は、1,500万人近くの人々に軍服を着せ、戦前の国防費を20倍に増やした。
 ロバーツは、「枢軸国を負かすために必要であるところの、時間は英国、血はロシアが提供したとするならば、カネと兵器を生産したのは米国だった」と総括する。・・・」(F)

 1940年9月27日に締結された日独伊三国同盟条約の条文によれば、いずれか一ヵ国が現在戦争に関係していない国から攻撃を受けた場合にのみ相互援助義務が生じます。
 従って、ドイツが1941年6月22日に対ソ戦を始めても日本はソ連と中立関係を保ちました。
 同様、日本が米国の真珠湾を先制攻撃しても、ドイツに相互援助義務は生じないにも関わらず、この攻撃の、翌日の12月8日(米国時間の12月7日から起算)の米国の対日宣戦布告を経て、4日後の11日にドイツ(とイタリア)は米国に宣戦布告をしたわけです。
 ヒットラーから見れば、上でも触れた、米国によるソ連や英国への軍事品等の支援(lend-lease programme)を、もはや見過ごすわけにはいかなくなっていたこと、大西洋において、ドイツ海軍と英国の補給船を護衛する米国の艦艇との戦闘が既に行われていた・・例えば、1941年10月31日、米国の駆逐艦のリューベン(Reuben)をドイツの潜水艦U-562の発射した魚雷によって撃沈した・・ことから、米国は事実上対ドイツ戦に参加していた、ということになるわけですが・・。
http://news.bbc.co.uk/onthisday/hi/dates/stories/december/11/newsid_3532000/3532401.stm
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E7%8B%AC%E4%BC%8A%E4%B8%89%E5%9B%BD%E8%BB%8D%E4%BA%8B%E5%90%8C%E7%9B%9F
(9月2日アクセス)

 (6)蛮行

 「・・・ドイツによる蛮行が戦争末期にようやく始まったというのは本当ではない、とロバーツは言う。
 1947年5月に、王立ノーフォーク連隊(Royal Norfolks)の97人がSSの手で冷血にも虐殺され、その翌日にはワリックシャー連隊(Warwickshire)の90人の捕虜が手榴弾と小銃によって殺害された。
 後者の下手人達は、アドルフ・ヒットラー連隊の者達だった。・・・」(F)

 (7)ドイツ人

 「・・・<ロバーツは、>カイテル(<Wilhelm Bodewin Gustav >Keitel <。1882〜1946年。ドイツ軍最高司令官。戦後ニュルンベルグ裁判で死刑>)元帥は、「上級将校として、哀れなほどできが悪かった(pathetic excuse)」と嘲笑している。・・・」(C) 
 ここまで読まれて、ロバーツが、カイテル等に対するものを除き、ドイツ人に対する悪口は、基本的にヒットラー一人に浴びせていることにお気づきになったでしょうか。
 ここは、イギリス大衆のドイツ観とは乖離しており、ロバーツとしては、めずらしく、政治的配慮に基づき、若干筆を嘗めたといったところでしょうね。

 それはともかく、日独伊三国同盟締結までの時点において、日本は、ヒットラーによるユダヤ人迫害とそれによるドイツの頭脳流出はある程度把握しつつも、ヒットラーによる対ソ連攻撃はおろか、その後のソ連内のウクライナ等の抑圧勢力をことごとく敵に回すような愚行など到底予測できなかったのでしょうね。
 当時の日本の、諜報能力を含む情報収集能力はその程度のものであったというべきか、日本がそこまで追い詰められていたということか、出るのは嘆息ばかりです。

(続く)