太田述正コラム#3128(2009.3.2)
<イスラム・中世のイギリス・中世の欧州(その3)>(2009.8.30公開)

 「アデラード<(Adelard of Bath。1080?〜1152?年。イギリスのバース生まれ。イギリス最初の科学者と言われる
http://www.brlsi.org/adelard.htm
)> は、単なる翻訳家と見られがちだが、西側世界にユークリッドの幾何学原論(Elements)、及びバグダッドの数学者のアル=フワリズミー・・その名前は現在でもアルゴリズムという言葉に受け継がれている・・の天文学と代数学を初めて紹介しただけでなく、独創的な思索者であり、中世の欧州に、<世界を>じっと見守っているところの神による合理的設計によって支配されている宇宙観を紹介することに尽力した。・・・」
http://www.zimbio.com/member/moinansari/articles/4574079/Book+Reviews+West+debt+Islamic+science

 「・・・偉大なアラブ人哲学者達である、イランのイブン・シーナ(Ibn Sina)(ラテン欧州では1037年に亡くなったアヴィケンナとして知られた)とスペインのイブン・ラシュド(Ibn Rushd)(1198年に亡くなったアヴェロエス)は、アリストテレス的自然哲学とプトレマイオス的宇宙論を聖書に基づく一神教に挿入する諸方法を発見した。これこそラテン<欧州>人達が求めていたものだった。
 こうしてリヨンズが書いたように、「アラビア語が科学的探求のための普遍的言語としてギリシャ語に取って代わったのだ」・・・
 十字軍がエルサレムを略奪し、イスラム教徒、ユダヤ人、そして東方キリスト教徒達を血祭りに上げから10年後の1109年、バースのアデラードは、恵まれた家に生まれた学者として、アンティオキア(Antioch)に、イスラム教徒を殺すためではなく、彼自身の言によれば、「アラブ人達の研究を調査するため」(アラビア学(studia arabum)を学ぶため)に出かけた。・・・
 <その結果、>リヨンズに言わせると、アデラードは<西側世界における>「科学の最初の人」<になったのだ。>
 イギリスにおいてアラブ学が有するに至った権威は大変なものだった。・・・ヘンリー2世の廷臣達は、法王庁とトマス・ベケット(Thomas Becket)の件で諍いが生じた時には、同国王がイスラム教に改宗するかもしれないぞと脅迫したという。
 この新しい学問は普及した。
 12世紀の半ばまでには、ユークリッドとピタゴラス<の像>はマリア<像>とともにシャルトルの大聖堂の西側正面を飾った。
 <この頃になるとマイケル・スコット(Michael Scot。1175〜1232?年。スコットランド生まれ)が活躍した。>・・・彼は、(当時の一人の僧侶の言葉によれば、)「パリでは一般教養(liberal arts)、オルレアンでは古典、サレルノでは医学、トレドでは魔術<を学んだ。>しかしどこでも礼儀作法と道徳は<学ばなかった。>」
 スコットは、「キリスト教の洗礼をうけたスルタン」の一人であるフリードリッヒ2世<(神聖ローマ帝国皇帝兼両シチリア王)(コラム#545、546、547、552)>の下に伺候する。そして彼は、アリストテレスに対するアラビア語の注釈書を翻訳し、数学者のピサのレオナルド(Leonardo of Pisa)の名声が広まるのを支援した。
 レオナルドは、一般にはフィボナッチ(Fibonacci)として知られているが、アラビア/インド数字システムと「アラブ人達がゼフィール(zephyr)と呼ぶところの0記号」というかシフル(sifr)、そして我々がゼロと呼ぶところのゼロ、についての体系的説明を行った。
 正統派から見れば、これらの人物達は火打ち石の<ようなアブナイ>気配がした。
 だからダンテは、マイケルを地獄の第8圏(circle)で魔法使い達と一緒に並べた。
 聖トマス・アクィナス<(コラム#552)>は教会に平和装置をもたらしたが、アリストテレスとプトレマイオスはコチコチで深みのない代物に堕してしまうこととなり、16世紀のコペルニクス革命によって粉砕されるのを待つことになる。・・・」
http://www.guardian.co.uk/books/2009/feb/28/house-of-wisdom-review

 「・・・バースのアデラードは、アンティオキアとシチリアに旅し、彼の執念深いとさえ言える熱心さで、彼自身がアラビア学と呼んだところのものを追求した。・・・
 彼は、天体/理論天文学に関する数多くの著作を翻訳した。その中にはアル=フワリズミーの、新しい数学的知識の中身と言葉を西側世界に紹介することとなった天文表も含まれていた。
 この翻訳作業の結果、アデラードは天球儀の使用に関する諸論文を執筆することができた。
 これらの諸論文は、西側世界の人間が宇宙を理解する仕方を革命的に変えた。
 もう一人の英国人である<スコットランド人の>マイケル・スコットは、・・・13世紀に・・・イブン・ラシュドとイブン・シーナの諸著作を広範に翻訳した。これらの諸著作の翻訳は、哲学とギリシャ哲学者達を西側世界に紹介した。
 欧州における最初のアリストテレス専門家と一般に見なされるようになったスコットは、シェークスピアの<戯曲>「テンペスト」の<登場人物たる>プロスベロのモデルになった。・・・
 例えば神聖ローマ皇帝のフリードリッヒ2世のような多くの支配者達は、アラブの知識が力の源泉であることを自覚していた。
 欧州は、アラブ人達が高度な航海技術を開発したことを知っていた。そして、アル=ビルーニ(al-Biruni)の「諸都市の緯度経度(Coordinate)の決定」のような著作は、地理的位置を決定する正確な手法を提供してくれることを知っていた。
 このような自覚があったからこそ、かつてイスラム圏であったところの、シチリアの成り上がり者の王となったロジャー2世<(ノルマン系。コラム#547)>が、イスラム教徒たる地理作成者のアル=イドリシ(al-Idrisi)をして、最初の世界地図をつくらせる動機となった。
 この地図は1138年頃に完成したが、世界が一つの半球として、つまりは180度で、東は朝鮮から西はカナリア諸島までが描かれていた。
 アル=イドリシは、この地図に付属する書物も書いた。「水平線を越えることを希求する人々の楽しみ(Amusements for Those Who Long to Traverse the Horizon)」だ。これはアラブ世界では「ロジャーの本(The Book of Roger)」として知られており、7つの気候にまたがる人々、土地、そして文化についての叙述がなされている。・・・」
http://entertainment.timesonline.co.uk/tol/arts_and_entertainment/books/book_reviews/article5569107.ece

(続く)