太田述正コラム#3190(2009.4.2)
<米国流キリスト教賛歌本をめぐって(続)>(2009.5.15公開)

1 始めに

 本日、米国流キリスト教に関わる記事を3本たまたま目にしたので、雑談風にそれぞれを簡単にご紹介しましょう。

2 小山 Kosuke 師にして博士

 ニューヨークタイムスが、小山 Kosuke 博士の詳細な弔文を掲げました。
 そのごくごく一部は、次のとおりです。

 「小山 Kosuke師にして博士は、自身の伝道師としての経験から引き出された、瞠目すべき隠喩を用いたところの、<いかに>アジアの<農村や仏教といった>様々な伝統に適合的な<形で>キリスト教<をアジアに布教するか>に関する有力な指針(vision)を提示したことで、国際的に知られるところとなった神学者だったが、マサチューセッツ州スプリングフィールドで亡くなった。享年79歳。・・・、
 小山博士は1929年12月10日に東京で<キリスト教徒の両親の下に>生まれた。
 1945年、米国の爆弾が東京に降り注いでいた頃、彼は15歳でキリスト教の洗礼を受けた。・・・
 小山博士は、東京神学大学(Tokyo Union Theological Seminary)を1952年に卒業し、1954年に<米国の大学で>学士号を取得してから、1959年に同じく米国のプリンストン神学校(Theological Seminary。プリンストン大学とは無関係)で博士号を取得した。
 <以後、タイで伝道活動、シンガポール、ニュージーランド及び米国で教育研究活動を行うという人生を歩んだ。>・・・」
http://www.nytimes.com/2009/04/01/world/asia/01koyama.html?ref=world

 英語版ウィキでかなり詳しく小山博士が紹介されています。
http://en.wikipedia.org/wiki/Kosuke_Koyama
 
 しかし、東京神学大学のウィキ(日本語版。英語版は無きに等しい)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E7%A5%9E%E5%AD%A6%E5%A4%A7%E5%AD%A6
の大学関係者一覧の所に、小山博士の名前は出てきません。日本で活躍されている(活躍された)人しかとりあげない、ということなのでしょうかね。
 私自身は、キリスト教神学が学問であるとは思っていませんし、キリスト教の伝道活動に何の価値も認めてはいません。
 しかし小山博士が、日本で生まれ、世界で活躍された、ということに関しては、率直に敬意を表したいと思います。合掌。

 このように、移民の手によって、米国流のキリスト教は活力を吹き込まれ続けて現在に至っているということなのでしょう。
 もとより、これは米国のあらゆる分野について言えることです。

3 キリスト教原理主義大学潜入記

 クリスチャン・サイエンス・モニターは、キリスト教原理主義大学に1セメスター(半期)潜入したアイビーリーグ学生の体験記の書評を掲げました。
 そのごく一部分は次のとおりです。

 「・・・<著者>ルース(Roose)が文字通りの神不可知論者(agnostic)から、祈りを捧げる<習慣のついた>半信半疑の<キリスト教>信者へと移行した物語がこの本のテーマだ。
 米国でキリスト教原理主義者達は、往々にして、「私は救済された」とか「私は宗教おばか的です(Religulous<。Religiousとridiculousからの合成語>」とか抜かす連中として嘲笑されているけれど、福音的運動が<米国で>隆盛を極めている折から、リバティー(Liberty)大学のような学校の学生達を理解することはすこぶるつきに重要なことだ。
 仮に<アイビーリーグの超優秀校の一つである>ブラウン大学の学生がわずか1セメスターで両者を隔離する壁に橋をかけ始めることができるのだとすれば、「原理主義者」とか「宗教右派」といったレッテルでしか知らない人々をもっと良く理解しようと苦闘している、ルース以外の我々全員にだって希望はあるというものだ。
 <実際のところ、>ルースはインチキ・クエーカー教徒の一家で育ち、彼の宗教についての勉強と言ったら、彼に「神は、帝国主義及び企業の強欲との全地球的闘争を率いた左翼のスーパーヒーローで、一種の天上界のマイケル・ムーアだった」ということを確信させたところのたった一回きりの高校の授業だけだったという人物であり、彼ほど<こんな営みに関する>使徒として似つかわしくない者はいなかったのだから・・。・・・」
http://features.csmonitor.com/books/2009/03/31/the-unlikely-disciple/

 これが不思議で仕方がないんですねえ。
 もちろん年齢は違うのだけれど、私は、カイロの小学生時代に、選択必修の宗教の授業でキリスト教を選択し、キリスト教徒たる教師と生徒達に囲まれて、教師の話を聞くかたわら、聖書(というか、子供向きに書き直された聖書物語)を随分読みこみましたが、今の子供達がハリーポッター・シリーズといったファンタジー小説を読むのと同じ感覚で楽しませてもらったという記憶しかありません。
 宗教としてのキリスト教については、どうしてこんなばかげた教義が信じられる人がいるんだという感想でしたからね。

4 カトリックの神父から作家への転身

 カトリックの神父から作家に転身した人物の自伝の書評がロサンゼルスタイムスに載っています。
http://www.latimes.com/features/books/la-et-rutten1-2009apr01,0,233691,print.story

 カトリックは、米国流キリスト教ではないからこそ、真面目なカトリック信徒たる米国人であれば、悩みは深いはずです。
 それは分かるのですが、著者の転身の論理と過程が、この書評を読んでもさっぱり分からないのです。
 いや、それ以前の問題として、英語の文章を読み慣れている私でも、もどかしいほどこの書評の読解が困難なのです。
 それこそ、キリスト教信者でないからではないか、と言いたくなるほどです。

5 終わりに

 こういうわけで、私は、イギリス論にはかなり自信があるものの、キリスト教音痴の私の米国論にはどこか大きな弱点があるのではないか、というかすかな疑念がぬぐい去れないでいるのです。