太田述正コラム#3291(2009.5.23)
<歌舞伎観劇記(その2)>(2009.7.1公開)

<太田>
 
 この公演については、ちょっと探しただけで、既に2本、観劇記がアップされおり、
http://theater-angel.blog.so-net.ne.jp/2009-05-12
http://blog.livedoor.jp/fukusuke55/archives/51239401.html
(5月19日アクセス)
熱心な歌舞伎ファンがたくさんいるんだな、と思いました。

<読者>

 熱心なファンは、公演の初期に押しかけるものですが、初めの頃より後の頃の方が役者が慣れてくるのでいいんですよ。

<太田>

 個々の演目(外題)の話も聞かせてください。
 まず「暫(しばらく)」から。

<読者>

 これは、「・・・1697年・・・、江戸・・・で・・・初代市川團十郎が初演<し、>・・・五代目市川海老蔵により歌舞伎十八番のひとつとなり、以後通称だった『暫』が外題となった」ものであり、「皇位へ即こうと目論む、悪党・清原武衡が、自らに反対する加茂次郎義綱ら多人数の善良なる男女を捕らえ、成田五郎ら家来に命じて、清原武衡に加茂次郎義綱らが打ち首にされようとするとき、鎌倉権五郎景政が「暫く〜」の一声で、さっそうと現われ、荒れ狂い、助ける物語で」す。 
 鎌倉権五郎景政は鎌倉景政(注1)、清原武衡は清原武衡(注2)、賀茂次郎義綱は源義綱(注3)、といういずれも実在の人物がモデルになっています。

 (注1)平景政。1069〜?年。父の代から相模国鎌倉・・・を領して鎌倉氏を称した。16歳の頃、後三年の役(1083〜1087年)に従軍した景政が、右目を射られながらも奮闘した<とされる>・・・。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8E%8C%E5%80%89%E6%99%AF%E6%94%BF
 (注2)?〜1087年。父は鎮守府将軍清原武則、母は安倍頼清女と伝えられる。・・・清原氏の相続争いとなった後三年の役において沼の柵(現秋田県横手市雄物川町沼館)に籠もった甥家衡が清原清衡・源義家連合軍を破るとこれに応援に駆けつけ<たが、次第に形勢が不利となり、>・・・武衡は義家の弟義光に連絡し降伏しようとしたが、義家は許さず、捕らえられた<後、>・・・<義家の弟>義光<による>助命嘆願<にもかかわらず>、斬首<された。>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85%E5%8E%9F%E6%AD%A6%E8%A1%A1
 (注3)1042?〜1132年。平安時代後期の河内源氏の武将。源頼義の子。河内国石川郡壷井(現大阪府羽曳野市壷井)の河内源氏の・・・館に生まれる。・・・兄八幡太郎義家、弟新羅三郎義光と同腹である。京都の賀茂神社で元服したことから賀茂次郎と称する。・・・父や兄と共に前九年<(1051〜62年。この戦いの結果、安倍氏が滅び、清原氏が東北の覇者となった。)>の役で戦<う。>・・・1093年・・・、出羽守信明・・・が平師妙と子の平師季に襲撃され殺害された。隣国陸奥守を務めていた義綱に追討が命ぜられた。遙任をしていた義綱は自ら下向する前に郎党を派遣した。その郎党は師妙を斬り、乱を鎮圧した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E7%BE%A9%E7%B6%B1

 「主人公<の鎌倉権五郎景政>は悪霊を払う霊力を持つ超人<であり、>それを代々の團十郎は相伝の「にらみ」で表現してき<まし>た。」
(以上、特に断っていない限り、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9A%AB
による。)

<太田>

 よくある勧善懲悪ものですな。
 しかし、史実とはかけ離れた荒唐無稽な筋ではあっても、前九年後三年の役の頃という設定である以上は、当然のことながら、大昔の征夷大将軍も、後の幕府の長たる征夷大将軍も登場しない一方で、天皇崇敬の念が強く打ち出されていますね。
 江戸時代の初期にこのような演目が生まれたってのは興味深いなあ。
 「<鎌倉権五郎景政が、>武衡が朝廷を守護するために奉納した・・・太刀が実は偽物で、天皇を呪詛しようとしているのだろうと追及する」(五月大歌舞伎パンフレット)場面なんかまさにそうですよね。

 それにしても、「<賀茂次郎義綱らの>善人たちの危難が迫るところ、「しばらく」と大音声を上げて、<海老蔵扮する>鎌倉権五郎<景政>が颯爽と登場」(パンフレット)するところは圧巻でした。
 
 「盲長屋梅加賀鳶」についてはいかがですか。

<読者>

 これは、「1886年<に、>東京<で。初演<された>・・・全六幕<からなる演目であり、>「黙阿弥が五代目尾上菊五郎のために書いた、明治期の江戸生世話物狂言の傑作」<です>。・・・

 加賀鳶とは、加賀藩江戸藩邸が抱えていた火消し人足である<わけですが、>火事の多い江戸には、奉行所に直属する「常町火消し」のほかに、各大名がそれぞれの屋敷や武家町を火災から守るためにそれぞれ抱えた「大名火消し」がい<まし>た。中でも加賀鳶は派手な衣装と独自の髪型で人気が高く、加賀百万石・準御三家といった家格の誇りもあって、町家と大名屋敷が隣接する地域では火事の度に威勢のいい町火消しとの衝突が絶え<ませんでし>た。本作の序幕でもその場面が描かれてい<ます>。・・・

 <その加賀藩の上屋敷の正門である>「赤門前の場」の捕物は『東海道四谷怪談』の「隠亡堀の場」や『神明恵和合取組』(め組の喧嘩)の「八ツ山下の場」とならぶ、世話だんまりの傑作のひとつに数えられてい<ます>。追い詰められた<主人公で実は目明きの按摩>道玄が、暗闇の中で捕り手の声を真似たり、相手の急所をつかんだりと、はらはらする場面のなかにも可笑しいさを混ぜてい<ますよ>。・・・」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B2%E9%95%B7%E5%B1%8B%E6%A2%85%E5%8A%A0%E8%B3%80%E9%B3%B6
 
 蛇足ながら、 「・・・外題に読み込まれている"梅"は、前田家の定紋の梅鉢と、菊五郎の俳名である梅幸を効かせています。」(パンフレット)

<太田>

 いやあ、明治期にできた演目だからでしょうが、まことに台詞が分かりやすいですね。
 歌舞伎の出自にぴったりの、まことに猥雑な物語でした。

<読者>

 太田さん、赤門の場面でご出身の母校を思い出したんじゃないですか。

<太田>

 「・・・江戸時代、大名家に嫁した将軍家の子女、あるいはその居住する奥御殿を御守殿あるいは御住居(おすまい)と称し、その御殿の門を丹塗(にぬ)りにしたところから俗に赤門とよばれ<まし>た。・・・加賀前田家の御守殿門は、・・・1827年<に>11代将軍家斉の・・・姫・・・が・・・前田<家>・・・に嫁入りしたときに建てられ<たものですが、>赤門は、火災などで焼失してしまったら再建してはいけない慣習があり、この赤門は災害などを免れて現存している・・・唯一のものです。」
http://homepage2.nifty.com/1967oct16/a_map/akamon/

 赤門から東大構内に入ると、すぐ左手が教育学部で右が経済学部であるのに対し、法学部は正門を入ってすぐのところですが、どちらの門も本郷通りに面しており、地下鉄丸ノ内線の本郷三丁目の駅で下りて本郷通りを歩いてきて、最初の赤門から入って塀の内側を歩いても、本郷通りを更に歩いてその次の正門から入っても、距離的には全く同じなので、その日の気分によって赤門から入ったり正門から入ったりしたものです。

 舞踊についても、一言ずつ解説をお願いします。

<読者>

 「寿猩々」は能をもとにした義太夫舞踊、「手習子」は長唄舞踊、「戻駕色相肩」は常磐津舞踊です。(パンフレット)

 まず、義太夫についてですが、予備知識として、
 「浄瑠璃は、三味線を伴奏楽器として太夫が詞章を語る音曲で<あるところ、>詞章が、単なる歌ではなく、劇中人物の台詞やその仕草、演技の描写をも含むものであるために、語り口が叙事的な力強さを持<ち、>このため浄瑠璃の口演は「歌う」ではなく「語る」という用語を以てし、浄瑠璃系統の音曲をまとめて「語り物」と呼ぶのが一般的で<あるということ、そして>・・・代表的な流派に、義太夫節・常磐津<(後述)>節・清元節など<があること、>・・・<また、>義太夫節に操り人形が加わる芸能が人形浄瑠璃(文楽)で<あること>」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%84%E7%91%A0%E7%92%83
を頭に入れて下さい。
 「・・・義太夫・・・は、江戸時代前期<の>17世紀末に・・・大坂の竹本義太夫がはじめた浄瑠璃の一種<であり、>・・・豪快華麗な曲節が特徴<となっている>・・・」のです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%A9%E5%A4%AA%E5%A4%AB

 次に長唄についてですが、
 「長唄<は、>同じ歌舞伎音楽の常磐津<(後述)>・清元などの浄瑠璃と違って歌いものの系統に属する<けれど>、これらの浄瑠璃の影響を受け、語り物の要素が濃厚であり、伴奏には三味線のほかに囃子も加わる。長唄の囃子は能の囃子に用いられる楽器をそのまま流用し、笛、小鼓、大鼓、太鼓で構成される」のです。
http://www1.odn.ne.jp/~cay42280/kenkyukai/kenkyukai.htm

 最後に常磐津についてですが、
 「浄瑠璃・・・の一種<で、>・・・語りと唄との均衡が取れ<ています。>」
http://www.weblio.jp/content/%E5%B8%B8%E7%A3%90%E6%B4%A5

 要するに、義太夫は「語り>唄」、長唄は「語り<唄」、常磐津は「語り=唄」、というわけですよ。

<太田>

 なーるほど、舞踊の演目もちゃんとバランスを考えて選択、配列されてるんですね。
 ま、私にとってはそんなことより、「戻駕色相肩」で登場した禿たよりを演じた市川右近の超可愛い色気が印象に残ってますねえ。

 本日は、お誘いいただき、ありがとうございました。

(完)