太田述正コラム#3318(2009.6.6)
<現代芸術が生まれた瞬間>

1 始めに

 ダーウィンの性的淘汰(sex selection)の考え方を援用した芸術起源論を提起しているダットン(Denis Dutton)が、現代芸術(modernないしavant garde art)は芸術の名に値しないと主張している、という話を(コラム#3305、3307、3309(いずれも未公開)で)申し上げたばかりです。
 遊び(play)から芸術が始まったとするボイド(Brian Boyd)は、このダットンの芸術起源論を論駁しています(コラム#3311、3313(どちらも未公開))が、ボイドが自分の説の根拠として引き合いに出しているところの、欧米文学の祖とも言うべき『イリアス』と『オデュッセイア』にしても、物語の背景たるトロイ戦争は、ヘレネー(Helen)という美女の争奪戦として始まったことになっている上、物語自身、クリュセイス(Chryseis)とブリセイス(Briseis)という二人の絶世の美女をめぐる争いから始まる
http://en.wikipedia.org/wiki/Iliad
のですから、どちらもいわば美女に捧げる叙事詩といった趣があり、むしろ、ダットン説の根拠たりうる要素を持っています。
 また、日本の文学の祖とも言うべき万葉集に至っては、その実に7割を恋の歌が占めており、
http://www.nhk.or.jp/nara/manyou/love_uta.html
ダットン説は、まだ仮説にとどまっているとはいえ、その信憑性は相当高い、と言うべきでしょう。

 さて、私が本日お話ししたいことは次の3点です。

 第一に、現代芸術を生誕させる契機になったのは、理想的な番の相手を確保しようとする芸術家達の欲求であったこと。
 第二に、しかし、現代芸術を生誕させた人々がそれまでの芸術家と違うのは、彼らが、この事実を無意識的に、あるいは意識的に自覚しており、やがて、理想的な番の相手を確保する手段ではなく、芸術至上主義的な芸術を生誕させようとするに至ったこと。
 第三に、その結果として、芸術は、それまで手段であったが故の様々な決まり事を捨て去ることとなり、ここに、素材化した芸術たる現代芸術が生誕したこと。
 
 このような意味での現代芸術は、20世紀の初頭において、欧米の全域にわたって、いわば同時多発的に、しかも、音楽、絵画、文学等すべてのジャンルにわたって生誕するのですが、この全体について語ることは私の能力をはるかに超えることから、私が最も注目しているところの、ウィーンにおける、クリムトとシェーンベルグそれぞれによる、現代絵画と現代音楽の生誕に焦点をしぼって、お話ししたいと思います。

 そんな硬い話は御免被ると思われる方がいらっしゃるかもしれませんが、絵と音楽を楽しんでいただければそれはそれで結構であり、私の解説などは聞き流していただいても文句は申し上げません。
 そう言うけど、現代絵画はともかく、現代音楽なんて難解で楽しめないさとおっしゃる方が今度はいらっしゃるかもしれませんね。
 いや、話の導入部では非現代音楽もお聴かせしますし、先入観を取り去って聴いていただければ、現代音楽だってどうってことないですよ。
 このほか、そもそも、自分としてはそんな趣味の類の話ではなく、政治や安全保障について聞きたいんだとおっしゃりたい方もいらっしゃるでしょうね。
 ですが、現代芸術の生誕について考えるということは、現在の政治や安全保障の舞台である現代とはいかなる時代であるかを考えることなのであって、我々は避けては通れない、と私自身は考えています。
 それでは、とにかく、始めましょうか。

2 現代芸術前夜

 (1)クリムト

 コラム#3265でご紹介した、ウィーンで活躍した画家クリムト(Gustav Klimt。1862〜1918年)の1890〜91年の作品である壁画を思い出して下さい。
http://4travel.jp/traveler/mojo/pict/15472230/src.html

 これは、女性の古典的裸体美を追求した作品であり、クリムトの元々の作風は、極めてオーソドックスなものであったことがお分かりいただけると思います。

 (2)シェーンベルグ

 さて、クリムトと同じ頃に、やはりウィーンで活躍した音楽家がユダヤ人のアーノルド・シェーンベルグ(Arnold Schoenberg。1874〜1951年)です。
 彼の1901年(増補改訂1910、1911年)の作品であるオラトリオ、グレの歌(gurrelieder)の一部をお聴き下さい。
http://www.youtube.com/watch?v=EEnR7nIrYns&feature=related

 すこぶるオーソドックスかつロマンチックな曲でしょう。
http://en.wikipedia.org/wiki/Gurre-Lieder
http://junsky07.blog89.fc2.com/blog-entry-682.html

3 現代芸術へのゆらぎ

 (1)クリムト

 そのクリムトに現代芸術へのゆらぎが見えるのが、1898年の「ソニア・クニプス(Sonja Knips)」の肖像画です。
http://www.abcgallery.com/K/klimt/klimt7.html

 ソニアの左手に異常に力が込められているのは、彼女の心の闇・・私に言わせれば性的欲求不満・・の現れであると一般に評されていますが、同じくウィーンで活躍していた、ユダヤ人のシグモンド・フロイド(Sigmund Freud。1856〜1939年)が、性衝動(sexual desire)を人間の行動の主因であるとした『夢判断』(The Interpretation of Dreams)を上梓したのは1899〜1900年であることから、当時のウィーンの空気がいかなるものであったかがうかがい知ることができます(注1)。
http://en.wikipedia.org/wiki/Sigmund_Freud
http://www.guardian.co.uk/music/2009/may/15/philharmonia-vienna-classical-music

(注1)自然淘汰と性的淘汰・・両者の関係については、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%80%A7%E6%B7%98%E6%B1%B0
参照・・からなるダーウィンの進化論(『種の起源』の上梓は1859年)、とりわけ性的淘汰の考え方は、フロイドが大学時代にダーウィン進化論の洗礼を受けていることから、フロイドに大きな影響を与えたと考えられる。

 (2)シェーンベルグ

 シェーンベルグの方は、グレの歌とほぼ同じ時期に、弦楽六重奏曲、「浄められた夜(Verklarte Nacht =Transfigured night)」を作曲しています。
 その終わりの方をお聴きください。
http://www.youtube.com/watch?v=DdIN703W5pY&feature=related

 かなり、グレの歌の曲調とは違うでしょう。
 これは、「半音階を多用した、当時としては斬新な響きや、調性の浮遊するパッセージ、さらには、あけすけに性を主題とするデーメルの・・・詩・・・を出典に作曲する姿勢をめぐって、波紋を呼んだ」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%84%E3%82%81%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%9F%E5%A4%9C
という、現代芸術へのゆらぎがうかがえる作品なのです。

 実は、シェーンベルグは、将来結婚することとなる、音楽の恩師の娘と出会って恋に落ちた、まさにその時にこの曲を作曲したのです。
http://en.wikipedia.org/wiki/Verkl%C3%A4rte_Nacht

4 現代芸術の誕生

 (1)クリムト

 クリムトの画風がはっきり現代芸術的になったのが、彼の1908年の作品である、有名な「接吻(The Kiss)」
http://en.wikipedia.org/wiki/File:Gustav_Klimt_016.jpg
です。
 二人の人物の普通の肖像画じゃないかって?
 良く見て下さい。
 この画の半分が抽象画であることはお認めにならざるをえないでしょう。
 仮に、この二人の人物を画面から消したとしても、十分作品として成り立ちうると思いませんか?

 このモデルは、クリムトと生涯パートナー関係・・性的関係を伴ったかどうかは決め手がなく不明
http://en.wikipedia.org/wiki/Gustav_Klimt
・・を維持するものの、ついに結婚しなかったエミリエ・フローゲ(Emilie Froge)であるという説があります。
 この作品は、クリムトのエロティシズムとその解放への思い入れを明確に表現したものとされているところです。
http://en.wikipedia.org/wiki/The_Kiss_(Klimt_painting)

 (2)シェーンベルグ

 一方、全く同じ1908年にシェーンベルグが作曲した「第2弦楽四重奏曲(String Quartet No. 2)」は、まさに現代音楽であるところの、大方が無調の音楽です。
 その最終楽章をお聴き下さい。
http://www.youtube.com/watch?v=90cgDmMhh0E

 1908年の夏、シェーンベルグの妻(上出)は、数ヶ月間若い画家と出奔する・・彼女がシェーンブルグの所に戻った後この画家は自殺する・・のですが、これがシェーンベルグの作風の転機になるのです。
 彼は、その年、クラシック音楽史上、初めて、完全な無調音楽(ただし小品)を作曲しますが、この次に作曲したのが上記第2弦楽四重奏曲だったのです。
 (以上、ガーディアン前掲による。)

 聴いていて全くいいと思わないって?
 クリムトの「接吻」の抽象画部分と違って、独立した作品としては、いささか物足らない思いをされるかもしれませんが、サスペンス映画のサウンドトラック(背景音楽)としてなら、結構いけるとは思いませんか?(注1)(最後の「おまけ」の「現代音楽と映画」の項も参照のこと)

(注1)英国のデイヴィッド・スタブス(David Stubbs)は、「現代音楽を特徴づけるところの不協和音(dissonant)音楽・・無調音楽と言い換えても良い(太田)・・は、人々に容易に感情移入をさせない・・・が、現代絵画を特徴づけるところの抽象(abstract)ないし最小限主義(minimalism)は、往々にして良い装飾たりうる」とし、現代音楽家には名声にも富にも無縁な人が多いが、現代絵画家には名声も富も得た人が少なくないとする。
http://news.bbc.co.uk/today/hi/today/newsid_8024000/8024205.stm

5 現代芸術論

 ウィーンで活躍し、モデル等との間で10数人もの子をなした
http://mainichi.jp/enta/book/hondana/archive/news/2007/07/20070729ddm015070110000c.html
「・・・グスタフ・クリムトは、・・・「すべての芸術はエロだ」と・・・宣言し・・・た」というフィリップ・ブロム(Philipp Blom の言を、コラム#2874で紹介したことを覚えておられるでしょうか。
 フロイトは、人間を突き動かしているものは性衝動だと信じていたわけですが、クリムトとシェーンベルグは、実際に性衝動に突き動かされて作品を生み出したことがお分かりいただけたことと思います(注2)。

(注2)欧米全体を眺めてみよう。
 同じことが文学の世界でも起こった。
 イギリス人のD・H・ローレンス(DH Lawrence)やアイルランド人のジェームス・ジョイス(James Joyce)は、赤裸々に性を描写し、ジョイスは現代文学への扉を開いた。
 また、絵画の分野では、ピカソ(Picasso)やシュールリアリスト(surrealist)達もその性衝動が創作意欲を突き動かしたことを隠そうともしなかった。
http://www.guardian.co.uk/artanddesign/jonathanjonesblog/2009/may/29/more-sex-in-art-jonathan-jones

 まさに、芸術とは、番の相手を惹き付けるための手段である、というダットンの主張が裏付けられた感がありますね。
 しかし、クリムトもシェーンベルグも、最初のうちこそ番たい相手を惹き付ける手段たる作品を発表したものの、次第にこのような芸術の手段性を廃し、芸術至上主義の立場をとるに至り、それまでの、絵画における具象とか音楽における調性といった決まり事にとらわれないところの、素材化した芸術たる、現代芸術を生誕させたのでした。
 (ダットン自身は、こんな現代芸術を芸術であるとは認めていませんが・・。)
 その背景には、ブロムが言う、「20世紀初期の欧州における顕著で巨大な変容の大部分は、性の役割、すなわち両性の間の関係に関するものだった。女性は独立を勝ち取りつつあった。彼女達は教育を受け、自分達自身でカネを稼ぎ始めていた。どんどん彼女たちは選挙権を追求した」という事情があります。 

 このように、リチャード・ランガム(Richard Wrangham)に言わせれば180万年も前のホモ・エレクトゥスの時代に確立したところの、外から食物を獲得して来る男と家庭内でこの食物を料理する女、という男女間の分業体制(コラム#3299、3315(どちらも未公開))が音を立てて崩れつつあった20世紀初頭において、ウィーン、ひいては広く欧米において、伝統的な男女間の分業を前提とした、番いたい相手を惹き付けるための、しかも様々な決まり事にしばられた伝統的芸術を飽き足らなく思い、芸術至上主義的な、一切の制約を廃した芸術、すなわち現代芸術を生誕させた人々が輩出したことは、必然的なものがあったと言えるでしょう。

 ところで、現在の現代芸術家達の作品は、必ずしも性衝動によって生み出されているようには見えません。
 それは、性が、今や、商品化され、宣伝に用いられ、当たり前の話題になってしまったために、性に突き動かされて性を表現することが、20世紀初頭に持っていたような反逆的な意味合いを失ってしまったからではないでしょうか。
http://www.guardian.co.uk/artanddesign/jonathanjonesblog/2009/may/29/more-sex-in-art-jonathan-jones上掲
 このことは、ダットン説では、芸術の起源や現代芸術の起源を説明することはできても、芸術一般の制作原理を説明することまではできない、ということを示唆しているように私には思われます。

 現代芸術について、お前が言いたいことは何となく分かったが、では、お前が冒頭に提起した、「現在の政治や安全保障の舞台である現代とはいかなる時代」なのか教えろですって?
 私が思うに、現代とは、180万年も前のホモ・エレクトゥスの時代以来、比較的最近まで続いたところの、狩猟採集社会の時代(ないしは石器時代)に最も適合した遺伝子を持っている我ら人類が、時代遅れとなった自らの遺伝子が命ずるところに対して意識的に反逆し、超克しようとしている時代であり、またそうせざるをえない時代なのです。
 現代芸術の生誕等は、かかる現代におけるプラスの動きであるのに対し、共産主義やファシズムの跳梁、二度にわたる世界大戦、イスラム原理主義の先鋭化等はマイナスの動きであり、先進国における少子化/人口減少等はプラスともマイナスとも言い切れない動きである、と見ることができるのではないでしょうか。

6 おまけ

 最後に、
http://news.bbc.co.uk/today/hi/today/newsid_8024000/8024205.stm
をもとにおまけを作成しました。
 お時間のある時に、文章に目を通しつつ、ご鑑賞いたければ幸いです。

一、現代音楽の起源

 現代音楽の起源は、1894年に初演されたクロード・アシル・ドビュッシー(Claude Achille Debussy)の「牧神の午後への序奏(Prelude To The Afternoon Of A Faun)」
http://www.youtube.com/watch?v=jaKlvabR4kQ
・・調と和声のそれまでの決まり事から乖離している・・である、という説もある。
 ただし、私はそうは思わない。
 フランスを中心に隆盛を極めた、絵画の印象派に対応する音楽上の動きであるという位置づけでよいのではないか。

二、現代音楽と映画

 スタンレー・キューブリック監督の1980年の作品である恐怖映画「シャイニング(The Shining)」
http://en.wikipedia.org/wiki/The_Shining_(film)
は、新たに作曲された音楽や既存のポップ音楽のほか、以下の現代音楽をサウンドトラックとして効果的に用いている。

・Music For Strings, Percussion & Celesta -- ベラ・バルトーク(Bela Bartok)
http://www.youtube.com/watch?v=jfdubIhGqLY&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=dK4YyDBoboU&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=BeKWcOBlds4
http://www.youtube.com/watch?v=jz7z_OTeILM&feature=related
・Music for Strings, Percussion and Celesta -- バルトーク(Bartok)
・Lontano -- ジョルジ・リゲティ(Gyorgy Ligeti)
http://www.youtube.com/watch?v=l2OQbA3r78M
・Ewangelia and Kanon Paschy movements -- クリストフ・ペンデレツキ(Krzysztof Penderecki)
http://www.youtube.com/watch?v=2QLdbCQhzfI
・The Awakening of Jacob (Als Jakob Erwacht) -- ペンデレツキ(Penderecki)
http://www.youtube.com/watch?v=g6sTdCW13X8
・De Natura Sonoris No. 1 -- ペンデレツキ(Penderecki)
http://www.youtube.com/watch?v=suuwg24QHYM
・同上No.2 -- ペンデレツキ(Penderecki)
http://www.youtube.com/watch?v=t9d8OopJrhg&feature=related
・Kanon (for string orchestra) -- ペンデレツキ(Penderecki)
・Polymorphia (for string orchestra) -- ペンデレツキ(Penderecki)
http://www.youtube.com/watch?v=HxhdhTBMPg4

三、現代音楽とビートルズ

 カールハインツ・シュトックハウゼン(Karlheinz Stockhausen)の「コンタクテ(Kontakte)」
http://www.youtube.com/watch?v=aNt6a5xFOnE
http://www.youtube.com/watch?v=Z-K1P92aZk8&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=WwIdglRbgnw&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=m_3GhM2hKe0&feature=related

という1960年の電子音楽作品は、ポップ音楽に大きな影響を与えた。
 その影響は、ポール・マッカートニーが作曲したビートルズの「ペッパー警部(Sergeant Pepper)」にもはっきり見て取ることができる。
http://www.youtube.com/watch?v=JOO8-Jp-xsg

四、現代絵画と現代音楽

 モートン・フェルドマン(Morton Feldman)の曲である「ロスコ教会(Rothko Chapel)」
http://www.youtube.com/watch?v=qxSt_w2ODaQ

は、画家のマーク・ロスコ(Mark Rothko)
http://www.youtube.com/watch?v=8xrHHn5TR4E
が自殺した1年後の1971年に、彼に捧げられた音楽だ。
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太田述正コラム#3319(2009.6.6)
<2009.6.6オフ会について>

→非公開