太田述正コラム#3054(2009.1.24)
<南北戦争と兵士の仲間意識>(2009.7.22公開)

1 始めに

 以前(コラム#3035で)「隊舎での共同生活や、訓練演習等への共同参加を通じて醸成された仲間意識が、戦う動機付けになる、というのが世界の軍隊に共通する常識です。」と申し上げたところですが、このテーマに密接に関わる最近の本を見つけました。
 夫婦であるところの経済学者のドラ・コスタ(Dora Costa)とマシュー・カーン(Matthew Kahn)の「Heroes and Cowards(英雄達と臆病者達)」です。
 この二人は、南北戦争の時の北軍兵士の記録をもとに、この本を書き上げました。

2 書評等による本の内容

 「・・・著者達は、生誕地や職業が共通といった緊密な社会的紐帯のある中隊で勤務している兵士達は紐帯に乏しい中隊の兵士達・・その逃亡率(desertion rate)は4倍にも達する・・よりもよく耐えよく戦うことを発見した。
 友情の紐帯の有無は、北軍の兵士達で南軍の収容所入りする羽目になった者にも大いに影響した。似たような背景を持つ者と一緒に収容された兵士達は終戦まで生存する可能性がより高かった。・・・
 兵士達が背景を共有する中隊では、仲間達を見捨てる兵士達は少なかった。それは、一種の社会的コネを持つ兵士達の間ではより大きな仲間意識があったからであり、かつ、彼らが共有するネットワークがインチキして家に戻った者を罰したり非難することを容易にしたからだ。・・・
 平均して、100人のうち9人が逃亡した。しかし、同じくらいの年齢で、同じ場所で生まれ、戦争前に似たような仕事をしていたところの、相対的に均質な兵士集団における逃亡率は100人のうち2人くらいしかなかった。
 もとより、<戦いの>大義に係る信条も影響は及ぼした。現に、リンカーン支持の郡の出身者の逃亡率は低かった。
 隊にとどまり戦うことで弾丸をくらう可能性が兵士達をして無断離隊(AWOL=absent without leave)を考えさせた。だから、戦争が北軍に有利になると逃亡率は下がった。
 しかし、信条も生存の可能性も、誰が隊にとどまり戦い続けるかを予測することにかけては、社会的紐帯の強さにはかなわなかった。
 彼の所属する部隊が戦いに強いか否かにかかわらず、その兵士が生存する最善の機会は逃亡することによって与えられたことからすれば、兵士達がいざという場合に命を救うことにつながる便宜を図ってくれるであろう友人達に囲まれていることでより安全に感じたから逃亡しなかったとは言えないはずだ。
 むしろこういうことなのだ。
 同志を見捨てることは恥であり格好悪いことだったのだ。
 出身地域社会には、兵士達が家に書く手紙類によって誰が臆病だったとか誰が勇敢だったといった話がすぐに伝わった。だから逃亡者達の50%近くは終戦後、荷物をまとめて違う州に引っ越しせざるをえなかった。
 仮にあなたの目標が生き残ることであったならば、友情の紐帯は、あなたの利益に反した。なぜなら、生存し続ける一番良い方法は丘に向かって走り去ることだったからだ。
 しかし何千もの、敵に捕らわれ、牛運搬車に詰め込まれ、南軍の捕虜収容所に送り込まれた兵士達にとっては、逃亡することはもはや選択肢たりえなかった。
 しかも、多くの収容所の状況は、戦争の前線よりももっと危険に満ちていた。
 南西ジョージア州の悪名高いアンダーソンヴィル(Andersonville)収容所の収容者達の大部分は、壊血病、下痢、赤痢や栄養失調と過密に由来するその他の病気で亡くなった。
 しかし、どんぴしゃの社会的ネットワークの同胞達と一緒に捕まった幸運な兵士達の生存可能性ははるかに大きかった。
 例えば、アイルランド生まれの兵士が十分な数のアイルランド生まれの仲間と捕らえられたとすると、90%以上は終戦まで生存することができた。
 どうして友情はかくも戦争捕虜にとって生存のための決定的要因たりえたのだろうか。
 収容所は、どこも過密で食料は不足し、衛生施設は存在しなかった。だから、病気になった場合に生存するためには友人に助けてもらう必要があったし、食料、寝場所等を分け合い、他の収容者達による掠奪を防いでもらう必要もあった。
 すなわち、南北戦争の時の兵士達にとっては、友情は両刃の剣だった。前線では友情による義務のコストは便益より大きかったが、収容所では、この状況は逆になったわけだ。・・・」
http://www.slate.com/id/2209490/
(1月24日アクセス。以下同じ。)

 「・・・一体どうしてわずか20万人の兵士しか南北戦争の時、<北軍から>逃亡兵が出なかったのだろうか。逃亡しても捕まって処罰される可能性はほとんどなかった一方で、逃亡しなければ、50%の可能性で死ぬか重傷を負うかだったというのに・・。・・・
 <彼らは、>軍事戦略家のアルドン・デュ・ピック(Ardant du Picq<。1819〜70年。フランスの軍人>)の「4人の勇敢だが互いに見知らぬ男はライオンを攻撃することを尻込みするが、4人のより勇敢でない男でも、互いに良く知っていて、信頼でき、よって相互扶助できるとあれば、決然と攻撃するだろう」という言を引いている。
http://socialcapital.wordpress.com/2009/01/16/i-commend-heroes-and-cowards/

 「・・・逃亡兵10人のうち6人は逃げおおせた。逃げおおせなかった者80,000人のうち処刑されたのは147人だけだ。・・・
 <北軍は、戦死等で充足率が下がった連隊を新兵で補充しなかったが、>南軍はその連隊を補充した。
 その結果、兵士の構成は多様化した。
 ところが、見知らぬ兵士がどんどん入ってきたというのに、南部のベテラン兵士達の士気は落ちなかった。これがなぜかを著者達は説明していない。・・・」
http://online.wsj.com/article/SB123181066383175917.html#printMode

 「・・・逃亡の一番大きい指標は年齢だった。
 若い者の逃亡率は高かった。また、農民、非大都市出身者、富者、非文盲者、米国生まれ(natibe-born)、独身者の逃亡率は低かった。・・・
 <リンカーンに投票したといった>イデオロギーや<北軍にとっての戦況といったことによる>士気は個人的ないし中隊の特徴ほど逃亡率に影響を及ぼしていない。・・・」
http://www.econ.brown.edu/econ/sthesis/AnnePapers/Anne29.html

3 終わりに

 改めて南北戦争の凄惨さに粛然たる思いがします。
 リンカーンはいかなる意味で偉大な大統領だったのか、米国とは何か、など様々なこともあわせ考えさせますね。