太田述正コラム#3256(2009.5.5)
<天才はつくられる(その2)>(2009.6.15公開)

4 コルヴィンによる自分の本の事実上の要約

 「・・・それは1978の年央だった。巨大企業のプロクター&ギャンブルのシンシナチの本社の小部屋に、大学出たての22歳の二人の男性がいた。
 彼らが命ぜられた仕事は、<同社の某製品>を売ることだった。しかし、彼らは多くの時間を単にメモを書くのに費やした。彼らが頭がいいのは確かだった。一人はハーバードを、もう一人はダートマスを卒業したばかりだった。しかし、それだけのことでは、P&Gの他の一群の新規雇用者達とこの二人とを区別することはできない。・・・
 ・・・<この二人は、>50歳になるまでに、世界で最も貴重な会社であるゼネラル・エレクトリック(GE。フォーチュン500社)とマイクロソフト(MSFT。フォーチュン500社)の社長(CEO)になるのだ。・・・
 誰でもしたくなる質問は、それは才能のおかげだったのかというものだ。
 仮にそうだとすると、それは彼らのそれまでの22年間の生活を通じて顕現しなかった、変わった種類の才能であるということになる。
 彼らは頭が良かったのか?
 二人とも頭が良かったことは確かだが、彼らの何千という級友達や同僚達よりも良かったという証拠は示されていない。・・・
 成功した人々に関する研究において、研究者達が、こういった人々が濃密な練習を開始する以前に、早咲きの成功の徴候を見いだすことはまずない。
 それが楽器演奏家であろうと、テニス選手であろうと、芸術家であろうと、水泳選手であろうと、数学者であろうとどんな成功者であろうともだ。
 だからといって、才能なんて存在しない、ということにはならない。
 ただし、大変悩ましい可能性が否定できないということだ。つまり、才能なるものが仮に存在したとしても、それは成功とは無関係かもしれないということだ。
 特定の才能なる概念は、経営においてはとりわけ問題がある。
 というのも、我々はみんな、傑出した経営者達は彼らが行うことに関して何か特別に恵まれた資質を持っているに違いないと思うものの、そんなものが存在しているという証拠は容易に発見できないからだ。
 <それどころか、どうやら、その逆が真実のようなのだ。>
 ジャック・ウェルチ(Jack Welch)は、フォーチュン誌によって、20世紀で最も偉大な経営者とされた人物だが、20代の半ばに至っても、特段経営に対して特別に向いているという徴候は示さなかった。
 彼は、化学工学のPh.D.をひっさげて実世界に25歳の時に出ようとしたけれど、当時、彼は自分がどの分野に進むべきか決めかねており、シラキュース大学と西バージニア大学で教職に就くための面接も受けている。
 彼は、結局最終的にGEの化学開発部門で働かないかという誘いを受け容れることにした。
 ビル・ゲーツは、世界で今一番金持ちの男だが、才能によって成功を説明しようと思う者にとっては、ぴったしの候補者のように見えるかもしれない。
 彼は、子供の時にコンピューターに取り憑かれ、13歳の時に最初のソフトウエアを書いた。それは、チック・タック・トー(ticktacktoe)ゲームのプログラムだった。
 問題は、この程度の話では、彼に特別凄い能力があることは伺えないことだ。
 まず最初に銘記すべきは、当時、山のような子供達がコンピューターの可能性に興味を持っていたことだ。その中で、ゲーツがみんなの頂点に立ったのは一体どうしてなのだろうか。
 その答えは、特別なものではない。・・・
 <誰でも成功することができるのであって、そのための原則は以下のとおりなのだ。>

1)行動(performance)を改善するために特別に設計された熟慮された練習
 ・・・
 偉大な行動者(performer)達となった人々を調べると、彼らの小さい時からその練習活動を設計することを彼らの父親達が始めていることに驚かざるをえない。タイガー、ピカソ、モーツアルトがその完璧な例だ。・・・
 <また、>世界のトッププロだってコーチに教えを請うのには理由があるのだ。・・・
 <自分だけで熟慮された練習を設計し、それを続けていくことは容易ではない、ということだ。>

2)熟慮された練習は何度も何度も繰り返されなければならない
 ・・・

3)結果に対するフィードバックが恒常的に得られること
 様々な重要な状況下において、先生、コーチ、あるいは助言者(mentor)は枢要なフィードバックを提供するために不可欠な存在だ。・・・

4)<練習が>メンタルに極めて厳しいものであること
 ナタン・ミルスタイン(Nathan Milstein)は、20世紀の最も偉大なバイオリニストの一人だが、有名な先生であるレオポルト・アウアー(Leopold Auer)に師事した。
 伝えられるところによれば、ミルスタインはアウアーに自分が十分練習をしているか尋ねた。
 「君が指で練習をしているのであれば、一日中練習しなければならない。だが、頭を使って練習するのなら、1時間から1時間半で十分だ。」
 アウアーは、「1時間から1時間半がせいぜいのところだ、というのは、君が本当に頭を使って練習をするとなれば、とてもじゃないが一日中練習なんてできるわけがないからだ」とまではあえて言わなかったということだ。・・

5)それは容易なことではない
 我々は、得意なことではなく、不得手なことを常に探し出さなければならない。・・・
 もし成功につながる諸活動が簡単で面白いことであれば、みんながそれをやりたがる結果、誰が他人より傑出してるかなんて永久に分からないはずだ。・・・
 <問題は、経営に関連する分野においては、どんな練習をすればよいかだ。>
 実際、大抵の会社での生活は、熟慮された練習の諸原則を成り立たせなくするように巧まずして設計されているかのように見える。
 最も根本的なことだが、我々が一般に仕事でやることは、第一の原則の正反対だ。
 つまりそれは、我々を何事についても上達させるようには設計されていないのだ。
 いや、そもそもそれは何の設計もされていないと言うべきだろう。
 つまり、我々は経営者の目標(goals)を達成するために必要なノルマ(objective)を与えられ、そのノルマを達成するよう求められるだけなのだ。
 多くの経営者の限定的かつ短期的な観点からすれば、そうであって当然だろう。
 我々は、自分達自身の能力を向上させるために時間を費やすためには雇用されていないということなのだ。
 熟慮された練習をするとなれば、我々は自分自身を疲れ果てさせるまで追い込んで解法を開発しなければならないはずだが、実業の生活においては、間違いをしでかすコストは往々にして大きい。
 だから、まともに考えれば、安全で信頼性の高いことだけをやらざるをえないわけだが、そんなことをしていたら向上することはありえない。
 だけど、仕事そのものの中で練習する十分確立されている方法があるのだ。全部自分の頭の中でやればよいのだ
 研究者達は、この<頭の中でやる>諸活動を自己規制(self-regulation)と呼ぶ。
 それを最も効果的に行うためには、あなたはそれを活動の前、活動の間、そして活動の後にやらなければならないのだ。・・・

6)仕事の前
 最も良い行動者達は、目標を、結果に関してではなく、結果に到達するプロセスに関して設定する。
 例えばその目標は、単に注文をかちとるだけではなく、顧客の口にしていないニーズを発掘することに特に務めることであったりする。・・・
 一旦目標が設定されると、次のステップは、それにどうやって到達するかだ。・・・
 <上述のような目標であった場合、それは、>その日にその目標を達成するためには、顧客が使う特定の大事な言葉に耳を傾けることであったり、顧客にとって枢要な諸問題をあぶり出すために特別ないくつかの質問を発することであったりする。・・・

7)仕事の間
 優れた走者の並の走者との違いは、自分自身に焦点を定めることだ。
 彼らは例えば、自分の呼吸数を数え、同時に歩数を数え、両者の間に一定の比率を維持しようとする。
 純粋にメンタルな仕事においても、最も良い行動者達は自分達自身をじっと見つめている。・・・
 これを超認知(metacognition)と呼ぶ。自分自身の知識についての知識のことだ。・・・

8)仕事の後
 <フィードバックを行うことが不可欠なのだが、これを自分自身で行わなければならないのがつらいところだ。>

 <全体を通じて留意すべき点は次のとおり。>
 
 熟慮された練習において常に大事なことは、自分の現時点での限界をほんのちょっと超えるような比較対象を選ぶことだ。・・・
 <また、いの一番にやらなければならないことは、>あなたが本当に欲していることは何であるか、そして、あなたが本当に信じていることは何であるか<を見極める>ことだ。・・・
http://money.cnn.com/2008/10/21/magazines/fortune/talent_colvin.fortune/index.htm
(5月4日アクセス)

5 終わりに

 私の解説は不要でしょう。
 皆さんが、このシリーズを読まれて、それぞれどんな思いを抱かれたか、ぜひお聞かせ下さい。

(完)