太田述正コラム#3367(2009.6.30)
<対イラク戦は大成功だった?>(2009.7.28公開)

1 始めに

 対イラク戦が2003年3月に始まってから6年と3ヶ月経ちましたが、本日6月30日をもって、バグダッド、モスル、バスラ等のイラクの主要都市から米軍の戦闘部隊がいなくなります。
 7月1日から、不穏分子対策は一義的にイラクの治安部隊が担うことになり、米軍は客人という立場になるのです。
 2010年8月までにはイラク全土から米軍の戦闘部隊が撤退します。そして、2012年までにはイラクには米軍は一切いなくなる予定です。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/06/30/AR2009063000838_pf.html
(6月30日アクセス)
 これは、イラク治安部隊がその任に堪えるようになったということと、何よりも、イラクの治安状況が好転したことを示すものです。
 そして、そのイラクでは、一応最底限の自由民主主義が機能するに至っています。
 途中経過がひどすぎたけれど、ブッシュ政権の対イラク戦争は、最終的には成功した、ということになる可能性が大きくなりました。
 私は、米国が中心となって開始された対テロ戦争は、少なくともアラブ世界においては峠を越したと言えそうなだけでなく、中東どころか、広くイスラム世界全体において自由民主主義、すなわち体制変革の礎を築くことに成功した、と言ってよいのではないか、と思うに至っています。
 以下、このことをもう少し説明しましょう。

2 イスラム過激派の没落

 「・・・<イランの騒擾は、>イスラム過激派の一連の挫折のうちの最も最近の、そして最も劇的なものの代表だ。
 過去2年間にわたる<イスラム世界の各地における>選挙結果は、2005年にエジプトで、そしてパレスティナで2006年にイスラム主義者が選挙の投票において達成した強烈なお目見えの勢いを完全に削ぐものだ。
 この反転趨勢はモロッコにおいて2007年に始まった。
 その5年前に大きく議席を増やした穏健なイスラム主義集団である正義・発展党(The Justice and Development Party=PJD)は、議会選挙で勝利すると思われていた。
 しかし、この党は投票総数のわずか14%しか獲得できず、王室と密接な結びつきのある保守党に次いで2位に終わった。
 そして、今月初旬に行われた地方選挙で、PJDの得票率は7%に落ち込んでしまった。
 ヨルダン人も2007年に選挙におもむき、・・・イスラム的行動戦線(Islamic Action Front)に「1989年にヨルダンの君主制が議会を復活させて以来の最悪の敗北の一つ」を喫せしめた。
 この党は、それが争った22議席のうちわずか6議席しかとれなかった。これは、同党がその前の議会では17議席を占めていたことからすれば、真っ逆さまの落下だった。
 イスラム教によってのみ束ねられた雑多な民族集団から構成されるパキスタンはイスラム過激派にとって願ってもない環境のように見えるだろう。
 にもかかわらず、イスラム主義の諸政党は2002年までは選挙では鳴かず飛ばずだった。
 しかしこの年、軍人たる鉄血のペルヴェズ・ムシャラフ(Pervez Musharraf)が主要な政治勢力を弾圧していたところ、イスラム主義者は投票総数の11%をとり、議会で63議席を占めたのだ。
 しかし、より平等な条件の下で行われた昨年の選挙で、イスラム主義者は投票総数の2%に落ち込み、270の選挙で選ばれる議席中6議席しか占めることができなかった。
 しかも、彼等は、それまで彼等の牙城であった北西辺境州で権力の座からすべり落ちてしまった。
 4月には、4年前には投票総数の39%をとったインドネシアのイスラム主義諸政党が、議会選挙で今回は30%未満へと落ち込んでしまった。・・・
 そして5月にはクウェートで議会選挙が行われた。2005年に女性が選挙権と被選挙権を獲得していたところ、まだ誰も当選はしていなかった。
 ところが、イスラム主義のイスラム・サラフィ・同盟(Islamic Salafi Alliance)が女性候補に投票することにファトワで反対したにもかかわらず、4人の女性が議会で議席を獲得した。
 イスラム主義者の受けた打撃に輪をかけたのは、彼等の議席が21から11に減ったことだ。・・・
 最後に、レバノンでは今月初めに激しい選挙があったが、誰もがヒズボラとその同盟勢力が親欧米たる3月14日連合(March 14 coalition)に勝利する結果になると思っていた。
 ところが、後者が大衆の票を集め、議会における多数獲得を確実なものにした。・・・ ・・・<顧れば、>2002年と2008年とを比べると、自爆テロは時に、あるいはしばしば正当化されると答える者は、レバノンでは74%から32%に落ち、パキスタンでは33%から5%に落ち、ヨルダンでは43%から25%に落ち、インドネシアでは26%から11%に落ちている。・・・
 イラクとパキスタンにおける軍事的・社会的動向もまた、同じ風に吹かれたように見える。・・・
 米国の影響を指摘する者もいる。
 ・・・<もっとも、>ジョージ・W・ブッシュ大統領の強硬な諸政策が過激派の力を削いだのか、それともオバマ大統領の手を広げる諸政策が反米的怒りを和らげ反体制派を鼓吹したのか<は悩ましいところだ。>
 どちらも正しいかもしれないし、どちらも関係ないのかもしれない。・・・」
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/06/26/AR2009062603488_pf.html
(6月29日アクセス)

→もちろん、イスラム過激派自身が自爆テロ等、同じイスラム教徒をも巻き添えにする戦術をとって墓穴を掘ったという側面もありますが、対イラク戦後、米国のイラク政策の余りのひどさに一時イスラム過激派への支持がイスラム世界で増えたものの、その後イラク情勢が落ち着くにつれて今度はイスラム過激派への支持が急速に減った、と考えると平仄が合います。
 私は、それは、ブッシュが標榜した対イラク戦の目的はウソではなかったという理解がイスラム世界に浸透した結果なのだ、と考えているのです。(太田)

3 残された懸念

 では、これからイスラム過激派は凋落の一途を辿るのでしょうか?
 楽観は禁物だ、というのが最後のお話です。

 「・・・アルカイダでは、ずっとアラブ人が中心だったが、トルコ系のメンバーが顕著に増えてきている、と関係する米国の役人達が言っている。
 トルコ文化を共有しトルコ系の言葉をしゃべるところの、トルコ共和国人と中央アジア人が中心となった軍事集団が、北西パキスタンのアルカイダの同盟相手として、そしてアルカイダに代わるものとして出現しつつある。・・・
 トルコの世俗的伝統と何年にもわたる宗教的実践に対する公的な監視は、トルコ国内と在外トルコ人の過激主義を押さえ込むのに与かってきた。
 しかし、最近の<イスラム過激派の>運動体は、トルコ語とドイツ語・・300万人近くに達しているドイツでのトルコ移民の中から<メンバーやシンパを>リクルートしようというわけだ・・でインターネット上のプロパガンダを盛んに行っている。・・・
 トルコ政府は欧米の対テロ部隊と密接な協力関係にあるが、何人かの米国の役人達は、同政府はクルド人の分離主義者達と戦うことにより精力を注いでいると言う。
 ・・・2002年以来権力の座にある穏健なイスラム主義者のトルコ政府は<イスラム過激派に対する>警戒レベルを下げてしまった、と懸念を表明する<役人もいる。>・・・」
http://www.latimes.com/news/nationworld/world/la-fg-turk-terror28-2009jun28,0,4429063,print.story
(6月29日アクセス)

→穏健なイスラム主義が汎トルコ主義的ナショナリズムと結びつくことによって、中央アジアからトルコにかけての一帯がイスラム過激派に席巻される、という悪夢が現実のものとならないことを祈るばかりです。(太田)

3 終わりに

 ブッシュ・ジュニアはアホだったがゆえに、無茶苦茶をやってのけ、結果的にイスラム世界は覚醒するに至ったということになるのか、それとも・・?
 現在進行形の歴史も面白いものですね。