太田述正コラム#3126(2009.3.1)
<イスラム・中世のイギリス・中世の欧州(その2)>(2009.8.29公開)

 「・・・<バグダッド>の創建者である<アッバース朝の>カリフのアブ・ジャファール・アル=マンスール(Abu Jafar al-Mansur)は、同市に巨大な図書館を建設した。
 リヨンズに言わせれば、これは「偉大なペルシャの諸王に倣った」ものだ。
 アラブの年代史家達は後に、彼の論理学と法学の修得度と彼の哲学と天文学への関心を賞賛するとともに、ギリシャ、ペルシャ、及びヒンドゥーの哲学者達や科学者達の数々の重要な業績をアラビア語に翻訳することを命じたことに敬意を表している。
 バグダッドの学者達によって利用されるべく、広大なイスラム帝国の全域からデータが収集された。
 彼の図書館は、「智慧の家」と名付けられた。
 アラブ人達は、我々が現在使っている9つの数字とゼロからなる効率的なヒンドゥーの10進法を採用した。
 ユークリッド幾何学とプトレマイオスの天文学の基礎の上に、アラブ人達は代数学と三角関数を考え出し、自分達で独自の天文学的観察を行った。
 欧州のキリスト教徒達が、世界は平らだと信じ、復活祭の日付を定めることが困難で一日の時を知らせることさえできなかった時、アラブ人達は、天球儀(astrolabe)と呼ばれた器具を用いつつ、天文学な、あるいは地上の計測を行うことで、世界が球形であることを発見するとともに、その大きさをおおむね正確に計算した。
 天球儀は経度を決められるので、航海用具としても有益だった。
 キリスト教会が信者に対し疫病は人間の犯した罪に対する天罰であると伝えていた時、アラブ人達は地図学、化学、そして医学において大いなる進歩を遂げた。
 <キリスト教世界では、>黒死病に対する贖罪の一つが鞭打ち、という有様だった。
 また、あらゆる学問分野において、アラブの学者達は製造された紙を用いていたが、欧州ではこれに比べればごくわずかの文人達が、しかも手間がかかり高価な羊皮紙に書き物をしていたという有様だった。
 <また、>イスラム世界の図書館では何十万冊も蔵書があったが、欧州では本は極めて稀少だった。・・・」
http://www.islamicity.com/articles/Articles.asp?ref=IE0902-3798

 「・・・エーサン・マスード(Ehsan Masood)は、彼の著書「科学とイスラム(Science and Islam)」・・・で、イスラム教がいかに7世紀以降、支那の西からスペインの南まで速く普及して行ったかを描いている。
 欧州が暗黒時代において微睡んでいる間、科学に友好的な、アル=マムーン(al-Mamun)といった9世紀にバグダッドを統治したカリフ達は、彼らが征服した土地土地の科学的文献の<アラビア語への>翻訳のスポンサーとなった。
 その中には、インドの数字システムを普及させ代数学を発明した8世紀の数学者のムーサ・アルフワリズミー(Musa al-Khwarizmi)、ペルシャの万能人で11世紀に疫病が土壌と水を通じて伝染することに気付いたイブン=シーナ(ibn-Sina 。アヴィケンナ(Avicenna)としても知られている)、そして、ニコラウス・コペルニクスが後に彼の太陽中心説を打ち出す際にそれに拠ったところの、ギリシャの惑星モデルを改善した、13世紀の天文学者のナシール・アル=ディン・アル=トゥシ(Nasir al-Din al-Tusi)がいる。・・・
 マスードとリヨンズは、アラブ人達のこのような成功は、彼らが、その多くが彼らの宗教<たるイスラム教>の直接的帰結なのだが、新しい考え方を受け容れ易かったということが原因だ、という点で一致している。
 宗教的指導者達の全員が科学者達の影響力について喜んでいたというわけではないけれど、預言者ムハンマドは、彼の信者達に、「たとえそのために支那まで赴かなければならないとしても」知識を求めることを奨励したのだった。」
http://www.newscientist.com/article/mg20126962.400-time-to-acknowledge-sciences-debt-to-islam.html

4 西側世界のイスラム科学継受

 「<このように>イスラム世界が天文学、哲学、そして医学を享受していた間、欧州の人々は、<前述したように>一日の時間を知ることができず、地球は平らだと思い、疫病は神の懲罰であると見ていた・・・。
 それが変わ<る契機とな>ったのは、11世紀末に教皇ウルバン2世が引きおこした十字軍だった。
 その結果として、東と西との間の交易と通信が飛躍的に増大した。
 そして、何世紀もかかって蓄積された知識が、処女地のような欧州になだれ込み始めた。・・・」(同上)

 「アリストテレスの宇宙論と物理学の偉大な業績は、既に何世紀にもわたって広くアラビア語で読まれていたというのに、西側世界ではほとんど知られていなかった。これらの業績に対して付加されたところの、イスラム哲学者達、とりわけ比類なきアヴィケンナと彼の合理主義的後継者であるアヴェロエスの洞察性に富みかつ挑戦的な諸注釈書、についても同様だ。
 西側世界では知られていなかったけれどイスラム的伝統の中では数百年にわたる議論を反映していたところのこれらの書物は、ただちにかつ力強く欧州中の若い知識人に影響を及ぼした。
 これらの書物はパリ、オックスフォード等の大学を席巻することになるのだ。・・・」
http://www.huffingtonpost.com/magda-abufadil/the-house-of-wisdom-how-t_b_163012.html前掲、

 このイスラム科学の継受に最も大きな役割を果たした西側世界人の一人がイギリス人のアデラードです。

(続く)