太田述正コラム#3475(2009.8.21)
<映画:ナイトミュージアム2(その2)>(2009.9.20公開)

 次に善玉です。

 オクタヴィウスが選ばれたことについては、様々な考慮が払われた結果でしょうね。
 まず、彼以外の7人の善玉は、すべて米国人・・アインシュタインだって米国に帰化しています・・なので、この映画を米国以外にも売るという観点から、(大昔の人物ですが、)外国人を1人くらいは入れた方がよいと考えたのでしょう。
 もう一つは、ナポレオンを悪玉として、しかもさんざんコケにするからには、欧州の昔の人物1人くらいを善玉として登場させてバランスをとる必要があったのではないでしょうか。
 しかし、キリスト教を公認(本人も晩年洗礼を受けた)するとともに専制君主制(Dominatus)を確立したしたコンタンティヌス1世(Gaius Flavius Valerius Aurelius Constantinus。272〜337年)
http://en.wikipedia.org/wiki/Constantine_I
や、キリスト教をローマの国教とするとともに東西ローマの最後の統一皇帝となったテオドシウス1世(Flavius Theodosius。347〜395年)
http://en.wikipedia.org/wiki/Theodosius_I
らから選ばなかった、つまりはキリスト教・・ただし、アングロサクソンの観点からすればカトリック教・・に「汚染」され、しかも専制化したローマの皇帝から選ばなかったところに、できそこないながらも、アングロサクソンの端くれたる米国の大衆の矜持をこの映画製作者が代弁しているといったところでしょう。

 サカジャウィアは、アメリア・イアハートとともに、米国の女性の代表として選んだのでしょう。
 もう一つは、インディアンの代表としてです。
 しかし、それにつけても不自然なのは、黒人から誰も選ばれていないことです。
 どうして、例えばキング牧師(Martin Luther King, Jr.。1929〜68年)あたりを登場させなかったのか。
 さすがに、この映画の中で黒人が全く登場しないのでは不自然過ぎるので、第二次世界大戦期の黒人だけの米陸軍航空隊第332戦闘機隊(通称タスキーギ・エアメン)の一団を登場させ、そのうちの1人にイヤハートに対し、「あなたのお陰でマイノリティの我々も空を飛べます」と礼をを言わせています(「パンフレット」)。
 これは、先住民としてのインディアン、しかも、入植者達に激しく武力抵抗した者もいたインディアンに一応敬意を表する一方で、その大部分が奴隷の子孫である黒人に対しては、オバマが大統領に選出された現在でも依然として拭い難い差別意識を持っている米国大衆の意向に迎合している、と言われても仕方ありますまい。

 ジェデダイア・スミスは、サカジャウィアにも同じ要素があるのですが、米国人の伝統的な開拓者精神の体現者としての登場である、と受け止めました。
 もっとも、この映画の中でスミスは、典型的なカウボーイの出で立ちで現れるところ、時代的にちょっと違うんじゃないかという気がしました。
 そもそも、単にジェデダイアとして登場するので、それがスミスのことだろうというのは、私の推量なのですが・・。

 エイブラハム・リンカーンは、この映画のスミソニアン博物館群のすぐ近くに彼の記念館があることからも、(そして現米大統領のオバマがとりわけ尊敬して止まない人物である(コラム#2901、3060)ことからしても、)確かに順当な登場ではあるわけで、架空の人物たる主人公は別として、事実上、善玉の総帥格として大活躍します。
 しかし、リンカーンへのこの手放しの礼賛ぶりにはちょっとついていけないところがあります。
 リンカーンが南北戦争を行ったのは、米国の分裂を回避するためと奴隷解放のためですが、前者はスコッチ・アイリッシュを中心とする南部の「民族」自決(コラム#623、624)を許さなかったという非道な話であり、後者についても、名目的なものに過ぎず、現実の法的黒人差別は、南北戦争の100年近く後の1960年代まで続いたのですから、全く目的を達しなかったに等しいわけです。
 こういうことのために、南北双方で、合計625,000人の戦病死者を出した
http://en.wikipedia.org/wiki/United_States_casualties_of_war
(コラム#623)のですから、リンカーンは何と恐ろしい人物なのでしょうか。
 (日米戦争は、依然有色人種差別意識にこりかたまっていた米国が、容共ファシズム勢力と共産主義勢力の肩を持って自由民主主義的日本をたたきつぶし、その過程で何百万人もの日本帝国臣民等を殺戮したのですから、ローズベルトの犯した罪はリンカーンと比べても比較にならないくらい重いと言うべきでしょう。)
 (リンカーンをとりあげたコラムは、#5、121、258、623、1605、2010、2039、2880、2882、2884、2890、2892、2897、2901、2932、2935、3054、3060と著しく多い。)

 ジョージ・カスターを登場させたことも問題が少なくありません。
 部下達とともに不名誉な戦死を遂げた彼、それを深く恥じている彼に名誉挽回のチャンスを与えた、というふれこみなのですが、インディアンの生活圏に侵入し、彼等を次第により狭い僻地へと追いやり、抵抗する者は虐殺するという米当局のおぞましい政策の片棒を担いだ彼に対し、余りにも温かい手を差し伸べすぎている、というものです。

 米国の大衆にとって、ワシントンを別にすれば、リンカーンに次ぐ偉大な大統領はセオドア・ローズベルトである、ということで彼が登場するのでしょう。
 (セオドア・ローズベルトをとりあげたコラムは、#158、443、624、625、1148、1473、1614、1628、2431、2471、2901、3333、3335、3450とやはり著しく多い。)
 しかし、彼「こそ、オレンジ計画の策定等を通じ、半世紀弱後の日米戦争に至る布石を打った大統領であった」(コラム#2431)わけであり、日本人としては、彼は完全なミスキャストである、と声を大にして叫びたいところです。

 ドイツを逃れて米国にやってきたユダヤ人アルバート・アインシュタインを登場させたことは、ドイツに対するあてこすりであるとともに、イスラエル寄りの現在の米国の大衆の意識に迎合したものでしょう。
 そういえば、悪玉の中に、登場させて誰にも異存がなさそうなヒットラーの姿が見えないことが、改めて奇異な感じがしますね。
 これは、ヒットラーには、この映画に登場した悪玉のような、にくめない部分が皆無であって喜劇にはそぐわないということもあったのでしょうが、ナポレオンをコケにした上でヒットラーまで引っ張り出しては、反欧州的スタンスが前面に出すぎる、という判断もあったのかもしれません。

 アメリア・イアハートは、主人公との淡いロマンスにより、この映画に彩りを添えることが最大の目的で登場させたのでしょうが、彼女の事跡を知れば知るほど、彼女は米国の良い面を象徴している人物のように思えてきます。
 彼女の「起用」だけは、無条件で拍手を送りたいですね。

(完)