太田述正コラム#3331(2009.6.12)
<2009.6.6オフ会について(続)>(2009.7.11公開)

1 始めに

 本日は、とんだメールソフトのアクシデントで、本来のコラムを書く時間がなくなったわけですが、この機会に、この前のオフ会の話の続きをしようと思い立ちました。
 今回は、私がその折に話したことのほんの一端を、ご紹介したいと思います。

2 私が話したこと

 (1)ソ連の「脅威」について

 私が、ソ連の脅威どころか、ソ連が極東においては、米日の脅威を感じている、という結論に達したのはどうしてか。

 一つには、1980年代初頭には米国防省の本省や研究教育機関から、NATOの欧州正面や中東でソ連が軍事侵攻してきたら、極東で反撃作戦を展開すると言っているように読める文書がいくつも出ていたということだ。
 これは、米国が、ソ連との間の地域軍事バランスにおいて、欧州や中東では不利だが、極東では有利だと思っていることを推察させた。

 二つには、当時、私は防衛庁の防衛局防衛課という中枢課で、初めて策定されることになった日米共同作戦計画も担当しており、統幕と在日米軍との間で調整した計画案を審査する立場であったところ、ソ連との間で有事ということになった場合、日本に送り込まれる米軍の兵力は非常に大きなものだったことだ。
 このことから、米国が対ソ軍事侵攻を考えていることが裏付けられたと思ったわけだ。
 ちなみに、共同作戦計画というのは、具体的な作戦のシナリオを描くものではなく、有事において、自衛隊と米軍のどんな部隊が日本のどこの自衛隊の施設や一般の飛行場等に展開するか、といったプラニングをするものだ。

 ついでに申し上げるが、この関連で、一番驚いたのは、本来の共同作戦計画の枠をはみ出すような記述が同計画に盛り込まれていたことだ。
 有事において、「日本の海上自衛隊は無制限対潜水艦戦を発動する」というのだ。
 この時、私は上司の池田久克防衛課長(『実名告発 防衛省』229〜233にも登場)のところに飛んで行って、「大変です」と叫んだものだ。

 というのも、私は直感的に、米国は海上自衛隊のP-3Cにソ連の第二撃核戦力であるSSBN(大陸間弾道弾搭載原子力潜水艦)も攻撃させるつもりだな、と思ったからだ。
 ソ連はSSBNの3分の1をオホーツク海に展開させていた。
 もちろん、P-3Cをオホーツク海上で飛ばすためには、千島列島、サハリン、沿海州の航空基地等を空からたたいて制空権を米側がソ連から奪う必要がある。当然、米国はそれをやるわけだ。
 自衛隊は、米国の核戦略にも組み込まれていたことになる。

 三つには、当時の陸上自衛隊のハイレベルの図上演習がいかなるものだったかだ。
 この種の図上演習は、ソ連が北海道の道北に侵攻してくるというシナリオの下で行われるのが通例だったが、ソ連の地上兵力を載せた船団がほとんど無傷で道北に上陸するという非現実的な想定だった。
 それでいて、上陸したソ連の地上部隊は、迎え撃つ陸上自衛隊と結構いい勝負になる。
もちろん、航空自衛隊や海上自衛隊は、最初からほとんどお呼びがかからないし、米軍だって登場しない。
 陸上自衛隊以外が活躍しては、ハナから演習にならないからだ。
 
 元陸上自衛官の方・・と言っても現在予備自衛官だから、「元」なんて言っちゃ失礼かもしれないが・・も本日のオフ会に出席しておられるが、ソ連の脅威がなかったからといって、ソ連を念頭において厳しい訓練をされたことは、決して無駄ではなかったということを強調しておきたい。
 自衛隊が、この対ソ軍事侵攻作戦において、主として米軍の盾として、そして海上自衛隊のP-3Cのように部分的には米軍の矛として、重要な役割を演じることになっており、そのおかげで、世界的にソ連を抑止することができたのだから。
 ただし、英軍と比較してみると歴然としているのだが、日本の場合、陸上自衛隊への資源配分が一貫して相対的に多すぎる。もっと海空に手厚く配分しなければいけないのだ。
 以上のような事情を一切明かされてこなかった、末端の陸上自衛官の皆さんはお気の毒だったと言わざるを得ない。
 
 ところで、私は当時、野村総合研究所のプロジェクトに参加しており、防衛庁から総研との兼業兼職発令をしてもらって、勤務時間外に同総研でのディスカッションに出席していた。
 私が話をする番になったものだから、ソ連の脅威はない、ということを話した。
 ところが、ほとんど皆さん、関心を示されない。
 元防衛研修所所長で当時同総研の理事長をされていた麻生氏も出席しておられたが、ほとんど無反応だった。今や日本エネルギー研究所のトップである十市さんとか、当時、ソ連専門家としてならした寺谷青山学院大学教授を始めとする錚々たる面々の反応のにぶさにがっくりきたことを覚えている。
 それから4半世紀以上経って、私が「たかじん」でソ連の脅威なんてなかったという話をしたことが話題になるくらいだから、いかに日本人が軍事をコアとする本来の意味における安全保障に関心がないか、ということだ。

 (2)私の現在の「活動」について

 結局のところ、依然、日本人の大部分は、安全保障に関心など持っていないのだから、たまたま防衛省がらみの不祥事等が世間を騒がせた一時期を除いて、私に声がかからないのは当たり前だと言えよう。
 私のコラムでとりあげるテーマは多岐にわたっているように思われるかもしれないが、どんなテーマでも基本的に安全保障の観点から取り上げているつもりだ。
 その根っこのところに日本人の大部分は関心がないのだらか、何をかいわんやだ。
 しかし、私自身は、そんなことは全く気にしていない。
 インターネットを通じて英語の記事や論考に接していると、毎日のように新しい知見に接することができる。
 それをコラムにまとめることで、私の理解が深まり、また、数は多くないけれど、読者の方々が喜んで読んでくれる。
 その読者の方々との交流の輪がどんどん広がっていく。
 食べるのにも困ったような一時期もあったけれど、幸い、今年からは、少額ではあるけれど、年金も出る。
 だから、後顧の憂い無く、上記のような生活を続けることができる。
 こうしてコラムを書き綴って行けば、それが何らかの形で残り、遠い将来、ああ、当時の日本にもまともな(?!)人間がいたんだな、と言われるかもしれない、などと妄想をたくましくしたりする。
 また、楽しからずやではないか。