太田述正コラム#3489(2009.8.28)
<人間主義の普遍性>(2009.9.26)

1 始めに

 ガーディアンの女性記者のマドレーヌ・バンティング(Madeleine Bunting)が、私の言うところの、人間(じんかん)主義の科学的正しさを強調するコラムを書き、それをフォローする専門家の投稿が、それぞれガーディアンに掲載されたので、その概要をご紹介しましょう。

2 バンティングのコラムの概要

 「・・・あなたは、自分自身が、独立した判断が可能でおおむね自分の人生の方向を選ぶことができると考えているのか?
 あなたは、人生におけるあなたによる大部分の決定が自分の合理的、かつ意識的自身の産物だと考えているのか?
 あなたは自分が自身の人生をコントロールしていると信じているのか?
 あなたは、自己表現、自律性の感覚、及び他者と区別される自分自身が作り上げた(self-authored)アイデンティティー、といった観念を抱懐しているのか?
 若干の留保付きかもしれないけれど、可能性としては、あなたの答えはすべてイエスだろう。
 実際のところ、これらすべての観念を補強するところの、<個人主義なる>圧倒的文化の下では、もしあなたがそう答えなければちょっと変だということになろう。・・・
 ・・・新しい研究に公に携わる先駆者となった、王立芸術協会(Royal Society of Arts)のマシュー・テイラー(Matthew Taylor)は、我々は新たな啓蒙の時を迎えようとしていると主張する。
 彼は、個人的自我の18世紀的概念はもはや有効ではなく、人間の本性に関する新しいパラダイムが出現しつつあると主張している。・・・
 第一に、我々は脳の社会的本性を過小評価してきたのであって、他者からの入力を、いつも認識し、解釈し、反応するという具合に我々は入れ知恵をされており、それが我々の行動を支配するパターンを形成している、というのだ。
 我々は、群れをなす動物であって、集団の規範に同調する強い傾向を示す。
 我々の脳が他の霊長類のそれよりもはるかに大きいのは、共感(empathy)、協力、そして公正さといった社会的技術に係る瞠目すべき能力のためだ。
 ビリヤードの玉のような、他と区別される存在に個々人を喩える代わりに、我々は、関係のネットワークの結節(node)である、と考えるべきなのだ。
 第二の分野での驚くべき諸発見は、脳の可塑性に関してだ。
 我々は、「ハードワイアリング(hardwiring)<(=論理回路をソフトウェアによらずにハードウェアにより実現すること)>」・・コンピューター<の普及に伴い、>脳に関し、多くのミスリーディングな喩えが生まれた・・について語るが、実際、脳は変えることができるのだ。
 脳の個々の部分は、全く新しい技(tricks)を学ぶことができる。
 神経経路は固定されているわけではなく、子供時代に剥奪(deprivation)によって加えられたダメージの多くでさえ、例示、支援、そして決意といった適切な諸事情によって修復することができる。
 我々は、自分の脳で、そんなことができると思いもしなかった新しい諸習慣を作り出すことができる。それが、どんなに長く困難なプロセスであろうと、それは可能なのだ。・・・
 一体、人間は、利己的な生き物なのか、それとも協調的(collaborative)<な生き物>なのか。
 右派の市場資本主義に関する議論は、前者に立脚しているが、社会的脳に係る研究は後者を支持している。
 粗っぽく言えば、毎日の行動を決定するにあたって、恐らくより重要なのは、我々は狭く観念された利己(self-interest)よりも、協同し、互いに他者の承認を求めあう内在的傾向を持った社会的生き物である、ということだ。・・・
 米国では、研究者の一集団が、この新しい研究と仏教との相関性についての理解を深めるためにダライ・ラマとの継続的対話を行ってきている。
 ここには、数千年にわたって、区分された個人的自我という観念が幻想であるという立場をとり続けてきた思想体系があり、その思想体系は、心を変革して同情(compassion)や勇気といった倫理的諸習慣を陶冶するプロセスについての意識を高める訓練をすべきだ、としているのだ。・・・」
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2009/aug/23/brain-society-politics
(8月27日アクセス)

 「・・・米国のプラグマティズムの哲学者であるジョージ・ハーバート・ミード(George Herbert Mead<。1863〜1931年>)は、<彼の死後に出版された論文集である>1934年の『Mind, Self and Society』の中で、社会的自身(social self)の諸観念を打ち出した。
 ドイツの社会学者のノーバート・エリアス(Norbert Elias<。1897〜1990年>)はその1939年の『The Civilising Process』の中で、いかに我々の個人性についての感覚が我々の社会的相互依存性の中から直接生じるかを描いた。
 この二人とも、ヘーゲル(<Georg Wilhelm Friedrich> Hegel<。1770〜1831年>)によって打ち出されたところの、自身と他者の相互認識の理論の影響を受けている。・・・
 
 ・・・最小限あげれば、マルクス、グラムシ(<Antonio >Gramsci<。1891〜1937。イタリアのマルクス主義思想家>)、そしてブールデュー(<Pierre> Bourdieu<。1930〜2002年。フランスの社会学者>)も、社会、経済、そして文化がいかに我々の意識を形成するかを分析した。
 ユング(<Carl Gustav> Jung<。1875〜1961年。スイスの精神医学者>)とフロイド(<Sigmund> Freud<。1856〜1939年。オーストリアの神経科学者にして精神分析学の創始者>)<(コラム#368、471、496、1122、2874、3318)>もまた、我々の心がどう機能するのか、そして心が我々を取り巻く世界と我々の内部によってどう影響されるのか、ついて理論化を行った。
 フロイドの甥のエドワード・バーネイズ(Edward Bernays<。1891〜1995年。米国人で広告(PR)学の創始者>)は、これらの理論をマーケティングの実践に供した。・・・」
http://www.guardian.co.uk/theguardian/2009/aug/27/philosophy-politics-society-self
(8月27日アクセス)

3 終わりに

 私が、比較的最近(コラム#3140で)紹介した、人間主義の起源に関するサラ・ブラッファー・ハルディ(Sarah Blaffer Hrdy) の “Mothers and Others: The Evolutionary Origins of Mutual Understanding”への言及がないことは、まだまだ人間主義の普遍性についての認識が一部の人の間でしか共有されていないことを示しているように思われてなりません。
 何度も申し上げているように、人間主義社会である日本の、人間科学関係者や禅を中心とする仏教の指導者達が、人間主義に関する日本からの発信をもっともっと行っていかなければなりません。
 人間主義の普遍性についての認識を普及することは、日本人に課された全人類に対する責務であるとさえ、私は考えています。